本日より平常営業です!
2008/01/05 氏田 耕吉
新年あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりましてありがとうございました
ながらく年末年始の休暇を頂いておりましたが
全店、本日より平常営業させていただきます
本年も変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます
代表 氏田耕吉
2008/01/05 氏田 耕吉
新年あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりましてありがとうございました
ながらく年末年始の休暇を頂いておりましたが
全店、本日より平常営業させていただきます
本年も変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます
代表 氏田耕吉
2007/12/29 氏田 耕吉
最後に、本日お招きいただきましたポイントで、
育縁、活縁についてちょっとお話をさせてもらいます。
私はいろんなところでご縁をいただけてきてると自分で思っています。
今日の話の通り私は『ご縁』に生かされてるということです。
それは人の縁であったりグループ、団体、組織とのご縁であったり、
言葉と言うのですか、お話とか諺(ことわざ)とかそういう事のご縁である訳です。
このメインテーマであります「育縁」「活縁」ということを考えたときに、
その「増殖法の秘訣」ということがポイントだと思われます。
例えば、私がどなたかとお会いする、また、どっかの会に入れていただく、
そこで何か物事を聞かせて頂く。
いずれの場合にもその人や場所と、私とのご縁を見つける?
ご縁を見つけ出すということに対して、非常に努力します。
こじ付けかも知れせんけども、いろんなことを考えたり、
何かその間の縁を見つけ出す、そしてそれを育てる、活かすということですね。
それが「育縁」「活縁」という事だと思うんです。
私は『ご縁』というのを育んでいくのがどちらかというと得意です。
また一度得た縁というのはやっぱり大事にしたい。
これは「尊縁」というんですかね、
ご縁を大事にしながら人生を生きてきているような気がします。
「尊縁」というのは、縁を敬い、大切にするということだと思うんです。
どっかでどなたかとお知り合いになったら、
できるだけ関係を切らないようにする。
「つかず離れず」とよく言うんですけど、相手さんとの間にちょうど良い間をおく。
昔、人から聞いた言葉で「盛んなときには行くな」があります。
相手さんが異常に調子がいい、景気がいいときには人は一杯集まるから、
そのときには、あえてそちらさんとおつきあいをしてもらう。
ところが相手さんが何か苦境に立ったり、苦しいとか困った時にこそ、
自分はその縁をさらに育てるというか大事にしたいと思います。
また、私はたいがいの会に入ったらよっぽどでない限りは辞めないんですよ。
スリーピングでも絶対続けますね。
そこの会にいて、本当にスリーピングで、えらいメンバーやなと
思われるかもわかりませんけど辞めませんね。
よっぽど何かがない限りは、フロアーメンバー、スリーピングメンバーと
言われていてもそこに在籍してその関係を切らないということが大事かなと思います。
いずれにしろ、私は総括的には会った人、ご縁ができた人、
ご縁ができた団体、組織に対して、どうしたら相手の役に立てるのか、
一体どういうことをしたら相手さんに喜んでいただけるのか、を常に考えています。
ですからそれこそが、
私が『ご縁』のおかげで今日まで生きさせてもらえた、
生活もお仕事もさせてきてもらえたことのキーポイントかと思う次第です。
今日の最後に寺田一清先生が書いておられた、
森信三の「人間の一生」という言葉との『ご縁』を紹介して終わりたいとおもいます。
これを見て私はいつも元気を出してやっています。
たぶん皆さんも心に思われるところもあろうかと存知ます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「人間の一生」 (森信三・魂の言葉)寺田一清著
職業に上下も なければ貴賎もない。
世の為人の為に役立つことなら、何をしようと自由である。
しかしどうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると、、、、.
、
2007/12/22 氏田 耕吉
先日、国民的プロジェクト 「ーチーム・マイナス6%ー 事務局」 から活動への参加およびロゴマークの承認を頂き参加登録番号を受理しました。
そもそもは今年の秋に豊中店に来店された方との名刺交換が縁でした。
その方の名刺の上部に 『みんなで止めよう温暖化 ーチーム・マイナス6%ー』 と有り、かねてより地球温暖化を危惧していた為、特に目に止まったのでした。
インターネットで調べてみると、 http://www.team-6.jp/
深刻な問題となっている地球温暖化。この解決のために世界が協力して作った京都議定書が平成17年2月16日に発効しました。世界に約束した日本の目標は、温室効果ガス排出量6%の削減。これを実現するための国民的プロジェクト、それがチーム・マイナス6%です。
さらに、、、、、
2007/12/15 氏田 耕吉
家に帰ると、、、
これはこれは懐かしい、イスがテーブルに並んでました。
なに? 何故?
これは末娘に使ってたイスで、
その娘も今春から就職。
と、言う事は二十数年前の物、
しかしミッキーも古びても見えず値打ち物?
しかし一体何故今頃、、、、、?
どこかからかわいいお客さんか?
もしや長男に第一子が?
まさか、四人目の子供が、、
(それは無いわな!)
ならば、
帰ってきた妻に聞くと
友人の所にお孫さんが急遽帰国
しばらくの同居に備えての貸し出しとの事。
これにて一件解決。
しかし一体これは我が家の何処に隠れていたのか?
また謎は残り、
いつまでも悩み尽きない
平和な氏田耕吉でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、話は全く変りますが、先般来の出張の成果、
仕入れ車輌が今週末から来週にかけて大量に入荷。
私の好きな、念願のCLSのユーズドカー始め
良いのがイッパイ入ってきます。
今なら年内納車も可能ですよ。
新しいお車での新年は如何ですか?
CMタイムでした。
2007/12/08 氏田 耕吉
次には「夢の具現化」という事について少し話します。
私は人生をかけて、この「夢の具現化」をしていく事が人間の究極の目標だと思います。
その為には限られた時間をどう生きるか、
まさに『人身受けがたし』の心境を何時、自分のものと受け止めるかですね。
サンゆ倶楽部では最初の挨拶に「こんばんわ」、や「こんにちは」でなく
「メメントモーリ」という言葉で、
「あなたは必ず死ぬ、このことを忘れてませんか」と言い合います。
最初は「メメントモーリ」と言われたときに、ピンと来なかったんで、「これは何語ですか」と聞くとラテン語だそうです。
つまり大事なことは、やっぱり「メメントモーリ」(サンゆ倶楽部)や「人生二度なし」(森信三)、
ということであります。
ちょっときつい言葉ですが、何年かしたら今ここにいる人たちはほとんどこの世の中から必ずいなくなります。
人は間違いなく必ず年をとる。親が死んで、友達も死んでいく。
私はたまたま父親が早く亡くなったけれども、これは早いか遅いか、みなさん必ずそうなります。
100年もたったら、誰も周りにはいないわけですから、もしこの事を18歳のときに気がついて気に留めていたら、もっと気合入れて生きてきてた、というようなことです。
ただこの「メメントモーリ」を知ったのが私が27歳でしたから、10年ぐらい損をしたということです。
以前、松原中学校のPTAのお母さん方に「夢を持て(求められる子ども像)」、と言う題でお話しした事があります。
誰でも知ってる、わかってる事なんですが、何故か皆さん自分には例外的に考えたり、
真剣に考えようとしない!だけどそういう言葉で我にかえって真剣に生きて欲しいので話しました。
少しでも早い時期に「メメントモーリ」(サンゆ倶楽部)や「人生二度なし」(森信三)
と言う気持ちになって、各自の夢を具現化するような生き方をしなければ、
折角の人生という機会を損するような気がしますね。
これもサンゆ倶楽部でいただいた「メメントモーリ」からのご縁で気づいた事でございます。
2007/12/01 氏田 耕吉
2年ぶり、5回目の大阪モーターショーが開催されてます。
今回は話題のコンセプトカーや発売前のGTR等には黒山の人だかりです。
輸入車も多い中、東京モーターショーでは展示のされなかった、、、、、、
???も並んでます。
何故か、気に入ったのはVWのコーナー、
ポルシェ、プジョー、フェラーリのコーナーなどで、
ミツオカのコーナーも夢一杯で楽しかったですね。
また、2輪車ではハーレー・ダビットソンも初参加、3輪の改造車も、、、
でもやっぱり AMG かな !
詳しくは、、、 http://http://osaka-motorshow.com/
氏田耕吉でした。
2007/11/24 氏田 耕吉
さてもう一つ言葉のご縁ですが、「成功の反復」というのをサンゆ倶楽部で習った事があります。
サンゆ倶楽部では月1回「サンユ塾」というのがありました。いろんな教科書をくれまして、それを勉強していきます。今はちょっと形が変わりましたが私が入った当時はそんな事で進めてました。その中の、何の本だったか題名は忘れてしまいましたが、「成功の反復」という項がありました。
人間というのは、何か自分で苦しいことにトライして、その苦しいこと、難しいことができたら、それ以後はそこまでは必ずできる、と自分で思えるようになるらしいです。そして、その次、というようにまたやっていける。 人間というものはそんな「成功の反復」の繰り返しであるという。 そしてその成功を少しづつ大きくしていく…そういうようなことが書いてありました。
よく分からなかったのですが、「ああ、これか」と思いました。何かどっかまでうまいこと出来たら、次はそのレベルの事までは行ける。そこまでのレベルは自分で自信を持っていける。つまりステージを上げていけるという感覚で思ってます。
例えば「人前でしゃべってくれるか?」って言われたら「何人ぐらいですか?」って聞いてみて、最大で千人ぐらいは絶対大丈夫です。自信を持ってしゃべれますね。それは何でかと言うと、千何百人ぐらいの議員の応援演説をよくやらされるんです。私はこれを必ず盛り上げられるんですよ。
それを自分で自己暗示をかけてまして、例えば千人ぐらいやったら、この人らを最後に必ず「今日は良かったわー」と言わせるように応援演説をする自信があります。だから近所の議員は必ず頼んでくるわけです。「わかりました。」ってやりますね。好きでも有るんでしょうが、とにかくスピーチで頼まれたら断りませんね。対象が5千人ぐらいやったらちょっとわかりませんが、1度見えへんぐらいの大衆を相手にやってみたいなという思いはありますね。
ところが商売はそうはいきませんね。かって、すごくしんどかったことがありましてね。どうして良いのかわかれへんようになった事があるんです。そのときにたまたま天龍寺の経龍会へ行ってたんですよ。何か悩んでいたときの事です。
国宝級の庭があって池があるんです。池のほうから見たときに建物の廊下に衝立みたいなのがありました。 そこに「登龍門」と書いてあったんです。
要約すると「人間にはどうしても超えれないような壁にぶつかることが必ずある。これを何度も何度もトライしてると、それをぽーんと超えられる。そしたら、そこから一気にいける。」というようなことを書いてあったんです。
はっきり覚えていないし、説明しにくいんですが、それをぱっと見た時に、感じたんです。 天龍寺の国宝の庭でかじかむ手で掃除をしているときに廊下の衝立の言葉が「ストン」と心に落ちたんです。それが、「登龍門」でした。
それがどういう事だったのかは覚えてません。ただ人間にはどうしても超えれないような壁に突き当たることがある。そのとき超えようと努力するがなかなかうまくいかない。ところが何かの拍子でそれをぽんと越えられると、一気に登れると理解してます。
それを見たときに「あ、これが今は俺の登龍門や。これを飛び越えたら俺もいけるんや」と思ってものすごい自信になったんです。「これやー! わかった! 俺は今、ここにおるんや!」と今の自分の場所が見えたような気がしたんです。 この言葉を知ったのが私にはものすごかったです。本当の言葉のご縁とは「これ」なんですね。
それからは何かあって「クー」ときた時には「これは登龍門や」と思うようにしてます。
それから、たまらんぐらい、いじめられて、コテンパンにやられた時には、『攀念痴(はんねんち)』、の三文字、これはお経に出てくる言葉で鍵山秀三郎さんに教えらてもらいました。
『攀』は山を普通に登るのでなく、手足を使ってよじ登る様を言います!つまりは憎んだり、うらんだりするような事がエスカレートする、念のような状態を『攀念痴(はんねんち)』と言うのだそうです。
そう言う憎しみや恨みの攀念痴を抱くと夜は眠れない、食事がまずい、そして体も疲れる。だからこう言う念は持った方が疲れるわけで、持たれた方は平気で高枕です。
だからこそこんなつまらない念を持って人生の貴重な時間をすごさない方が自分にとって多いに得だと言う事です。 これは本当にありがたい言葉ですね。
まだまだ言葉のご縁は有りますが今回はこれくらいにします。