お盆が来れば思い出す
2004/08/14 氏田 耕吉
今年も「お盆」の時期になりました。
昭和25年(1950年)生まれの私の「お盆」の事を書いてみます。
戦後の混乱も一段落した頃に生まれ、団塊の世代の最終の頃ですから
昭和30~40年代が私の幼少から青年期と言うのでしょうか、、今日はたわいなく書かせて下さい。
私の毎年お盆の始まりは「経木(先祖の戒名を書いた物)」をおまつりし、
お供え物の内、なすびにお箸のサイバシで手足を付けて動物に見立ててお供えすることから始まります。
そして、初日に御迎え団子を作って、お供えします。
そこからは、お帰りになられたご先祖さんに三度、三度の食事を母親が作ってのお供えが始まります。
勿論、一切、肉や魚の無い精進もので家族ともども三日間をすごします。
時間を見てはご仏壇の前で「御詠歌」をあげます。
私のオハコ(?)は「これはこのよのことならず、、」から
始まる「さいのかはらのぢぞうわさん」です。謳いながら実に色々なことを想像してしまいます。
「西国三十三所御詠歌」は最終日の十五日夜、お送りの前に唱えます。
一気に続けられないといけないので、第二番からはじめて、三十三番の次に第一番に戻り、終了です。
これはなかなか疲れますが家族としてのおつとめで皆で唱えるようにしてました。
送りには子供の私が空木箱で作った舟に経木や花、お供え物を乗せてロウソクで灯りもつくようにして、用意します。
今なら叱られますが大和川の川原でお線香をつけてから西に向かってその舟を家族全員でお送りして「お盆」が終了します。
(今はそれらを四天王寺さんへ持っていってます。)
その帰りに食べさせてもらった「氷すいか」、そして解禁された食事の味は忘れられません。
今日の担当は昔話しの好きな 氏田耕吉 でした。