2007/05/12 氏田 耕吉
先日、お客様からご子息が私共の近所で新しくお店を開業される旨を聞きました。
そこはかなり厳しい環境の場所で過去のお店は何れも中々上手くいかず、
直ぐに撤退されてる場所でした。
そこでその方に「厳しい場所ですよ。感じられませんでしたか?」と、
聞いた所、「失敗してみないとわからん(?)、それで息子も初めて勉強になるんちゃう?」と
余裕のお答えでした。
「失敗からの学び」、なかなか言える言葉ではありませんね。
その当日、最終報告でに私共で言うところの小さなD報告が有りました。
これは失敗や、クレームなどの社内用語です。
我社では以前から、社員の失敗やクレームは咎めない、
しかしどんなに小さくとも社内の皆に報告しない事については
厳禁、厳重注意としています。
これも新人当時の最初は何か失敗を皆にさらけ出すと恥ずかしいとか、
恥をかかされてるとか、有りましたが、
これは将来の為のクレームの共有と、今は定着しています。
その夜、テレビを見てると「失敗学」なる学問があることを知りました。
事例は先日の万博のジェットコースター事故、
東京森ビル自動ドアー、エレベーターメーカーの事故、
果てはパロマ死亡事故等、あげればきりがありません。
その大きな事故の何れもが事前に小さな兆候(機微の兆候)
や小さな事故の有った事を隠していた、
即ち生かせていなかった事をとらまえていました。
この機微の兆候に気づいて前もって対策、
また皆が注意をしていれば防げたかもしれないのです。
おこった事を責めたり、責任を追及するのではなく、
何故起きたのか、どうしておけば起こらないのか、なのです。
所謂その失敗を皆が共有し、生かして、
今後起きないようにする、すなわち将来に備える事が
「失敗学」なるものだそうです。
「学」と言うだけに細かく続きましたが、
解説者は東京大学大学院の教授でしたので、捏造ではないと聞き入ってました。
是非とも失敗から学ぶを実践していきたく思いました。

さて「浪速津南阿部野薪能」は今年も5月17日(木)鎮守の森、
阿部野神社境内にて、第21回(委員長加地靖通)を開催します。
問合せは電話06-6661-6243薪能後援会事務局へ)
ホームページアドレスは http://www.abenojinjya.com 。
2007/05/05 氏田 耕吉
ゴールデンウイークに
伊勢神宮に行ってきました。
「一生に一度はお伊勢さん」の
『お伊勢まいり』です。
今回は礼に従ってお参りいたしました。

御祭神は天照大御神、
御鎮座は今から2000年の昔だそうです。
実際、樹齢1000年をはるかに越える木々に囲まれた内宮は壮厳でしたね。
まずは宇治橋、
内宮への入口で、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれているそうです。
宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、
身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
次に雨でもありましたので、
手水舎で、手を洗い、口をすすぎました。
これは川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものだそうです。
手水の仕方にも作法があるらしく、
まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。
次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。
柄杓から直接口をつけるのは不作法とされているそうで、気をつけねばなりません。
実は天気のいい日に使うと言う
五十鈴川の「御手洗場」で、
口と手を清めることが本流だそうです。
さて、その後は内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)を左手に見ながら、
ひたすら、正宮に向かいました。
ここは垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年です。
4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。
残念ながら私どもは白い幕の前からのお参りでした。
ここは20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてまして、
いつも遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。
お参りの後は 『おはらい町』 と『おかげ横丁』 を覗いて来ました。
お土産は勿論 『赤福』、
これは『おはらい町』の赤福本店で買い込みました。
昼食には鳥羽まで足を伸ばして、
めちゃおいしい、エビフライを
『漣』 さんで頂きました。
本で勉強してのお伊勢まいりだっただけに大変充実してました。
やっぱり、事前準備が大切、と痛感した氏田耕吉の報告でした。
2007/04/28 氏田 耕吉
テレビで
大リーグ、松阪 対 松井 の初対決を見ました。
しかし二人とも、格好イイ ? ですね。
どちらが勝っても、負けてもいいんじゃないですか。
(プロに対して失礼かな?)

松阪のセットポジションの立ち姿、
そして、一連の投球フォーム、、最高に格好良い。
対する松井のバッターボックスでの立ち姿、、、
何とも言えませんね。
そう言えば、イチローのも同じ、
子供が真似するほど決まってるんですよね。
そこで気づいた事。
やっぱり、出来る奴は格好が良いんですよね。
出来るから格好が良いんではなく、
まずは格好良くないと出来る奴にはなれない!
朝からそんな気がしました。
格好良くする、格好良く生きる、決意した氏田耕吉です。
PS; ところで大リーグの先駆者、
トルネードの野茂さんにもまた、頑張って欲しいですね。
2007/04/21 氏田 耕吉
今の私の読んでる新聞は日本経済新聞、
通称、日経新聞です。
子供の頃は新聞の読むところは最終ページのテレビ欄でした。
実は今も、同じく最終ページです。
日経新聞の最終ページには私の好きな項が三つあります。
その一は連載物、今は「世界を創った男、チンギス、ハン」。
ちなみにこの前は『愛ルケ』(?)、例の渡辺さんの話題物ですが、
決してそれはお目当てではありませんので念のため。
その二は『交遊抄』、これは友達好きの私には欠かせませんね。
そして最後はその三、『私の履歴書』で、まず読み残して来た事は
殆んどありません。
今はセブンイレブンの鈴木敏文会長です。
いつも勉強になるいい事が書かれてますが、
昨日は特によかったですね。
イトーヨーカ堂の素晴らしい歴史からのセブンイレブンの立ち上げの歴史、
そして、次の問題です。
『業革』、すなわち業務改革委員会の話です。
どんなすばらしい会社、組織であっても問題は起きてくるんですよね。
それをどう解決していくか?なんですね。
しかしそこで主人公、鈴木敏文氏にB型肝炎の発症、その中でのつらい3年間の物語、
ノンフィクションだけにすごいですよね。
さてこの私、氏田耕吉にはどんなノンフィクションが待ち受けてるのか?
楽しみにしながら、仕事を、人生を味わって行きたいと思います。
「さて、主人公 氏田耕吉はいかなる方法でこの難問を解決していくのでしょうか?
、、、、、、、続く、、、、、、、
2007/04/14 氏田 耕吉

小中学校からの友人達です。
住吉小学校、住吉中学校と一緒に学んだ(?)仲で
高校時代からも続いて、やがて順番に結婚。
お互いの夫婦でのお付き合いの始まり。
そして、一時期は子供を交えて家族ぐるみのおつきあいで
毎回大人数でのイヴェントの思い出。
最近はその子供達も順に巣立って社会人、はたまた、新家庭
最近はこのようにもっぱら夫婦での食事会です。
恒例の花見会の食事風景。
(ちなみに私は写してる方で、写真には写ってません)
共通して言える事は女房族が年々強くなってきてる事でしょうか?
これは困った、と言うより
長続きのコツなんでしょうかね?、と
何となく一人納得する氏田耕吉でした。
2007/04/07 氏田 耕吉
高校以来の友人、菊川さんからのメール
「子供達がホンダのモビリオスパイクを欲しがってるけど
探してくれる?」
「しばらく時間をください」と返信。
「知り合いの同業者に入ってきそうやけど?」 「任せるわ」
「中々いい車やけど」 「任せるわ」
「取ってきたけど、何時みに来れる?」 「書類と振込先教えてくれる?」
「見にけえへんの?」 「もうええよ、後頼んどくわ」
このヤリトリを聞いてた部下が、
「楽なお客さんの楽な商談ですね!」
「アホか、こんだけ任されるほど、責任重大な話はないぞ!」
そう言えば、後ろに写ってる車始めここ3台は車種も条件もお任せだったんですよね。
久しぶりの車種指定、気にいって頂ける事切望です。
何か有ったら責任重大、
どうぞ、よろしくお願いいたします。
氏田耕吉

2007/03/31 氏田 耕吉
お花見の時期になりましたね。
今年は温暖化のせいか、やけに開花が早そう?なんて
思ってましたが、ここに来て例年並に感じます。
今年も来週、恒例の社内のお花見を計画してます。
場所は我が社、創業の地、工場のすぐそばの
『万代池公園』。
正確には「ばんだいいけ」とかいわれてますが、
別に「まんだいいけ」でも十分伝わります。
ここは池を中心に周囲約750米を周回する遊歩道に沿って
すばらしい桜が見れます。
我が家の3人の子供はそのすぐ脇の
万代幼稚園へ通ってました。
桜にはいろいろな思い出があります。
ちょうど、来週が満開、一番の見頃になりそうです。
ここは、入場無料、24時間いつでもオーケー、
路上駐車も側道で夜ならしばらくは大丈夫です。
皆さんも是非一度足を運んでみて下さい。
必ず感嘆されると思います。
交通の便は、南海がおすすめです。
阪堺線 帝塚山3丁目 下車東へ2分。
南海高野線 帝塚山駅 下車東へ5分です。
地下鉄だと、御堂筋線 西田辺から西南、
四ツ橋線 玉出から東南へ各々歩いて15?20分はかかります。
そのあたりだと、どこで、誰に聞いてもわかります。
ではよきお花見を、、、 氏田耕吉でした。