ごあいさつ


株式会社ウジタオートサロン・有限会社 氏田自動車工作所 代表  氏田耕吉

0411b皆さん、こんにちは。

私はウジタオートサロン並びに有限会社 氏田自動車工作所の代表を勤めております氏田耕吉と申します。

社名の「有限会社 氏田自動車工作所」という古めかしい名前の通り母体は昭和20年創業、昭和25年8月2日に登記された会社です。

「工作所」が示す様に、当時は車を直す為に工作する機械も工場にありました。多分、住吉区では、一・二の古い修理工場だと思います。昔は材木やごみで走る木炭車も有りました。そんななかで、進駐軍の払い下げの外車は、まさに憧れの的でした。日本車とのレベルの違いは子供心に、はっきり覚えております。

私が実際にこの車の仕事に触れたのは小学校5年生の夏休みでした。アルバイトと称して工場で職人さん達と一緒に働いたのです。何から何まで目新しく、楽しく、そのまま働き続けたい程のすばらしい日々でした。宿題も何もせず、朝から晩まで仕事を手伝っていました。ついに母親にしかられて缶詰で宿題をしたのを覚えています。

以来40数年が経ちます。当時は車の性能が悪く、よく故障しました。道路脇に動かなくなり、止めてあった車が、思い出されます。そして昼夜を問わず、故障を直す為の出張修理の依頼がありました。

夜の出張修理はお酒を飲まない父親(創業者)が必ず行きます。電話が入って、横で聞いている私は先に工具箱を用意して待機します。そして、許される限り出張修理についていくのです。修理が終わるとほとんど必ずと言っていい程、自慢話を聞かされます。

「車を直して動くようになると、お客様はすごく喜ぶ。それだけ喜んで頂けて、おまけに修理代まで下さる。こんなすばらしい仕事はないぞ!」

と、人様を喜ばすこと、お役に立つことの素晴らしさ、そしてその結果として報酬があることの意味、これは今も脈々と会社に流れています。

昨今は車の性能も良くなりました。故障の修理というより、点検・車検が主体とも言えます。

今、私共の会社では、皆さんが「子供の頃に夢見た車に乗って頂く事」を1つのテーマにしています。

幼き頃、遊園地で乗った車、ゴーカート、その頃の憧れであった実際の車に、今、乗って頂くことです。とりわけ輸入車はそんな存在であったのでは・・・?

是非、皆さんのそんな夢をかなえるサポートをさせて下さい。

心のこもったディリーメッセージ

メカニックの部屋(修理事例) 

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