疫病退散!
2021/05/14 氏田 耕吉
お墓に月参りに行ってきました。
その私どもの菩提寺、浄土宗 浄光寺さんには
お寺の敷地にお地蔵さんもあります。
その「油かけ地蔵尊」には
油を掛けてのおまいりです
お寺とお地蔵さんですが、
どちらも仏教からでたものですが、
ご本尊をはじめとして、全く別のものなのでめずらしいかたちです。
この浄光寺は昭和20年6月1日の大阪大空襲でほぼ全焼の為、
「油かけ地蔵尊」のことは口伝えですが、、、
「江戸時代末期の初夏、住吉地方に疫病が流行したおりのことに由来するとのこと〜
以前に今は亡き前住職、長岡義孝師にお話しをお伺いしたことが、、、
私どものホームページの会長の対談
http://ujita.co.jp/社長紹介/社長の対談/長岡-義孝さん/
にあります。
政治と宗教のお話はなかなか取り上げにくいのですが、
コロナ禍のおり、もしご興味がありましたら、、、
氏田耕吉 でした、、、
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「油かけ地蔵尊」の由来というのも書きものとしては残っていないのですが、
戦後に地蔵講の人々が口伝えに伝えていたものをまとめたのです。
そのまとめたものを紹介しますと…
「昔、この地蔵は、故あって住吉の東長居の里に移されたが、
浄光寺の岌誉上人の夢に現れ「長居の里は化縁拙(けえんつたな)く、吾れ本懐に非ず、願わくば大領に移せよ」
と言うので上人が弟子達を引連れて行くと、
地蔵堂は傾き、香華も絶え、痛々しい有様であったのでこの寺に運んでおまつりしたという。
そして江戸時代末期のある年の初夏に住吉地方に疫病が流行した時のこと、
董信女という信心深い老婆が吾が子の病を治そうとこの地蔵尊に参籠祈願したところ、
満願の夜、いずこともなく異香漂い、心身が爽快になるのを覚えた。
その時「吾が身に油を注げ。吾れよく堪え忍び、一切衆生の、今世、未来め苦難を救うべし」と
お告げをいただき、ふと尊像を見れば三つに割れて倒れていた。
恐る恐るもとの座に復してお参りしたところ、やがて吾が子の病気も治り、
近隣の人達も次第に本復したという」ということだったそうです。
油とホコリでドロドロお地蔵さまは 顔も見えず今も私たちを守ってくださっておられます、、と。