オリンピック

2004/08/18 氏田 裕吉


心のこもったメッセージをお伝えします。

今の話題といえば、なんといってもオリンピックですね。

柔道、水泳、体操と金メダルラッシュです。

メダルをとった選手のインタビューを聞いていると、
プレッシャーの中、闘っていたのだと実感させられました。

そんな中でも一番印象に残ったのは、柔道の野村選手の
表情でした。

テレビで見ていても、野村選手が負けることを想像する
ことはできませんでした。

すごいの一言です。

まだまだ続くオリンピック。 野球も楽しみです。

元気があれば何でもできる。 今日もがんばっていきましょう。

氏田 裕吉


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

終戦記念日

2004/08/16 安田 和弘


こんOOわ。

豊中店の安田です。

先月曜は携帯からの文章で失礼しました。

今年も8月15日の終戦記念日が過ぎました。

水曜日の書き込みで氏田さんがボランティアのキャンプのお世話をしていた話を書いておられましたが、私も小学校の4、5年生の頃、2年連続で夏休みに朝日新聞社主催の海洋少年団の一週間のキャンプに参加させてもらいました。(氏田さんと違い、私はお世話をしてもらった方ですが、、、)

行き先は 沖縄県のケラマ諸島の小さな島のひとつで“座間味島”という当時人口数百人の島でした。


フェリーで一泊、沖縄本島から小さな船に乗りついで小一時間の島でまだ沖縄が日本に変換されて数年しか経っていなかったと思います。

防風林の中にテント(今と違い、支柱も太い木製で生地も帆布製。スコールのときは縫い目からテント内に雨漏りが、、、というテントでした。)を設営し、地面を掘っ
てカマドを作ろうとしていると、スコップが「コツン」なにかな?と思って掘り起こしてみると沖縄戦の時に亡くなられた方の遺骨が原型のままゴロゴロと出てきました。


その時に教えてもらったのですが、座間味島は先の大戦の時、一番最初に米軍が上陸した島との事でした。


沖縄戦での惨劇は多数文章や映像になっているので省略させていただきますが、防風林の木には機関銃の弾痕がいたるところに有り、当時の不発弾と思われる大きな大砲
の弾(?)などもあちら此方に転がっていました。

当時小学生の私には当時の戦争の詳しい内容は解ってはいなかったのですが、海の美しさに感動して、人の手の入っていない大自然に感動していた場所だっただけに、そ
の悲惨さに凄くショックを受けたのを覚えています。


六甲の山の中で20年ぶりにキャンプをして(今のテントはホントに良く出来てますね。軽量コンパクトで設営も楽々でした。)夕暮れにふと思い出しておりました。

言い古されてはいる言葉ですが、あの様な悲惨な戦争に二度と日本が巻き込まれる事が無いように、子供達やそのまた子供達の時代にも絶対におこらないように、切に祈っております。


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

アテネ 開幕

2004/08/15 植田 茂夫


皆さんおはようございます。
お盆休みの方も多いと思いますが、いかがおすごしですか。

いよいよ「アテネオリンピック」が始まりましたね。
夜中たまたま目が覚めて開会式を見てしまいました。

オリンピックの開会式ってその国の文化が出ていて面白いですね。

バルセロナの時だったと思いますが、坂本龍一が出てきた時、
日本人を国のビッグイベントに使うなんて
懐が深いなぁ~なんて感じた思い出があります。

今回のアテネはみごとに古代ギリシャ、オリンピック発祥の地、の開会式でしたね。
派手なパフォーマンスはありませんでしたが、それだけに歴史的な重みや、
人間らしさを感じる壮大な絵巻を見たような開会式でした。

当分寝不足が続きそうですが、皆で応援しましょう。「がんばれ、日本!」
などと言っているあいだに早速、谷亮子選手、野村忠宏選手 金メダルおめでとう!


私はというと、工場の加藤さんと違い、高速料金所では現金を払い
場所は全国地図をめくりながら、お盆休みを頂いて信州菅平に行ってきます。

最近、我が老車のエアコンが少々弱く、そのうえオーバーヒートぎみでの往復900km!
ン~まぁなんとかなるかな。

止まったら、氏田自動車工作所に電話をしますので、その時はよろしく!!

植田茂夫 でした。。。 


PS:先週の質問「クラウンマジェスタ」のTVコマーシャルで流れているBGMの『リベルタンゴ』の
演奏者、アストラ・ピアソラを教えていただきました、阿倍野区の Mr.Kさん有難うございました。
只今、探している最中です。


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

お盆が来れば思い出す

2004/08/14 氏田 耕吉


今年も「お盆」の時期になりました。

昭和25年(1950年)生まれの私の「お盆」の事を書いてみます。
戦後の混乱も一段落した頃に生まれ、団塊の世代の最終の頃ですから
昭和30~40年代が私の幼少から青年期と言うのでしょうか、、今日はたわいなく書かせて下さい。

私の毎年お盆の始まりは「経木(先祖の戒名を書いた物)」をおまつりし、
お供え物の内、なすびにお箸のサイバシで手足を付けて動物に見立ててお供えすることから始まります。
そして、初日に御迎え団子を作って、お供えします。

そこからは、お帰りになられたご先祖さんに三度、三度の食事を母親が作ってのお供えが始まります。
勿論、一切、肉や魚の無い精進もので家族ともども三日間をすごします。

時間を見てはご仏壇の前で「御詠歌」をあげます。
私のオハコ(?)は「これはこのよのことならず、、」から
始まる「さいのかはらのぢぞうわさん」です。謳いながら実に色々なことを想像してしまいます。
「西国三十三所御詠歌」は最終日の十五日夜、お送りの前に唱えます。
一気に続けられないといけないので、第二番からはじめて、三十三番の次に第一番に戻り、終了です。
これはなかなか疲れますが家族としてのおつとめで皆で唱えるようにしてました。

送りには子供の私が空木箱で作った舟に経木や花、お供え物を乗せてロウソクで灯りもつくようにして、用意します。

今なら叱られますが大和川の川原でお線香をつけてから西に向かってその舟を家族全員でお送りして「お盆」が終了します。
(今はそれらを四天王寺さんへ持っていってます。)

その帰りに食べさせてもらった「氷すいか」、そして解禁された食事の味は忘れられません。

今日の担当は昔話しの好きな 氏田耕吉 でした。


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

ETC初挑戦!

2004/08/13 加藤 宣晶


こんにちは。
工場の加藤です。

段取りが悪く、カキコ遅刻しました…

先月我が家の三菱車に、「ETC」を取り付けました!
自家用車で高速にのって遠方に外出をする機会が
少なかったため、取付に尻込みしていたのですが、
職業柄やっぱり知っていた方がお得かな?と。

ついに先日、初体験!
ETCカードをセットし、出発!
ETC専用レーンを見つけ、恐る恐る近づいていくと、
料金が表示され、ゲートが「パッ」と開きました!
…感動… 
次の料金所(発券所)では「ピッ」音が出て
又「パッ」と開きました!
この2日間で、8回ゲートをくぐりましたが、
慣れてくると減速が面倒になり、
一度90km/hくらいで入っていったら、
ギリギリまで開かず、急ブレーキを踏んだ瞬間に
開いて慌ててしまいました。

ノンストップで通過できる!
財布を捜してお金を出し、領収書&お釣りを…一切無し!
他にも色々有りますが、
売り込みになりそうなのでこの辺で。

最後に一つ。
高速道を走行中に、猛スピードで追い抜かれた
スポーツカー軍団を料金所で一気に抜き返す時は
なかなか爽快でした!


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

代打、「第1回帝塚山まつり」

2004/08/12 氏田 耕吉


激忙(?)の早川さんに代わって、「第1回帝塚山まつり」の話を、
当時、計画した氏田耕吉が書きます。

元々はイヴェント好きな私の思いつき(?)で、お客様への感謝祭をしようと思い立ったのでした。

私どものお客様は、実に多種なお仕事をされております。
つまり、車を使われる、持たれる方はある意味皆さまが
お客さまになって頂ける可能性が有る訳ですから、、、

そこで、できるだけ多くの方々のご協力を頂いて、
当時、はやり始めたフリーマーケットを中古車展示場のスペースを使って開催する企画をたてました。

昭和62年(1987年)、最初の名称は「お~きに祭」でした。
その年の6月、祭り好きな私はまず近所の夏祭りの日程をカレンダー形式でチラシに作り折込、
その中に8月1日、2日「お~きに祭」開催予定とし、
「おもしろ市」と名づけたフリーマーケットを募集しました。

結果、応募は0(ゼロ)。反響も一切無しでした。

まあ、出店はお客様の中から気の知れた方々にお願いしておりましたが、
やはりちょっとショックでした。

開催までの不安は表現のしようが無いくらいでした。
当日の土曜日も夕方開催を前に朝から準備を始めていても
世の中は実に冷静にさめた雰囲気でした。
おまけに始まる直前に大雨で大変でした。

夕立だったので準備を始めていると、まさに雨後の竹の子状態が起こってきました。
人人々、、が、まさに押し寄せてきてのスタートになったのでした。

出店のほうはジーンズショップさん、植木屋さん、おもちゃ屋さん、服屋さん、をはじめ、
みんなで慣れない的屋さんの真似事をお願いしました。
かき氷、綿菓子、金魚すくい、ヨーヨーつり、ポップコーン、わらび餅まで、、、

出し物は参加自由のスイカ割り、何でもオークション、
卸売り市場直送の青空市場、中南米音楽「フォルクローレ」の演奏も有りました。

とどめはいまだに続いている、自分で作る富札抽選会でした。
150坪の会場一杯の人人人々、、、、、

そんな、手創りの祭は第3回からは「帝塚山まつり」として、より多くの方々のご協力の下、
もう17年も続いてきました。
第1,2回の写真での社員メンバーさんの若かりし容姿に
驚かされます。私事ながら、
自立の齢を迎える息子たちが小学生、富札の司会を務める娘は何と2才でした。

そんな歴史(?)を重ね、今年も8月の21、22日と行われます。

21日、来週の土曜日ですが、2時からの子供だんじり、みこし巡行をスタートに夜の盆踊りまで、
日曜は朝の10時の読売24時間テレビのキャラバン隊の取材から4時の富くじ大抽選会まで
フリーマーケットともども盛りだくさんです。

出店もボランティアも遊びに来ていただいても、
とにかく皆さんの関わりで祭を作り上げていただけたら、
と思う今日この頃です。

今回ののスケジュールは
http://www.ujita.co.jp/matsuri.htm
でご覧いただけます。

当日は帝塚山の南港通りでお待ちいたしております、
是非とものぞいてみて下さい。


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

夏が来れば思い出す

2004/08/11 氏田 裕吉


心のこもったメッセージをお伝えします。

夏が来れば思い出す。。。

学生時代にYMCAというところで青少年育成のボランティア
活動に参加しておりました。

子供たちと一緒に、キャンプなどの野外活動やスキーをしたり
しておりました。

その中での思い出の一つに、子供たちと徳島県の阿南市にある
キャンプ場で過ごした8日間があります。

海に面したキャンプ場で、小学生から高校生の子供たちと一緒に
ヨットやカヌーなどのマリンスポーツをしたり、無人島に行ったり、
近くの街にある教会に泊まりに行ったりしました。

8日間の最後のお別れのときは、みんな涙を浮かべて「さよなら」
を言ったを覚えております。

あの子たちも今は大きくなったんだろうな~。

学生時代の夏の思い出でした。

元気があれば何でもできる。 今日もがんばっていきましょう。

氏田 裕吉


Comments: コメントは受け付けていません。 Tags: 

カレンダー

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  
投稿 (RSS) 投稿 (RSS) 投稿 (RSS)

バックナンバー

スタッフブログの最新記事


リンク集

サイト内検索


Go Top
S
S
S