2021/06/25 氏田 耕吉

古い時代の米国車でよく見かけた
今にも飛んでいきそうな「テールフィン」

これは1948年発売のキャデラックが
ロッキード社の航空機P38をヒントにしたのが
そもそものブームの火付けだったようです

トヨタのクラウンはもちろん、
プリンスのグロリア、日野コンテッサなどにも使われてました

こんな車の企画展が
トヨタの博物館で
「テールフィン ラブ」と銘打って7月4日まで開催されている

ただ、今現在は国際基準で「R26」という
乗用車用外部の突起!と言う規定で
テールフィンのようなデザインは認められないようです
懐かしさとワクワク感にひとり微笑む氏田耕吉でした、、、
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2021/06/18 氏田 耕吉
取りためてたビデオチェック

「バカリズムのネオクラシックカー」
「S6とヨタ8」 を 徹底比較
ホンダS600のエンジンは
水冷直列4気筒DOHC 当時の最先端
1気筒当たり何と150cc
トヨタスポーツ800のエンジンは
空冷の水平対向2気筒 実にシンプル
これは1気筒あたり400cc!
懐かしさにしたりながらに
ビデオ鑑賞する氏田耕吉でした、、、
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2021/06/11 氏田 耕吉
2014年に初めて行った黒川温泉!
そこで発見した「耕きちの湯」

着いた瞬間に硫黄の香りがして、、、
入湯したら貸切状態で、まさに秘湯に来た思いに
古い建物、あったかいお湯に
隠れ家を見つけたおもいでしたが、、、、
例の熊本の地震でポンプが故障してしまい
閉鎖との情報が、、、

ところが、最新のSNS情報では、、、
今秋再開の情報が

うれしい知らせによろこぶ
(氏田)耕吉でした〜
また落ち着いたら是非行きたい!とおもいます
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2021/06/04 氏田 耕吉
今年も帝塚山音楽祭、5月開催は断念!
コロナで今までの生活の多くが変換を迫られていますね、、、
過去の思い出が交錯します、、、

2019年、この年の音楽祭ではめちゃくちゃはじけてましたね❗️
初生のYouTubeライブ❣️生配信❗️またお時間ありましたら、、、
https://youtube.com/playlist?list=PLzoWmFJBie8IVEPV5mYnwtCWu5l6wWJsp
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2021/05/28 氏田 耕吉
阪神西武の交流戦、最高のナイトゲーム!
三転四転のシーソーで、
9回の表、やっと同点にしたところで
佐藤輝明こと「てるてる

」登場
解説者が言うに、
今日はホームラン2本打ってるから
ここでもう一本ホームランを打つと最高でしょうね

でのスリーランホーマーで逆転勝ち

1打席目ホームラン、
次は三振、
3打席ホームラン、
次は三振、
そして5打席目に ホームランの1試合3ホーマー

阪神顔!とか
通天閣打法!とか
「ホームランか三振」と揶揄されようとも気にせず頑張れ!
可愛く
ももいろクローバーZ

(^^)
新人の一試合3本塁打は長嶋茂雄以来の63年ぶりとか、、、
野球観戦の楽しみが増えた氏田耕吉でした、、、
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2021/05/21 氏田 耕吉
工場のすぐお隣の1階店舗の軒先が
なにか雰囲気慌ただしくって、、、

ちょっと覗いてみてると、、、
そう、燕(つばめ!)の巣が、、、
ひさしぶりのツバメが
今年は二年ぶりに帰ってきたんですね〜

さて無事に卵から雛は?
そしてその雛は成長して巣立っていきますかね?
しかしながらその習性は不思議なものですネ
子供のころは伝書鳩で競翔に明け暮れてた氏田耕吉
なつかしく見入ってました、、、
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2021/05/14 氏田 耕吉
お墓に月参り
に行ってきました。
その私どもの菩提寺、浄土宗 浄光寺さんには
お寺の敷地にお地蔵さんもあります。

その「油かけ地蔵尊」には
油を掛けてのおまいりです
お寺とお地蔵さんですが、
どちらも仏教からでたものですが、
ご本尊をはじめとして、全く別のものなのでめずらしいかたちです。
この浄光寺は昭和20年6月1日の大阪大空襲でほぼ全焼の為、
「油かけ地蔵尊」のことは口伝えですが、、、
「江戸時代末期の初夏、住吉地方に疫病が流行したおりのことに由来するとのこと〜

以前に今は亡き前住職、長岡義孝師にお話しをお伺いしたことが、、、
私どものホームページの会長の対談
http://ujita.co.jp/社長紹介/社長の対談/長岡-義孝さん/
にあります。
政治と宗教のお話はなかなか取り上げにくいのですが、
コロナ禍のおり、もしご興味がありましたら、、、
氏田耕吉 でした、、、
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「油かけ地蔵尊」の由来というのも書きものとしては残っていないのですが、
戦後に地蔵講の人々が口伝えに伝えていたものをまとめたのです。
そのまとめたものを紹介しますと…
「昔、この地蔵は、故あって住吉の東長居の里に移されたが、
浄光寺の岌誉上人の夢に現れ「長居の里は化縁拙(けえんつたな)く、吾れ本懐に非ず、願わくば大領に移せよ」
と言うので上人が弟子達を引連れて行くと、
地蔵堂は傾き、香華も絶え、痛々しい有様であったのでこの寺に運んでおまつりしたという。
そして江戸時代末期のある年の初夏に住吉地方に疫病が流行した時のこと、
董信女という信心深い老婆が吾が子の病を治そうとこの地蔵尊に参籠祈願したところ、
満願の夜、いずこともなく異香漂い、心身が爽快になるのを覚えた。
その時「吾が身に油を注げ。吾れよく堪え忍び、一切衆生の、今世、未来め苦難を救うべし」と
お告げをいただき、ふと尊像を見れば三つに割れて倒れていた。
恐る恐るもとの座に復してお参りしたところ、やがて吾が子の病気も治り、
近隣の人達も次第に本復したという」ということだったそうです。
油とホコリでドロドロお地蔵さまは 顔も見えず今も私たちを守ってくださっておられます、、と。

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