氏田 耕吉の信念

「人様に喜んで頂ける仕事をする」

04ujikobこ れは私の子供の頃に父親から知らず知らずのうちに教えられた事です。どちらかというと病弱ぎみだった私は、5人兄弟の末っ子という事もあり、両親からは体 力も要るこの仕事(自動車関係)は無理だろうと思われていました。机に座ってする事務仕事の方がきっと向いていると思われていたのです。
そんな私でしたが、どうしても自分の自転車が欲しくて、よく親に無心していました。「それならば自分でお金を貯めて買いなさい」という事で小学校5年生の夏休みに修理工場でアルバイトをする事になったのです。

他の兄弟と違い、会社の仕事に一度も携わった事の無かった私はその時から人生が変わった様に思います。何から何までが目新しく、仕事が楽しくて、学校を辞めてでもそのまま働き続けたい程の素晴らしい日々だったのです。
母親はそんな事態を本気で危惧し、夏休みの最後の頃には家に缶詰で無理やり宿題をさせられました。
しかし父親(創業者、氏田寅吉)は多分、喜んでくれていたと思います。何しろ無類の仕事好き、車好きでしたから自分の子供がこの仕事に興味を持った事を喜んでいたと思うのです。

当時は車の性能も悪く、よく故障をしました。途中で動かなくなり、道路脇に止めてある車もたくさんありました。ですから昼夜を問わず、その故障を直す為に出張修理の依頼がありました。

夜、 家にいると出張修理の依頼が入ります。横で電話を聞いている私は先に工具箱を用意して待機します。お酒を飲まなかった父親が出張修理に行くのについていく のです。路上での故障はまさに、「腕に自慢の整備士の真剣勝負」です。どこが悪いのか、持っていった部品と工具で直せるのか、、、なのです。

修 理が終わると必ずと言っていい程、自慢話を聞かされます。「車が動かなくなって困っているのを直してあげると、お客様はすごく喜ぶ。喜んで頂けて、お礼ま で言ってもらえておまけに修理代までくださる。こんな素晴らしい仕事はないやろ!」この事で、「人様に喜んで頂ける仕事をする事」、「お役に立つ事」の素 晴らしさ、そしてその結果として報酬が有る事の意味を教えられていたのです。

そ んな父親は私が高校3年生の時に、亡くなってしまい一緒に仕事をする事は出来ませんでしたが、これこそが創業者である父親が私に残してくれた仕事に対する 信念であったと確信しています。昭和60年に発刊されたPHP誌の「明日をひらく」に載せて頂いた文面を次に添付して、「私の信念」にかえさせて頂きま す。
有難うございました。


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