それに経理のおじさんはおじさんで、簿記を教えてくれるんです。
振替伝票の書き方とか現金出納帳とか、いろいろ教えてくれるんですけど、私はそういうのはあまり得意ではないんです。
後で考えて分かったことは、要するに会社は父親が死んだ後で借金もあるし、資金繰りがうまくいかないから、金が詰まってくるんですよ。それで私にそれを担当させて、金が詰まってきたのをどっかから引っ張りに行かせる。要するに母親とか、どこか知り合いに金を借りに行かせるということだったようです。
社長の兄はもう事務まかせで、事務の人が私にそれを言う。だんだんやっているうちに、「大変や。どっかから金を借りなあかん。お母ちゃん、会社は金が足らんらしいわ」というと「そんなん私、ないで?」と言うことになります。
「俺どないしたらええんかな?銀行でお金借りなあかんのかな?」と、もう全然分からない状態でした。
私は普通科の高校卒ですから経理は苦手でした。第一、一番悪いのはそろばんができないですよ。小学校の時にそろばんを習ったんですが、なにしろ手が大きい、指が太いで1つ上げるのに2つ上がっちゃう。10上げたつもりが110上がってたりね。そろばんをおく度に数字が違うんです。
そろばんができないと経理ができませんから、困ってました。今みたいに小さな電卓もない時代です。それで日本橋にあった中古品専門の五階百貨店へ中古のレジスターを買いに行きました。大きいのしかないのですが、当時きちっと数字が出るというとレジスターなんです。コンセント差し込んで叩いてね、がちゃがちゃと計算が出来る。
昭和44〜45年ぐらいですから、普通事務をやる人はみんなそろばんをパチパチと置いて数字を出すのをそろばんができないからレジスターで計算してました。それでいつも車にレジスターを積んで移動するんです。請求書や見積書を作るにもレジスター打って、出てきた数字を書いていました。近代的なのか非近代的なのか分かりませんが、今は電卓ができたおかげですごく助かっています。
その時の思い出で1番面白いのが、「小切手事件」です。日本橋の角にある三和銀行の恵比須支店とも取引してまして、そこからもお金を借りていたんです。それでそこに行って、小切手を書かなきゃいけない事になりました。向こうが「ここに金額を記入してください」と言いました。全然知識の無い私が小切手を書くわけです。 普通は簿記を勉強してるか、事務を習ってないとわかりません。
小切手に金額を書く欄があってね、そこへ数字を書けって言われるんです。
例えば135,670円だったら、そこへまず「¥」って書いて算用数字で「135,670ー」って書いたら良いと思うんです。 ところが、銀行の人が「小切手にこんな書き方はないでしょ。 漢字で書きなさい」と言うんです。
漢字で書くって言われたんで、2枚目の小切手にまず、「金」って書く。 「¥」じゃないんです。そして、135,670円だから、一三(ジュウサン)万(まん)、五千、、、「金一三万五千六百七十円也」です、最後に也を付けるは何故か知ってました。 そしたら向こうの銀行員が今度はめちゃくちゃ怒りましてね、「これはだめでしょう!」ですわ。「何でですねん!」すると、「もうええわ!」ですよ。
3枚目の小切手帳を持って行って、後ろで「ガチャ」ってチェックライターで打って来て判を押させるんです。 「それやったら、最初から打て!」と思いましたね。 この小切手帳ね、紙代を取るんですよ。 それも、きっちり3枚分ね。
銀行というとお金を貸しちゃうと、、…銀行の人はいらっしゃいませんよね?(笑)すごくえらそうなんですよ。本当に腹が立つぐらい。
それで家に帰って母に「今日銀行行ってこんなん言われた」と言ったんです。うちの母は尋常小学校しか出ていませんけど、「何にも知らんとよくそんなんやったなー」と言って、広告の裏の白いところに、「壱」とこう書いてくれまして、「この下に書け」と言うわけです。それで漢数字を書いて、練習して、、、、、。母親に習いました。あの時に、「あ、そうか、小切手とか手形に手で書く時はこういうふうな字を使うんやな」というのが初めて分かりました。
今でも母親に習った、その時のことが絶対忘れられへんのは、大正2年生まれの母親は尋常小学校しか出てないんです。 その学校へ行って無い人に習った事なんです。 私は今でも小切手帳をはずして持っていって、どこでも数字を書いて、小切手を作れます。 それを書くたんびに、「ああ、おふくろに習ったなあ」って思い出すんです。
そんな事も18歳だったからできたと思うんですけどね、だけどそういう事って世の中にいっぱいあるじゃないですか?
そして、メカニックのほうの先輩は「整備士を早よ取れ」というので、勤務期間をごまかしてもらって受けに行って、すぐに3級整備士の免許を取りました。
その頃は色んなことがいっぱいありました。そんないろんなことがいっぺんに経験できましたからやっぱり早く社会に出て良かった、と思いました。例えば自動車の修理という特殊な技術というか、自分が将来食べていけるだけの事を身につける。
銀行に行ってそういう数字の事を教えてもらったり、経理というか簿記というか、振替伝票とか複式とか、バランスシートを作るところまでは今でもできます。おかげさまですよね、簿記なんて正式に習ったことはないんですから。
でも、ただ何でもできるだけでは駄目で、今度はそれを読める、予測できないと経営者にはなれない、ということなんですね。
会社は予想通り2年ぐらいで資金ショートしてきました。社長の兄は答を出しませんので、「どないすんねん?」というので、高利貸しにお金を借りに行ったことがあります。
亡くなった父親の知り合いで高利貸しを副業でしている人に資金繰りのためにお金を借りに行ったことがあるんです。その時には母親も連れて来いと言われまして、兄と母親を連れて行きました。兄が社長ですから兄が書いて、うちの母親が保証して、それでお金を借りました。
高利貸しって、あれはすごいですよね?金利がメチャクチャ高いし、おまけに先に金利を取られるんです。お金を借りる時は先に金利を引かれた分しか貸してもらえないです。銀行というのは普通は預けた時は元金に金利が後から付いて返ってくるんです。でも聞いたら銀行も貸すときはそういう仕組みだということで、高利貸しだけではないということが分かってきました。
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