万代池の桜は今、、、、、

2008/04/02 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


さて、明日はわが社のお花見会の予定です。

そこで下見風景!

前回の同じ場所で、、、

好きな場所は、中ノ島の南の橋からの場面、、

反対側の池縁をを見てみると、、、

最後のとどめは、、、、、、

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万代池の桜レポート その3

2008/03/29 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


 

万代池の桜レポート その3です。

いよいよ、本格的に咲き出してきましたよ。

さて、わが社の恒例お花見は来週の木曜日に決定。

社員の皆さんと行ってきます。
場所は本社工場のすぐ近所、万代池公園です。


もし、今からお花見をご検討中の読者の為に
一昨年前のブログから万代池公園の桜見物をご紹介をいたします。

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お花見
2005年04月09日 (土)


お花見の時期になりました。
私どもの社員の日記に『万代池公園』が
たまに出てきてます。

正確には「ばんだいいけ」とかいわれてますが、
別に「まんだいいけ」でも十分伝わります。

場所は我が社、創業の地、工場のすぐそばです。
池を中心に周囲約750米を周回する遊歩道に沿ってすばらしい桜が見れます。
子供の時はその値打ちがわかりませんでした。
結婚するようになって、親戚家族が増えて,そんな場所の値打ちがわかりました。

また、3人の子供がそのすぐ脇の
万代幼稚園へ通いましたので、写真、ビデオの絶景の地と
なり、たくさんの記録の背景を為してくれています。


更には亡き母とも何度か見物に行きました。
桜にはいろいろな思い出があります。

ちょうど、今が満開、一番の見頃です。
当たり前ですが、入場無料、24時間いつでもオーケー、
路上駐車も側道ならしばらくは大丈夫です。


皆さんも思い出作りに是非一度足を運んでみて下さい。
必ず感嘆されると思います。

交通の便としては、南海がおすすめです。
阪堺線 帝塚山3丁目 下車東へ2分。
南海高野線 帝塚山駅 下車東へ5分です。

地下鉄だと、御堂筋線 西田辺から西南、四ツ橋線 玉出から東南へ各々歩いて15?20分はかかります。
そのあたりだと、どこで、誰に聞いてもわかります。

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今年の満開は来週なかばから後半とか?雨が少なく長持ちしますように、、、

皆さん、よきお花見を、、、  氏田耕吉でした。

今の写真もアップしておきますね!

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ホームレス中学生

2008/03/22 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


昨夜は休肝日、食事が終わって
テレビを見だすと金スマで

麒麟・田村裕の

「ホームレス中学生」を取り上げてました。
 早くに100万部突破 で200万部目前とか?

以前から話題になってたのは知ってはいましたが
又、いつものお笑い芸人の
作られた話かと思って見ていましたら、、、、、、

ところが、どっこい

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梁瀬次郎氏を悼む

2008/03/15 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


ヤナセ名誉会長の梁瀬次郎氏が13日午前7時5分、
91歳で死去した。

私がこの業界に入って
一番感銘を受けた、業界リーダー、経営者だった。

まだ、昭和の時代、20年以上前には
全国で開催される大きなイヴェントには
よく参加され、そのご挨拶に皆が必ず鼓舞されたものである。

大阪での全員朝礼はまるで子供の頃の
学校朝礼のようでありながらも、皆が感銘を受けるものでした。

その前後に開かれる朝食会での和やかさとの
対比はすごかった。

功績から
すでに日本自動車殿堂は初代殿堂入りしておられたが、
自動車人として大きな栄誉である米国自動車殿堂にも、
日本人として5人目の殿堂入りを果たされた祝賀会では
まだまだお元気だったが、、、、、

最後にお会いしたのは、業績を持ち直し
久しぶりに開かれた東京での全国大会の表彰式会場でした。

車椅子にての登壇ながら、その場では相変わらず
皆を励ましてくださり、和まして頂けましたのに、、、

私たち、輸入車販売に携わる者としては
誠、業界のリーダーを失った思いです。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
氏田耕吉

追伸
なお、西淀川に有る
ヤナセ大阪支店のベンツショールームに
ご遺影が飾られた、との事、早速弔問に行ってきます。

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日刊自動車新聞の記事より、、

輸入車販売の草分けとして戦後の輸入車業界の拡大に大きな功績を残した
ヤナセ名誉会長の梁瀬次郎氏が13日午前7時5分、
肺炎のため入院中だった東京都港区西新橋の東京慈恵医科大学病院で死去した。

91歳だった。
通夜・密葬は近親者のみで執り行う。
喪主は未定。早ければ今月中にも社葬を開く予定。

 梁瀬氏は1916年6月28日生まれ。
本籍地は東京都千代田区三番町。

39年3月慶応義塾大学経済学部卒業と同時に
梁瀬自動車(現ヤナセ)入社、芝浦工場に勤務。

45年5月に創業者である父・長太郎氏(故人)に代わり社長に就任。
以後40年にわたって社長を務め、
ヤナセを国内最大の自動車輸入元および販売会社に成長させるなど、
わが国モータリゼーションの発展に多大な影響を与えた。

 85年12月にはいったん会長に退くが、
87年10月に復帰して93年12月まで社長を兼務。
2002年12月まで会長、亡くなるまで取締役名誉会長を務めた。

 公職では日本自動車輸入組合(JAIA)の前身である
輸入自動車協会(52年設立)の会長を約2年務め、
65年に輸入取引法に基づく公益法人に改組された
JAIAの初代理事長に就任。

その後68?75年を除く2000年5月まで27年にわたって理事長を務め、
わが国を代表する輸入車業界のの顔として幅広く活躍した。

 この功績が認められ、87年勲二等瑞宝章、93年紺綬褒章を受章。
02年に日本自動車殿堂の初代殿堂入りしたほか、
04年には日本人として5人目の米国自動車殿堂に選ばれた。

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必ず道は開けます

2008/03/13 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


2004年03月13日 (土)

本日は氏田耕吉の担当です。

驚かれるかもしれませんが、実は私、中学1年生から7年間、伝書鳩
を飼っていました。1坪で二階建ての鳩舎には多いときで30羽ぐらい
を飼育して鳩レースを楽しんでいました。

一番遠くは青森県の岩木からの八森800Kmのレースでした。朝、
現地で放鳩され、翌日の帰舎で僅差の準優勝でした。その鳩に岩木
号と名付けてました。

私は自由に空を飛びまわり、遠くから自分の鳩舎に一目散に帰って
くる伝書鳩に魅了されていました。また善鳩会と言う組織に所属して、
鳩を通じて知り合った方々に、たくさんのことを学びました。青春時代
の思い出です。

そんな関係で今回の鳥インフルエンザでカラスやドバトの野鳥がウイ
ルス感染の媒体となる事に危惧しております。何しろちょっとやそこら
では鳥は捕まえることができませんし、行動範囲が広いからです。

BSE、SARS、に続いて今回の鳥インフルエンザ、各関係者の方々
には全くもって予期しがたい事態であったと推察いたします。いつ何
が周りに起こるかわからない世の中です。本当に厳しい大変な目に
遭っておられる事と思います。

しかし、私たちは過去の長い歴史の中で勝ち残ってきた遺伝子を貰
っています。

みなさん色々あると思いますが、負けずに立ち向かって行きましょう。

必ず道は開けます。

「やる気になれば何でも出来る。」

今日も一日みんな元気に頑張りましょう。


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トヨタミュージアム & トヨタ博物館

2008/03/01 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


つい先日、業界の総会で
トヨタミュージアム と トヨタ博物館 に行って来ました。

しかしさすが世界のトヨタですね、
すばらしい!!

まずは車の構造をわかりやすく実物大の模型で解説

そして、昔の車の製造ラインの模型、
その他全てが模型ですが、鉄板からのパネル作成、

プレス、組み立て、塗装など、実物を使ってるだけに
本物の工場見物よりも判りやすく良いもんでした。

そして車で30分程離れた

トヨタ博物館にはこんなクラシックがずらり、、、

例えばこんな木炭車も、、、、、

動かせませんが、こんな実物も、、、、、

3階に上がると、トヨタABフェートンの実物からは国産車がずらり、、、

ここ30年くらい前までの国産各社の名車がずらっと並びます。

会場全体で日本全メーカーは勿論、世界各国からの130台が展示されてました。
(2ヶ所見学して入場料は、、、、、、たったの1200円)

そして私、氏田耕吉が免許を取って初めて乗ったこんな車も、、、、、、、

(さらに…)


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子供の頃の思い出2 「自転車」

2008/02/23 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


先週の土曜日に子供の頃の「思い出1」として

ブログアップさせたところ、親しい友人から、

「あれは一体何や?」と言われてしまいました。

 

 

そう言われて読み返してみると、確かにおかしい??

何を書きたかったのか?自分でも判らなくなってきました。

 

 

そこで、今週はその続きで、自転車についてもう少し書きます。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

そんな、体の弱い自分でしたが、何故か自転車は好きでした。

 

初めて買った子供用の自転車も水中で走らせたり、

改造しまくってるうちにボロボロになってきてました。

 

そこでオヤジさんに「大きな自転車が欲しい」とねだりました。

 

 

すると、すんなりOKでした。??

でも最初に買ってくれたのが、お世辞にもカッコよくない

運搬車風の物で仕事兼用でした。確かに漕ぎ易いし早いのですが

どうにも小学生の乗るような代物ではなかったですね。

 

 

そこで更に頼み込んで、自分で改造するのを条件にOKをもらいました。

 

 

私的には当時の最先端、ドロップハンドルのついた、

スポーティな物を想像してたわけです。

 

 

ところが連れて行かれたのが、阿倍野○場前に有った、

何かチョット雰囲気の違う自転車屋さんでした。

 

そこは盗難車上がりか、はたまた自転車のスクラップ置き場のような

所で、

勝手に選ぶような場所です。

 

 

そこでも私のオヤジさんが見つけ出してきたのはやっぱり、

がっちりした運搬車でした。

 

「これ?」と言う間も無く、

その自転車に合うタイヤとチュウブを各2本、

そして新品のチェーンも買ってくれました。

 

後は自分で改造です。

 

帰って来て早速分解にかかります。

 

教えられながら、聞きながらの連続です。

 

まずは前後の車輪から古いタイヤを外して

スポークを調整しながら、リムのセンタ出しをします。

それが出来上がると次に新品のチューブとタイヤを着けます。

 

 

そして、どこから出てきたのか、リヤータイヤの歯車(スプロケ)は

普通のように逆回転で空回りする物でなく、

「踏み切りタイプ」と言う直結式に替えます。

 

これは何でも競輪選手が使う物だったそうです。

 

 

ドロップハンドルにしたいので、

ハンドルを外してパイプだけにして中に砂を拾ってきて詰め込んで、

アセチレンであぶってゆっくり、ゆっくり曲げていきます。

 

しかしこれは上手くはいかず、

結局はただ左右のグリップが下がっただけのものになりました。

 

更にはもともとそのハンドルにはブレーキのレバーが

棒状に付いてた跡が全体に残ったままですから

何とも言えないカッコ悪いハンドルに成りました。

 

 

そして、その外したブレーキに代わる物こそが

さっきの踏み切り式のリヤのスプロケです。

止めたい時にはぺタルを逆回転、つまり後に向けて回すのですが

子供の脚力では自転車は止まりきりません。

 

最悪は物に当てて止めるしかないのです。

何回も当ってますが、はっきり覚えてるだけでも、

ふとん屋さんの戸をぶち破ったのと、

建材屋さんのトラックの側面に激突が有ります。

 

 

更には競輪のようにゼッケンを真似て

砂糖の丸缶の蓋を前に付けていました。

 

しばらくはよかったのですがさすがに中学に入る頃には

恥ずかしくて暗くなってから

一人でこっそり走り回ってました。

 

 

そして圧巻は自転車の発電機からの配線を改造して、

リムの端(タイヤの耳の所)に電球を付けて走り出すと

それが回りながら、光るようにまでしてたのです。

これは見てる人からの驚きが自分の自慢でしたね。

 

 

今思い出しても一人うすら笑いするくらいの楽しさです。

  

しかしそれにしても、

またまた一人よがりでさっぱりわからない

思い出話になってしまいました。

 

でももう一時間以上、下書きをしてますので、

今日は取りあえず、アップさせてください。

 

 

また訳の判らないブログになった氏田耕吉の昔々の思い出話でした。

      


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