第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会開催

2007/11/03 氏田 耕吉


本日、第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会が総数108名の参加で開催されました。

今朝は5時に弊社の帝塚山店集合、帰宅の午後9時までたっぷり帝塚山カップを満喫させて頂きました。

帰って来て今日の幾多のスピーチで出てた20年について思いを馳せ、

第1回の’88 の記録集を出してきてみておりました。

1988年12月8日開催、主催は今と同じく帝塚山カップ実行委員会

協力は帝塚山街づくり交流会はじめ 6団体、後援は 7社、協賛は法人個人 61社

参加男性73名、女性31名の104名で、最大時200名の参加の年もありました。

ちなみに第1回目の参加者名簿のうち、今回も参加頂けたのは実行委員の4名を含め8名さまでした(プレーしてない委員は除き)。いろんな意味、まさに20年の時間の経過を感じました。

パーティのスピーチで出た話、、、いつも贈られる女子の部の凄いカップのスポンサー、

故、大屋政子さんのお話でした。

実行委員が揃って本宅にお邪魔し、第1回の帝塚山カップ開催をオーナをされてた室生GCでお願いしたところ、地域の事ならと、即座にお引き受け頂いたお話でした。その他いろいろ思い出があります、、、、、、

写真は1988年12月8日の18番ホールでの表彰式です。

本当に参加や協賛、またお世話頂いてる皆様に心より 感謝申し上げます。

 

 


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社長の講演その3 <7、人様からの応援>

2007/10/27 氏田 耕吉


さて、はっきり言いますと、私個人では何の才能も何の力もないんです。ただ、もしあるとしたら、運がいい、言葉を変えたらお徳やご縁に恵まれているという、これしかないと思います。

誤解を受けるといけないんで軽く聞いてほしいんですけど、私は20才代で目一杯生きて、30から40才にかけての時はある意味、これだけ頑張ってきたという自負があったんです。ものすごく頑張った、と自分でも思っていましたし、ほんまに自信がありました。

ところがいろんな業界団体に行くと、「あー、お前二代目か」とか「そうなんやー、帝塚山の車屋の二代目のボンボンか」とか言われたんです。言われるたびに、「ぐーっ」ときてたんです。若かったんですね。

「ちゃうんや、俺がやったんや、俺がこうやって、あーやった」とかね、苦労話を聞いてほしくてたまらんかった時があったんですよ。 例えば、私は18歳で仕事に付いて、20歳で自分が代表になって、38歳のときに念願やった帝塚山に63坪の土地を買ったんです。それも20年貯めたお金をもとに頭金にして、自分の技量で買ったと思ってたんです。

しかしお金はたらなかったんですから、自分の力ではありませんでした。

 じゃあ、何で拠点展開出来たのか?この話も知ってる人が多いから隠さず言いますが、たまたま紹介で行った銀行さんがスポンサーでした。 紹介者から推薦してもらって、ご近所からの聞き合わせ、そんな事が功を奏したと思います。その銀行さんには大変お世話になりました。でも決して図っての事ではなく、結果そうなったんですよ。

勿論、20年間コツコツ貯めた、月々5千円とか一万円の積み立ての通帳を「こんだけ貯めましてん」と見せてましたが、、、。 そんなこんなで、いきなりぼーんとお金を貸していただいたんです。それも、自分が思っていたよりも1つ桁が上のお金を貸して頂いた経緯があるんです。 そんな金融機関の方との「出会いのご縁」、、、、、、結構ありましたね。

 笑い話ですが、もしその時の融資実行がなかったら、今の形態は作れていなかった。その代わり、借金の返済に悩まなくてもよかった、なんてね、、、、

それから、一番苦しいときにこのサンゆ倶楽部の中川喜之さん(元ザ・パック副会長)からもメッセージをいただきました。

 「昨年からアメリカの会長も兼務して日米を往復しているという、私の人生にとって今ほど充実感のある日々はありません」と中川さんが書いておられ、「ところで氏田さんもいよいよ事業発展のようで何よりです。心からお祝い申し上げます」と書いてくださったんです。 「ささやかな人生のふれあいですが、友人、知人が頑張り発展されているのを知ることはうれしい限りです。今後もより一層努力され、すばらしい事業の発展と、氏田さんのご活躍をお祈り申し上げます」と手紙に書いてくれたんです。

当時、私にとって中川さんは高嶺の花ですから、すごい人から手紙をいただいてうれしい反面、「こんな風に思っててもらってええんかな」と思いました。でも実はこれはものすごく発奮の材料になりました。

他にもホームページの「社長の対談」にも登場頂いてますが、大屋政子さん、イエローハットの鍵山秀三郎さん、元松下政経塾の上甲晃さん、モスバーガーの故、櫻田慧さん、などの本気(?)の方々にもたくさん励ましを頂きました。 「そうや俺には応援してくれている人がおるんや」と何度も思ったことがありました。

わが社のミッションステートメントに「、、、、、、ご縁に感謝し、貴重な時間と空間を共有出来ることを喜び、、、、、」 と有りますが、物心両面においての人様からの応援こそ、「めぐり合わせのご縁」と思っています。


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社長の講演〈その3〉 6、「積善の家に余慶あり」

2007/10/20 氏田 耕吉


かって森信三先生の『修身教授録』というのをうちの店長教育に使っていました。
なかに「人身うけがたし」という項がありまして、それをコピーしてきました。
私のホームページ『社長の講演』〈その1〉の「人生二度なし」に載ってますから興味があったら読んでください。

解り易く言うと
「あんたは人間として生まれついた有難さをわかっているのか?」という項目があるんです。
あんたの力でこの世の中に生まれてきたのではなく、また今持っている能力というのは
両親やご先祖さまの能力の引継ぎやと。

今わたしたちが持っている能力、例えば今この中に超天才がおられても、
その人が自分の努力やと言うかもしれませんが、
それはそうじゃなくてご先祖さまからのたまたまDNAであるわけで、
そんなものを自慢してはいけないわけです。

たまたま自分が男前、たまたま自分が美人であろうとも
そんなものは整形手術でもせん限り、親やご先祖さまからの与えられたものなんです。

それを思ったときに人間の力は本当に些細なものなんちゃうんかなと思ったわけです。

この間、松下政経塾の元塾長上甲晃さんの「志ネットワーク」の創立10周年で東京に行ったときに、
『命の祭り』という本を頂きました。
この本に書いてあるんですよ。
「私が1人でお父さんとお母さん、そこには各々お父さんとお母さん、
すなわち、おじいちゃん、おばあちゃんが4人おる、これをずっと遡(さかのぼ)っていけば、、」という話です。 これは全部人間の数なんです。

以前、幸之助さんが思いついた「万物生成発展の法則」というのがあったらしいんですよ。
この言葉ともう1つは「宇宙大根源の法則」ということを年いかれてから、いきなり言い出したらしいです。

「上甲くん、不思議やと思えへんか。わしが1人おって、親が二人やと。
そうするとその両親、おじいちゃん、おばあちゃんが4人やと。
これを遡っていったらどないなんねん」ということをおっしゃったらしいんです。

「ずーっと遡っていったら莫大な数の人間がおって、
ひょっとしたら莫大な人間な数はその当時の地球の人間を上回ることがあった時はどないなるんや」と、
こういう質問をされたらしいんです。

「これは不思議ですね」と。
皆さんおわかりやと思うんですけども、
私が1人ですね、お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、これで7人居るわけです。
これを自分が一代目として二代、三代と二十代に遡って三角形にとってみたら何人になるか
ご存知ですか? 知ってはる方、ちょっと言っていただけませんか。想像で言ってください。

そうですね、
遡ったら100万人ですよ。たった二十代遡っただけでですよ、たぶん200?300年ぐらいですかね。
ということはそれをもっと遡っていったらどないなるか。

そして、その血が脈々と今の自分に流れてきているわけですよ。

と言う事は私が偉そうに言っても、実は私がやったことではなくて、
ご先祖様のおかげが今きているだけなんです。

もう1つ言えることは、言葉が間違っているかも知れませんのでご勘弁いただきたいのですけど

「親父やお袋が精一杯生きてきたおかげが私にきている」と言う事です。

そうすると「私がどんな生き方をしてもええんか」ということになるんですけども、
私がせいぜい精進して一所懸命生きておかんと、
私の子どもたちや一緒に仕事してる人が良い目が出来ないということを感じるようになったんです。

これを、「積善の家に余慶あり」と言うんでしょうかね。

さて話は変わりますが私は非常にお墓参りが好きです。
父親を亡くして、ちょっとしてからお墓参りに行くようになりました。
うちの親父が8月10日、母親が4月19日なんで、月2回はお墓にお参りします。
何をお参りするのか、言うと、ご先祖さんにお願いするというより報告ですね。

元気でやらせてもらってます。こんな事が起こってますが一生懸命やってみます。
結果は一体どうなっていくんでしょうかね、、、、とです。

そんな事を思いながら、
『ご先祖様のご縁』のお陰で生かしてもらっている事を実感しています。


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朝の一服

2007/10/13 氏田 耕吉


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 さて、これらは、、、、、

私の一日の始まりには欠かせない物、

そうそれは「朝の一服」です。 

元々のお茶好きは、亡き母伊保子の入れてくれる朝の一服でした。朝一番に入れたお茶をまずはお仏壇にお供えして、その時の一杯を一緒に頂く物です。最近は子供の無かった亡き叔父(カトリックなので位牌などは無し)の遺影にもお供えして一緒に頂いてました。

何故、頂く、でなく、頂いてたのか?

そう、この夏の暑さでさすがに熱いお茶を飲めず、しばらくはアルカリイオン水だったからです。

そろそろの復活に備え、、、、、、

お茶のブレンドで準備を始めました。

色々な茶葉をブレンドして自分だけのお茶を作るのは中々いいものです。これはお客さまの木原会長から教えていただきました。

然るにこの写真の茶葉は或る所で作った方々からじかにわけていただいた物だったんですが、どうも、、、

おいしくブレンドできません。かといって捨てる訳にもいかず、試行錯誤しながら、ブレンドは続きます。

おいしい!と感激のお茶にめぐりあえたら、また報告いたします。では、、、、、、、氏田耕吉 でした。

追伸:最近続けていた社長の講演3のテープお越しは今日の間にあわず、出来次第「社員のひとりごと」の方にアップさせます。ご了承ください。

 

 


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社長の講演その3 <5、街づくり活動二十年>

2007/10/06 氏田 耕吉


さて、私の活動の中に「街づくり20年」があります。

地元の帝塚山で街づくり交流会というのをやっております。やっておりますというとおおげさなんですが、ある人に呼び込まれて、と言うかアドヴァイスを受けて「帝塚山街づくり交流会」というのを起こしたわけなんです。

ちょっとだけ端折って話をしますと、帝塚山の中心的な場所に中村禎二さんという日本画家の方の家がありました。亡くなられたときにそこの敷地が売られて更地になったんです。帝塚山で生まれ育った私は更地になったときに何か建つんかなと興味を持ったんです。

壁が崩されたら中に大きな看板がありまして、「帝塚山らしさって何やろ?」って書いてあったんです。「なんやこいつ?」と思ったんです。 当時、帝塚山では世代交代が進んでいて、大きな家がつぶれたらマンションが建つ、建売ができるというパターンやったんですね。ところがその跡地には残され事務所代わりの蔵と、「帝塚山らしさって何やろ?」という看板があったんです。

そこに入っていったというのがこの街づくり活動の話の始まりなんです。それが昭和58年です。サンゆ倶楽部入れていただいてから5年ぐらいたってるころで、年齢も若かったし、こちらもいろんなことができる頃やったと思うんです。

そこからとりあえず、知り合いを2人、3人集めて、3人が9人を集めて9人がさらに20人を集めて「帝塚山街づくり交流会」というのをやり出しました。最初のイベントを始めてから今年で20年になるんです。

今はこの地域には大きなイベントが3つほどありまして、5月に「帝塚山音楽祭」これは数万人を動員するぐらいのすばらしい音楽祭です。8月にやりますのが「帝塚山まつり」と言いまして、読売の『24時間テレビ』と協力してます。たまたまうちのとなりに大屋政子さんが病院を持っていたということが縁で、大屋さんと親しくなって読売テレビを巻き込んでずっとやっております。もう1つは帝塚山でゴルフの好きな人を集めて「帝塚山ゴルフカップ選手権大会」という名前で地域のゴルフコンペをやります。これは19年目です。

自分で言うのもなんですが、これらの活動は本当にすごい事です。 そういうふうなことをやってるんですけども、,,,,

 

(さらに…)


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社長の講演<その3> 4、団体、組織での 「ご縁」

2007/09/29 氏田 耕吉


 

さて、サンゆ倶楽部のおかげで、私には先ほどから何度も言ってような「ご縁」がいくつもあります。

 

入会していきなり高田先生に塾の担当を当てていただきました。

当てられたと言うと聞こえがわるいですが、そのときの教科書が

「ライフワーク実践ノート」というタイトルでした。

 

この本を読んで1ヵ月後にそれを皆の前で報告し、塾を進めないといけないのです。

 

私にはもうたまらんかったんですね。

このサンゆのメンバーさんだからはっきり言いますけど、

実は、その当時、私 は

本は読まない、新聞も読まない、

ラジオを聞かない、テレビも見ない、

そういう事は一切、やらないという人間やったんです。

 

当時はサンゆ倶楽部に行って、それを自慢げに喋ってましたね。

「パーソナルコミュニケーションや。人との対話、人との交流で生きていくんや」と

偉そうなことを言ってました。

 

たぶん、メンバーの皆さんは笑いながら、「この青二才は何を言うとんのか」という感じだったと思います。

サンゆ塾で「とりあえず、この本を読みなさい」と言われても学校の宿題やないからね、

その本を読んで、レジュメを書くいうのがたまらんぐらい嫌やったんです。

 

 

ところがその時に読んだ「ライフワーク実践ノート」、

その後サンゆのロビーで、勉強(?)した「KJ法」とか

「ブレーンストーミング」とかいうのを本気で教えていただきました。

 

それらが私にとっての自己啓発への入り口やったと思います。

それから非常に自己啓発に興味を持つようになりました。

それまでは何も知らんと30年足らず生きてきたけども、

それを読んだときに思わず膝をたたきたくなるような、

「そういうことやったんか、それでこうやったんや、あーやったんや」

というのがいっぱい分かってくるわけです。

  

他にも座禅がええらしいと言う事で天龍寺に行きました。

座禅をするのにサンゆ倶楽部から関連の「経龍会」に入れていただきました。

何もわからなくて初めて行ったんです。

 

その場では薄い本とかコピー等を使って、平田精耕さん(現管長)から法話いただきます。

座禅中の警策(けいさく)は田原和尚(現、寶厳院http://www.hogonin.jp/)にやっていただいてました、、、、、、 

 

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写真は今の寶厳院の名庭、

(さらに…)


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社長の講演<その3>  3、本ものの生き方

2007/09/22 氏田 耕吉


3、本ものの生き方 ( 岡田徹詩集から ) 

 

今日のサブテーマの「ご縁に生かされて」というのは人、言葉、

そして組織とか、また後に出てきますが、

諺(ことわざ)とかも含めてお話したいと思います。

 

今日の資料の中に「本ものの生き方」というコピーを入れさせてもらっています。

 

これはサンゆ倶楽部が中崎町の「生きがい研究所」の看板のある所でのゲスト会の事です。

当時ミスタードーナツの北山勲校長に講演を聞かせていただきました。

 

ダスキンやミスタードーナツの創業者である鈴木清一さんのすばらしい話の時に、

資料の中の「本ものの生き方」を北山さんがお話になられたんです。

 

ちょっとだけ読ませてください。

  

「本ものの生き方」 ―商売に生きるー

 

金さえ儲かればよい

それが商売というものだとこう思い込んで

あたら働きがいを

あくせくと過ごしてしまってはいないだろうか。

 

―― 何がしかの生計の資(もとい)を得たいばっかしに

あなたは今日もペコペコと頭を下げ

うわべだけの笑顔をつくり

モミ手をしながら嘘八百の説明をして

僅かのゼニをお客から奪おうとしている

そういう商売の仕方を

恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!

 

もし商売というものが

自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ

人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして

わずかのゼニをつかむだけのものであるなら、

今日限り

そんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。

 

親子五人、­モク拾いしてでもよい

ニコヨンになってでもよい。

もっと生きがいのある、

もっと誠実にくらせる、

そして

モット大手を振って大地を行く

生き方をしようよ!

 

―― だが、私は信じる、

あなたがいよいよ今日

死ぬという間ぎわに

あなたの子どもたちを集めて

 

「お父さんは立派な商人だったよ」と

ハッキリと、自慢のできる商売の道がある

―ということを。

 

 

   

これを見せていただいて、先ほど言いました幸之助さんの

「適正利潤」の次に

これこそ、最高の詩を贈っていただいたな、と思いましたね。

 

家に帰ってカレンダーをちぎって裏に大きく、全部書きました。

そのときは末娘がまだ生まれてなくて、実は親子4人やったんで、、、

 

(さらに…)


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