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よみうり情報・住吉1989年8月より

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★ゲスト長岡 義孝さん  <浄光寺住職>

★ホスト 氏田 耕吉 (ウジタオートサロン代表取締役)

長岡 義孝さん  <浄光寺住職>
古いもの、過去のものと考えられていたお地蔵さんの存在が見直されています。

戦後からひたすら働いて物質的には豊かになったものの、心を豊かにすることをおろそかにしていたことを日本人が気づきはじめたからでしようか。

住吉区に数多くあるお地蔵さんの中でも、ユニークな存在である「油かけ地威」さんを中心にお話しいただきました。

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地域活動の中心として今甦るお地蔵さま、油でドロドロになって、

衆生を救う「油かけ地蔵」さん

お寺の中にお地蔵さまがあるのは…

氏田 私の家は先祖代々、こちらの浄光寺さんにお世話になっておりまして、私も子供の頃から母に連れられて何度も来てまして、「お地蔵さんがあるよ」と言われていたのですがこれが由緒ある「油かけ地蔵」とは少しも知らなかったのです。それで今日改めておうかがいするのですが、お寺と地蔵さんというと、関係のあるようなないような…。どういう関係になっているのですか。

長岡住職
 どちらも仏教からでたものですが、ご本尊をはじめとして、全く別のものですね。お寺の方はこの寺は浄土宗ですから阿弥陀さまを御本尊として、法然上人の教えに従って心の修養をし、檀家の方々が集っていろいろと運営します。

一方お地蔵さんの方は、地蔵講という信仰団体があって百人ほどの方がおられて毎月二十三、二十四日にはお地蔵さんの縁日として集まって御詠歌を唱えられます。又、八月の地蔵盆にはちょうちんを百五十くらい境内にめぐらしてそれは賑やかです。又日課として毎日地蔵さんをおまいりする人もおられます。私の寺は毎朝六時に表門をあけますが、しばらくするとカンカンカンとお地蔵さんをおまいりする音がしてすぐ隣りの無縁墓に参って…ということを日課にしておられる人もあります。

氏田
 そういえばお地蔵さんというのは道ばたに独立してあるのが普通ですね。それがどうして「浄光寺」の境内にあるのですか。

長岡住職 まず、お寺の方から話しますと、浄光寺としては、永禄元年といいますから一五五八年、桶狭間の戦いのあった頃、今から四百四十年ほど前の開山です。ところが昭和二十年六月一日の空襲で本堂及び境内建物も何もかも焼けてしまったのです。本当に何もかも焼けてしまいまして、残っていれば重文クラスと言われた御本尊の阿弥陀如来、寺の宝物、由来、檀家さんの過去帳、又、私のところの系図もすっかり焼失しました。
もちろん「油かけ地蔵」さんの由来も全部焼けてしまったのです。焼け残ったのは石造りの地蔵さんのお堂だけです。中は油をかけておまいりしますからすっぼり焼けてしまってお堂だけが残ったのです。

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氏田 そうしますと「油かけ地蔵」の由来というのも書きものとしては残っていないのですね。

長岡住職 戦後に地蔵講の人々が口伝えに伝えていたものをまとめたのです。そのまとめたものを紹介しますと…「昔、この地蔵は、故あって住吉の東長居の里に移されたが、浄光寺の岌誉上人の夢に現れ「長居の里は化縁拙(けえんつたな)く、吾れ本懐に非ず、願わくば大領に移せよ」と言うので上人が弟子達を引連れて行くと、地蔵堂は傾き、香華も絶え、痛々しい有様であったのでこの寺に運んでおまつりしたという。そして江戸時代の末期のある年の初夏に住吉地方に赤痢、疫痢といった悪い病気が流行した時のこと、董信女という信心深い老婆が吾が子の病を治そうとこの地蔵尊に参籠祈願したところ、満願の夜、いずこともなく異香漂い、心身が爽快になるのを覚えた。その時「吾が身に油を注げ。吾れよく堪え忍び、一切衆生の、今世、未来め苦難を救うべし」とお告げをいただき、ふと尊像を見れば三つに割れて倒れていた。恐る恐るもとの座に復してお参りしたところ、やがて吾が子の病気も治り、近隣の人達も次第に本復したという」ということなのです。

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油とホコリでドロドロお地蔵さまの 顔も見えず

氏田 なるほど不思議なすごい由来ですね。「油を注ぐ」というのが変っていますがこれはどういうことなのですか。

長岡住職 仏像に油をかけて諸願成就を祈る浴油信仰というのは古くからありまして空海上人(弘法大師)がそれを広めることに熱心で全国の主要都市に一つづつ浴油仏をつくる運動を起されています。大阪でも南区南船場に「油掛地蔵」北区与力町に「油掛大黒」というのがあります。私のところの油かけ地蔵もそういうものの一つでしょうね。

氏田 そういえばカトリックでも聖油式といって儀式や典礼に新鮮な香油を使いますね。油には不思議な力があると東西を問わず考えられていたということですね。しかし油をかけるとお地蔵さんはずいぶん汚れるでしょう。

長岡住職 油とホコリでドロドロになってお顔なんか見えませんよ。焼け残ったお堂が壊れかけていたのでやりかえまして、その時にお地蔵さまを洗って油をとってきれいにしたのですが、またすぐドロドロです。

毎日油をかけられますから。まあしかし、このお地蔵さまは手についただけでもベトベトして不快な油を頭からかけられてその不快さに堪えて人間を救うというお地蔵さまですから、耐えていただかないと仕方がありませんね。

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豊かな時代だからこそ心のふれあい大切に

氏田 長岡住職さんの奥さんはずいぶん前から民生委員や保護司をされ、また子ども会活動のお世話を熱心にされて、社会活動を続けてこられたとお聞きしていますが、最近は、お寺やお地蔵さんの役割が、地域のコミュニケーションの中心として見直されてきているように感じるのですがいかがですか。

長岡住職 そうですね。終戦直後には私の寺でも子ども会というのがありまして、映画や踊りや子ども舞踊発表会のようなことをしていましたが、経済が復興するにつれて、テレビをはじめとしていろいろ遊ぶものもできてきて、子ども会などというものも必要がないように思われてなくなってしまったのです。

ところが最近になって生活は豊かになったものの、心の方は、上は政治家から下は庶民にいたるまで昔より悪くなったのではないかと感じられるようになってきましたね。その結果社会の風潮をまともに受ける子ども達の非行ということが大きな社会問題になって、お寺やお地蔵さんといったものを中心とした地域活動によって人と人との心の触れ合いを大切にするということが見直されてきたのですね。

氏田 私も地元の阿部野神社の夏祭りなどで子どものお世話をさせていただいていますが、やはり子どもの心の成長のためには地域活動というのは大切だと思いますね。

長岡住職 お地蔵さんというのは地蔵菩薩のことで、菩薩というのは仏の位にいる人と庶民との中間に位置する方で庶民の願いを何でも仏さんに取り次いで下さるのですね。庶民と一番関係のある方で、特に子どもの守り役なのです。文明が発達し、生活が豊かになった現代こそ、お地蔵さんを大切にし、その心で子ども達をはじめ、すべての人の心の触れ合いを大切にするように努力することが必要ではないでしょうか。

氏田 ほんとうにそうですね。これからも御活躍下さい。今日はありがとうございました。

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