鍵山 秀三郎さん


ゲスト 鍵山秀三郎さん <㈱イエローハット 相談役>
ホスト 氏田 耕吉 (ウジタオートサロン代表取締役)

鍵山秀三郎さん略歴

鍵山秀三郎さん昭和八年東京生まれ。二十七年戦時中に疎開した岐阜県立東濃高校卒。二十八年上京。新橋の自動車用品小売店に入社。三十六年退社、同年十月ローヤル(現、(株)イエローハット)を設立。現在業界二位の自動車用品の大型小売店(株)イエローハット相談役として、指揮をとるとともに、「全国掃除に学ぶ会」代表として社会活動などに従事。
「イエローハット」と言え ば自動車用品専門の大型小売店として全国に展開する、業界第二位の存在。しかしまた 「他人の犠牲の上に立って成果をあげてはならない」とい うことを不文律として現在を 築き上げ、しかも「全国掃除に学ぶ会」の活動で、「謙虚 な気持ちこそ商売をはじめ、すペての人間存在の基礎であ る」と言う考えを日本中に広 めています。創業者であり『 全国掃除に学ぶ会」を指導しておられる鍵山秀三郎さんに お話をうかがいました。
http://www.souji.jp/        http://www.yellowhat.jp/

幸せになったから感謝するのではなく、感謝するから幸せになる

 

21世紀に生きるためには文明にながされず、人間のカンを取り戻すためにももっと謙虚に

 

商売は利益の上げ方が問題  従業員や他の企業の犠牲の上に築いたビジネスでは、究極はうまくいかない


氏田 不況が続いて、他人を蹴落としてでも自分だけが儲けたいとう人も増えています。商売の本来のあり方についておうかがいしたいのですが。

鍵山 商売は、お客様と商人との間に感動があって「あの人が勧めるから買う」とか「あの店で売っているから買う」というのが原点です。ところが、いつの間にか「感動なんてどうでもいい、従業員や他の企業の犠牲の上に立ってでも一円でも安くする」ことが商売だと考えられています。これはとんでもないことです。   商人は、自分の努力でお客様に理解して戴いて買っていただくのが本来の姿です。

そんな甘いことを言っていたら、経営は成り立たないという考えの人もいます。しかし私は感動しない人は病気にもなるし、人の縁も結べないし、ビジネスも究極はうまくいかないと思っています。
問題は利益の上げ方です。どういう方法・手段で利益を上げたのか、これが大事です。阪神大震災の時にある暴力団が献金しましたが誰がほめますか。
いくら献金してもやましいお金で自分たちの汗によって得たお金ではありませんから誰も感謝しません。企業もうまく騙して勝ち、競争相手が滅びるのを待つかのようなことを仕掛けて儲け、社員を自殺に追い込むほど仕事をさせて上げた収益で手に入れたものは長続きするはずがありません。

「極まれば転ずる」という言葉がありますが、どんなことにも必ず両極があって極端なことをすれば必ず元へ戻ります。

自分が受けた苦痛は、自分から外に出さずに全部しまいこんでおく 『語らざれば憂い無きに似たり』

ローマ帝国が滅びたのは、よそから連れてきた奴隷などに汚いことを全部やらせて、ローマの市民は知的な美だけを追求していくというようになった時から崩壊が始まったのです。日本もこのままいくと滅びるかもしれません。

氏田 創業からこれまでの間にはいろいろなご苦労があったと思いますが。

鍵山 振り返ってみると順調だった時期はほとんどありません。何度も危機に瀕してきました。手形の決済に因っている取引先をずいぶん助けましたが、それらが焦げ付いて被った損は二十億円以上になります。
人間不信に陥ったこともありましたし、心中「あの野郎」と叫ぶこともありました。その時「ちょつと待てよ、人を恨んでなんになる」と考えたのです。
それが私の生き方を決める転機になりました。そしてそういう私を理解してくれる人もたくさんいたからこそ何とかやってこれたのです。

氏田 困った時でも「他人の犠牲の上に立って成果をあげてはならない」という考え方はどこからでてきたのですか。

鍵山 私のような何の才能も能力も持たない意気地なしが世の中にポンと出たものですから、人からさんざん卑屈な目に遭わされました。人には言えないほど屈辱的な思いをたくさんしてきました。
その経験から会社をつくるのであれば従業員も取引先も私のような目に遭わせない会社にしなければならないという思いにかられたのです。
世の中には事業を成功させたのに、人間としてそれを無駄にしている人が数多くいます。 
創業当時はリヤカーを引っ張ってついに上場企業にしたという人もいますが、リヤカーを引っ張っている時にはさんざん人から屈辱的な目に遭わされたに違いありません。
ところが自分が力を持つと、かつて自分がやられた屈辱的なことを人にするのです。ほとんどの人が自分が受けた以上の屈辱を、世の中の弱者に対してやってしまうのです。
自分が受けた苦痛は、自分から外に出さずに全部しまいこんでおくことがとても大事です。ここに私の尊敬する相田みつを先生の詩があります。

苦痛に鈍感になり、与えられた幸せに敏感になれば幸せになる

相田みつを先生の詩
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http://www.mitsuo.co.jp/

自分が屈辱的な目に遭ったからこそ、人にはそういう目に遭わせてはならないと考えて会社を経営し社会的活動をしているのです。

幸せに敏感になるためには、謙虚な気持ちになればいい 「全国掃除に学ぶ会」などの活動もその一つ

氏田 「全国掃除に学ぶ会」の活動はどういうところから発想されたのですか。

鍵山 幸せになる方法はいくらでもあります。自分が受けた苦痛を小さく見立てて、それに鈍感になり、逆に与えられた幸せについては、小さなことにでも敏感になれば幸せになれます。ところがほとんどの人が苦痛に対しては非営に敏感、幸せに対しては非常に鈍感になっています。
私の若い頃に比べると、今の若い人たちは本当に恵まれていて幸せの絶頂だと思うのですが、少しも幸せに思っていません。幸せに鈍感で、苦痛に対して敏感になっているからです。では「幸せに対して敏感になり、苦痛に対して鈍感な人間になるにはどうすればいいのか」「そういう性格になるためにどうしたらいいか」と言うと「下座行」に徹すればいいのです。

氏田 「下座行」に徹するための方法の一つが「全国掃除に学ぶ会」の活動ですね。

鍵山 そうです。幸せに敏感になるためには、謙虚な気持ちになればいいのです。

与えられないものを望まず、自分の手に持っているものに気が付いて 与えられたものを最大限に生かすことに成功の鍵がある

謙虚になるためには、なるべく自分の身を低くして、どんどん下へ降りて行けば知らず知らずのうちにそうなるのです。
「全国掃除に学ぶ会」の会で学校や会社や公衆のトイレを磨いているのはそれを通して自分の心を磨いているのです。自分の手で磨けるものを磨いて汚れているものをきれいにすると自分の心も磨けているのです。それを重ねて行くうちに物事に「気づく」人になります。気づくと「感動」する心が湧いてきます。そして最後に「感謝」の心が湧いてきます。
「気付き」「感動」「感謝」の三Kです。幸せになったから感謝するのではありません。感謝するから幸せになってくるのです。豊かになったから感謝できるのではないのです。感謝できるから豊かになるのです。

氏田 二十一世紀に向かって私達はどういう心構えで生きて行くべきなのでしょうか。

鍵山 人間はどうしても今自分に与えられていないものを望む習癖があります。
自分の手に持っているものに気が付かないでよそに目が行きます。
私は与えられたものを最大限に生かす考えでやってきました。そうせざるを得なかったのです。望んでも与えられないのですから。いつも足りないものばかりです。満足できるようなものはいつも与えられませんでした。
しかしそれだからと言って出来ないと言っていたのでは何も出来ません。与えられたものの中で、何とかやりくりしてやっていくことが大切なのです。
誰の言葉か忘れましたけれど、「人間は、自分を取り巻いている境遇に強いられしところにより、事を行えば、そのことは必ず成功する」と言う言葉があります。やらなければいけない境遇に強制されて、つき動かされ信念を持って物事をやったときは必ず成功します。
私たちは多くの文明を手にいれたのですが、それ以上に失ったものも多いのです。
情報をはじめいろいろなものが豊富になるにつれて人間は自分の感覚がどんどん衰えてきます。昔の人のような予知能力がないので何かが現実に起こらないと物事の本質がわからず、何かが起こるとパニックになってしまいます。
人間としていい意味のカンを取り戻すためにももっと謙虚になり、視野を大きく広く、長い目でみることが最も大切ではないでしょうか。

氏田 ありがとうございました。

第1回大阪掃除に学ぶ会より

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