今回の、行先は 大阪から3時間の
北陸 「日本自動車博物館」 !
建物は、と言うと、、、、
こちらでは3階建の建物 (外装2階建)更には中段有っての実質5階建(?)、、、、、、
まずは正面入口入ってすぐには、大物(?)三台、右端はプレート付きの現役!
そして、後ろも全部、、、、
いきなり凄いクラッシックカーが勢ぞろい!!
ちょうど、スカイラインとクラウンの特集やってました。
まずはスカイラインコーナー
歴代のスカイラインがずらり!
決していい管理とは思えませんでしたが(?)
「走り続けて50年」 12代目まで、、、、、、色々、思い出しますね。
この、『 S5# シリーズ 』 なんて、「54A」、「54B」への憧れ、、、、
更には 、小学校時代からの憧れ、
プリンス スカイラインクーペ、が有りました。
かっこいいですね!
モータマガジンの 「絶版名車物語」 によりますと、、、、、
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プリンス・スカイライン・スポーツ(BLRA-3型)
PRINCE SKYLINE SPORTS
DEBUT:APR.1962. MAX SPEED:140km/h
ミケロッティ作、日本のドリームカー。
イタリアン・デザイン導入第一号車
スカイライン・スポーツは、日本車として最初にイタリアン・デザインを取り入れた車として、歴史に名をとどめている。
1960年11月のトリノ・ショーで、プリンス・グロリアのシャシにジョバンニ・ミケロッティが2ドア・クーペとコンバーチブルのボディを架装して出展し、注目を集めた。
チャィニーズ・アイと呼ばれたデュアル・ヘッドライトを45度傾けた異色のフロント・デザインがポイント。
1961年の東京モーターショーにも展示され、1962年4月から市販に移された。
エンジンはグロリア用のGB4型直4OHVだが、吸排気系のチューンにより、出力は94馬力に増大している。
サスペンションは前輪:ダブルウイッシュボーン/コイル、後輪:リーフスプリングのド・ディオンアクスルを採用。
このあたりは、プリンス自動車の技術の先進性を示すものだ。
第1回日本GP(63年5月)にスカイライン・スポーツも2台参加し、フェアレディ、MGB、トライアンフTR3/4と戦い、結果は10位だった。
価格はクーペが185.0万円、コンバーチブルが195.0万円と、当時のクラウンの2倍、ブルーバードの3倍と、まさに高嶺の花だった。
製造台数は約60台と言われる。
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こんなのから始まって、
走行可能車 500台 との事、私の過去の愛車も有って、本当に楽しく、凄かったです。
さて、ここからが私の個人的な車話です。
まずは、『幻の第一号車』
これは、私の親父が、何を思ったのか? 中学から高校に上がる(?)頃に
「お前が免許取れたら、これに乗れって!」 置いてくれてた 『フェアレディ !! 』
後で聞いたら、
「仕入れたけど売れずに置いてた車」 だったとか?
やがて、いつの間にかその車はガレージから無くなって、、、、、、
次が『幻の第二号車』、、、、、、
『ヒルマンミンクス』 で、
かなり古いんですが、この車に乗れって言われてたんですが、、、、、
ところが、 実際には「免許証」を貰って帰ってきたら、
ガレージには、 この型、『いすず、ベレット』 を置いてくれてました。
だから、 本当の私の第一号車はこれ!。
兄貴が乗ってた「お下がり」で、これを 主に乗り出したんでした。
≪これのコラムチェンジが嫌で、床のミッション部分を穴開けて無理やりダルマ(フロア)チェンジに変更!≫
フロントバンバーにスターテイングハンドルの穴があいてる(バッテリー上がると使う) 『ヒルマンミンクス』 と
改造フロアーミッションの 『いすず、ベレット』 を 兄弟兼用で乗り出したんでした。
それは私の高校生の夏休みからだったんですから、贅沢な 『車人生のスタート』、、、
と、思いきや、その後数日で、病床に伏してた親父の容態は急変、、、、、、
結局、生きた親父を私の運転する車に乗せることが出来ませんでした。
ひょっとして、『最後の贅沢』 をさせてくれたんでしょうかね?
さて、その後は
博物館には置いてませんでしたが、、、
働き出して、自分の貯めたお金で初めて買った車、
『いすゞ・ベレットGT』 (GTRではなかったが?) を経て、、
マツダのカペラロータリークーペ、、、
当時人気のファミリアロータリークーペの10Aエンジンより凄い(?)12Aのエンジンで、これが目茶苦茶ガソリン喰いましたね?
1Lで2-3km? 5kmは伸びず、、、岸和田通いで1か月ドラム1本200Lは使ってました。
その上、エンジンはすぐに吹き抜ける(圧縮が水の方に抜ける!)はで、結構大変でした。
やがて、第一次オイルショックでガソリン不足に高騰と、大変で、
結婚を機に処分しました。
その後は仕事兼用で 『カローラ・バン』 にしました。
これにソレックスのキャブなんかを付けて、リヤーバンバーに車両搬送用のフックも付けてました。
書き出すと切りがないのでこれくらいで今回の「日本自動車博物館」報告を終わります。
氏田耕吉の30年ほど前の思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。
さて、今日はゴールデンウィーク最終日ですが、豊中店、住吉店は、休まず営業。
ご来店お待ちしております。なお、本日私は住吉店に出勤してます。
<ゴールデンウィーク期間中の営業案内>
http://www.ujita.co.jp/data/2009gw.htm