サンゆ倶楽部
2004/06/12 氏田 耕吉
昭和52年(1977年)、今から約27年前、当時北区中崎町にあるマンションの1室に仕事が終わってから友人に連れていってもらいました。
表の戸には「生がい研究所」と「サンゆ倶楽部」という看板が貼ってあったことが記憶にあります。
入るやいなや皆さんから「メメント・モリー」(死ぬことを忘れていませんか?)と握手ぜめ、、、。私が業界以外で初めて入った団体で、異業種交流会のはしりでした。
それから早や四半世紀がすぎました。
「夢」「ゆとり」「ユーモア」の三つの「ユ」を取ってサンゆ倶楽部。良い名称です。
当時のチャーターメンバーの皆さんも今は定年後のリタイヤされた方々が多いですが、当時の代表幹事の高田宏成先生は、私とはふた回りもちがうので、もう7ウン才ですが、ついこの間から「大学院へ通い出した。」と言うくらいの方。
私も心して、他のメンバーさんに負けぬよう自己研鑽にはげまねばなりません。この倶楽部のメンバーとしてふさわしい生き方をせねばと思うこの頃です。
6月16日(水)には森之宮のロビーで久しぶりに私がスピーカーで「愉モア塾(ユーモア-)」を勤めます。
只今、原稿作成中。
又、ご報告いたします。
氏田 耕吉