「毘沙門天の化身」
初名は「長尾景虎」のちに関東管領上杉謙政から家督を譲られ
「上杉政虎」と改名し、
その後足利義輝より、1文字を受けて「上杉輝虎」となりました。
「謙信」は法号です。
1530年に越後生まれ
軍神、越後の龍といわれ、戦国最強の一人
「車懸りの陣」を得意として(車輪が回っているような陣法)
突撃、突貫でなく、前の部隊 後ろの部隊の入れ替えを巧妙にし、
部隊が崩れないように戦っていたと言われています。
しかし、天政6年3月9日春日山城でたおれ、数日後の13日、49歳で脳出血で死亡・・
謙信公があと10年、いや5年長く生きていれば天下は上杉の元に・・・
謙信公の遺骨は、米沢城本丸一角に安置され、明治維新の後、歴代藩主が眠る御廟へと移されたそうです。
大阪に生まれ大阪育ちな自分はついつい秀吉のことばりですが、越後の里へ歴史探索行ってみたいものです^^
以上戦国好きの紺野達哉でした。