社長の講演〈その3〉 6、「積善の家に余慶あり」

2007/10/20 氏田 耕吉


かって森信三先生の『修身教授録』というのをうちの店長教育に使っていました。
なかに「人身うけがたし」という項がありまして、それをコピーしてきました。
私のホームページ『社長の講演』〈その1〉の「人生二度なし」に載ってますから興味があったら読んでください。

解り易く言うと
「あんたは人間として生まれついた有難さをわかっているのか?」という項目があるんです。
あんたの力でこの世の中に生まれてきたのではなく、また今持っている能力というのは
両親やご先祖さまの能力の引継ぎやと。

今わたしたちが持っている能力、例えば今この中に超天才がおられても、
その人が自分の努力やと言うかもしれませんが、
それはそうじゃなくてご先祖さまからのたまたまDNAであるわけで、
そんなものを自慢してはいけないわけです。

たまたま自分が男前、たまたま自分が美人であろうとも
そんなものは整形手術でもせん限り、親やご先祖さまからの与えられたものなんです。

それを思ったときに人間の力は本当に些細なものなんちゃうんかなと思ったわけです。

この間、松下政経塾の元塾長上甲晃さんの「志ネットワーク」の創立10周年で東京に行ったときに、
『命の祭り』という本を頂きました。
この本に書いてあるんですよ。
「私が1人でお父さんとお母さん、そこには各々お父さんとお母さん、
すなわち、おじいちゃん、おばあちゃんが4人おる、これをずっと遡(さかのぼ)っていけば、、」という話です。 これは全部人間の数なんです。

以前、幸之助さんが思いついた「万物生成発展の法則」というのがあったらしいんですよ。
この言葉ともう1つは「宇宙大根源の法則」ということを年いかれてから、いきなり言い出したらしいです。

「上甲くん、不思議やと思えへんか。わしが1人おって、親が二人やと。
そうするとその両親、おじいちゃん、おばあちゃんが4人やと。
これを遡っていったらどないなんねん」ということをおっしゃったらしいんです。

「ずーっと遡っていったら莫大な数の人間がおって、
ひょっとしたら莫大な人間な数はその当時の地球の人間を上回ることがあった時はどないなるんや」と、
こういう質問をされたらしいんです。

「これは不思議ですね」と。
皆さんおわかりやと思うんですけども、
私が1人ですね、お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、これで7人居るわけです。
これを自分が一代目として二代、三代と二十代に遡って三角形にとってみたら何人になるか
ご存知ですか? 知ってはる方、ちょっと言っていただけませんか。想像で言ってください。

そうですね、
遡ったら100万人ですよ。たった二十代遡っただけでですよ、たぶん200?300年ぐらいですかね。
ということはそれをもっと遡っていったらどないなるか。

そして、その血が脈々と今の自分に流れてきているわけですよ。

と言う事は私が偉そうに言っても、実は私がやったことではなくて、
ご先祖様のおかげが今きているだけなんです。

もう1つ言えることは、言葉が間違っているかも知れませんのでご勘弁いただきたいのですけど

「親父やお袋が精一杯生きてきたおかげが私にきている」と言う事です。

そうすると「私がどんな生き方をしてもええんか」ということになるんですけども、
私がせいぜい精進して一所懸命生きておかんと、
私の子どもたちや一緒に仕事してる人が良い目が出来ないということを感じるようになったんです。

これを、「積善の家に余慶あり」と言うんでしょうかね。

さて話は変わりますが私は非常にお墓参りが好きです。
父親を亡くして、ちょっとしてからお墓参りに行くようになりました。
うちの親父が8月10日、母親が4月19日なんで、月2回はお墓にお参りします。
何をお参りするのか、言うと、ご先祖さんにお願いするというより報告ですね。

元気でやらせてもらってます。こんな事が起こってますが一生懸命やってみます。
結果は一体どうなっていくんでしょうかね、、、、とです。

そんな事を思いながら、
『ご先祖様のご縁』のお陰で生かしてもらっている事を実感しています。


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朝の一服

2007/10/13 氏田 耕吉


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 さて、これらは、、、、、

私の一日の始まりには欠かせない物、

そうそれは「朝の一服」です。 

元々のお茶好きは、亡き母伊保子の入れてくれる朝の一服でした。朝一番に入れたお茶をまずはお仏壇にお供えして、その時の一杯を一緒に頂く物です。最近は子供の無かった亡き叔父(カトリックなので位牌などは無し)の遺影にもお供えして一緒に頂いてました。

何故、頂く、でなく、頂いてたのか?

そう、この夏の暑さでさすがに熱いお茶を飲めず、しばらくはアルカリイオン水だったからです。

そろそろの復活に備え、、、、、、

お茶のブレンドで準備を始めました。

色々な茶葉をブレンドして自分だけのお茶を作るのは中々いいものです。これはお客さまの木原会長から教えていただきました。

然るにこの写真の茶葉は或る所で作った方々からじかにわけていただいた物だったんですが、どうも、、、

おいしくブレンドできません。かといって捨てる訳にもいかず、試行錯誤しながら、ブレンドは続きます。

おいしい!と感激のお茶にめぐりあえたら、また報告いたします。では、、、、、、、氏田耕吉 でした。

追伸:最近続けていた社長の講演3のテープお越しは今日の間にあわず、出来次第「社員のひとりごと」の方にアップさせます。ご了承ください。

 

 


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社長の講演その3 <5、街づくり活動二十年>

2007/10/06 氏田 耕吉


さて、私の活動の中に「街づくり20年」があります。

地元の帝塚山で街づくり交流会というのをやっております。やっておりますというとおおげさなんですが、ある人に呼び込まれて、と言うかアドヴァイスを受けて「帝塚山街づくり交流会」というのを起こしたわけなんです。

ちょっとだけ端折って話をしますと、帝塚山の中心的な場所に中村禎二さんという日本画家の方の家がありました。亡くなられたときにそこの敷地が売られて更地になったんです。帝塚山で生まれ育った私は更地になったときに何か建つんかなと興味を持ったんです。

壁が崩されたら中に大きな看板がありまして、「帝塚山らしさって何やろ?」って書いてあったんです。「なんやこいつ?」と思ったんです。 当時、帝塚山では世代交代が進んでいて、大きな家がつぶれたらマンションが建つ、建売ができるというパターンやったんですね。ところがその跡地には残され事務所代わりの蔵と、「帝塚山らしさって何やろ?」という看板があったんです。

そこに入っていったというのがこの街づくり活動の話の始まりなんです。それが昭和58年です。サンゆ倶楽部入れていただいてから5年ぐらいたってるころで、年齢も若かったし、こちらもいろんなことができる頃やったと思うんです。

そこからとりあえず、知り合いを2人、3人集めて、3人が9人を集めて9人がさらに20人を集めて「帝塚山街づくり交流会」というのをやり出しました。最初のイベントを始めてから今年で20年になるんです。

今はこの地域には大きなイベントが3つほどありまして、5月に「帝塚山音楽祭」これは数万人を動員するぐらいのすばらしい音楽祭です。8月にやりますのが「帝塚山まつり」と言いまして、読売の『24時間テレビ』と協力してます。たまたまうちのとなりに大屋政子さんが病院を持っていたということが縁で、大屋さんと親しくなって読売テレビを巻き込んでずっとやっております。もう1つは帝塚山でゴルフの好きな人を集めて「帝塚山ゴルフカップ選手権大会」という名前で地域のゴルフコンペをやります。これは19年目です。

自分で言うのもなんですが、これらの活動は本当にすごい事です。 そういうふうなことをやってるんですけども、,,,,

 

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社長の講演<その3> 4、団体、組織での 「ご縁」

2007/09/29 氏田 耕吉


 

さて、サンゆ倶楽部のおかげで、私には先ほどから何度も言ってような「ご縁」がいくつもあります。

 

入会していきなり高田先生に塾の担当を当てていただきました。

当てられたと言うと聞こえがわるいですが、そのときの教科書が

「ライフワーク実践ノート」というタイトルでした。

 

この本を読んで1ヵ月後にそれを皆の前で報告し、塾を進めないといけないのです。

 

私にはもうたまらんかったんですね。

このサンゆのメンバーさんだからはっきり言いますけど、

実は、その当時、私 は

本は読まない、新聞も読まない、

ラジオを聞かない、テレビも見ない、

そういう事は一切、やらないという人間やったんです。

 

当時はサンゆ倶楽部に行って、それを自慢げに喋ってましたね。

「パーソナルコミュニケーションや。人との対話、人との交流で生きていくんや」と

偉そうなことを言ってました。

 

たぶん、メンバーの皆さんは笑いながら、「この青二才は何を言うとんのか」という感じだったと思います。

サンゆ塾で「とりあえず、この本を読みなさい」と言われても学校の宿題やないからね、

その本を読んで、レジュメを書くいうのがたまらんぐらい嫌やったんです。

 

 

ところがその時に読んだ「ライフワーク実践ノート」、

その後サンゆのロビーで、勉強(?)した「KJ法」とか

「ブレーンストーミング」とかいうのを本気で教えていただきました。

 

それらが私にとっての自己啓発への入り口やったと思います。

それから非常に自己啓発に興味を持つようになりました。

それまでは何も知らんと30年足らず生きてきたけども、

それを読んだときに思わず膝をたたきたくなるような、

「そういうことやったんか、それでこうやったんや、あーやったんや」

というのがいっぱい分かってくるわけです。

  

他にも座禅がええらしいと言う事で天龍寺に行きました。

座禅をするのにサンゆ倶楽部から関連の「経龍会」に入れていただきました。

何もわからなくて初めて行ったんです。

 

その場では薄い本とかコピー等を使って、平田精耕さん(現管長)から法話いただきます。

座禅中の警策(けいさく)は田原和尚(現、寶厳院http://www.hogonin.jp/)にやっていただいてました、、、、、、 

 

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写真は今の寶厳院の名庭、

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社長の講演<その3>  3、本ものの生き方

2007/09/22 氏田 耕吉


3、本ものの生き方 ( 岡田徹詩集から ) 

 

今日のサブテーマの「ご縁に生かされて」というのは人、言葉、

そして組織とか、また後に出てきますが、

諺(ことわざ)とかも含めてお話したいと思います。

 

今日の資料の中に「本ものの生き方」というコピーを入れさせてもらっています。

 

これはサンゆ倶楽部が中崎町の「生きがい研究所」の看板のある所でのゲスト会の事です。

当時ミスタードーナツの北山勲校長に講演を聞かせていただきました。

 

ダスキンやミスタードーナツの創業者である鈴木清一さんのすばらしい話の時に、

資料の中の「本ものの生き方」を北山さんがお話になられたんです。

 

ちょっとだけ読ませてください。

  

「本ものの生き方」 ―商売に生きるー

 

金さえ儲かればよい

それが商売というものだとこう思い込んで

あたら働きがいを

あくせくと過ごしてしまってはいないだろうか。

 

―― 何がしかの生計の資(もとい)を得たいばっかしに

あなたは今日もペコペコと頭を下げ

うわべだけの笑顔をつくり

モミ手をしながら嘘八百の説明をして

僅かのゼニをお客から奪おうとしている

そういう商売の仕方を

恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!

 

もし商売というものが

自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ

人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして

わずかのゼニをつかむだけのものであるなら、

今日限り

そんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。

 

親子五人、­モク拾いしてでもよい

ニコヨンになってでもよい。

もっと生きがいのある、

もっと誠実にくらせる、

そして

モット大手を振って大地を行く

生き方をしようよ!

 

―― だが、私は信じる、

あなたがいよいよ今日

死ぬという間ぎわに

あなたの子どもたちを集めて

 

「お父さんは立派な商人だったよ」と

ハッキリと、自慢のできる商売の道がある

―ということを。

 

 

   

これを見せていただいて、先ほど言いました幸之助さんの

「適正利潤」の次に

これこそ、最高の詩を贈っていただいたな、と思いましたね。

 

家に帰ってカレンダーをちぎって裏に大きく、全部書きました。

そのときは末娘がまだ生まれてなくて、実は親子4人やったんで、、、

 

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社長の講演<その3> 育縁、活縁   

2007/09/15 氏田 耕吉


育縁、活縁   ご縁に生かされて

         2006.6.21.サンゆ倶楽部ロビーでの講演から

  1、      異業種交流会「サンゆ倶楽部」 

 今日は「育縁、活縁」というテーマで「ご縁」についてお話させて頂きます。

昔から私は「顔が広い」とかよく言われます。

勿論、顔の面積?の事ですが(笑?)、、、

 

今年のサンゆ倶楽部のテーマでも有ります、

「育縁、活縁」の人様とのご縁こそが、

その人付き合いや人脈に繋がってると思います。

 

 

 

まず最初は「サンゆ倶楽部と私」ということで始めます。

私がサンゆ倶楽部に入れていただいたのが、昭和52年です。

27歳でしたから、足掛け30年ほど前ですかね。

同業の吉田常男さんに連れられて、

大阪、北区の中崎町の例会場に寄せていただきました。

いきなり連れていかれた、そのマンションの一室の入り口に

「生きがい研究所」と書いてありました。

 

「なんや、これは、変な宗教団体かな?」と思って

入っていったことを思い出します。

 

入るやいなや「メメントモーリ」ということで握手を求められた訳です。

このサンゆ倶楽部では、今日も何人かの方と握手したのですが、

それが挨拶ですよね。

 

会ったらいつも握手をするんですね。

『メメントモーリ』はラテン語の宗教用語で、

「あなたは死ぬことを忘れてませんか。」と言う事だそうですね。

しかし相変わらず、高田宏成先生のが一番強烈ですね・・・ 

その時も一番思いがこもっているという思いで始まりました。

 

 

私にとりましては、このサンゆ倶楽部で学んだことが活かされて

今日の自分があると思います。

これこそ一番の「ご縁」かなと自分では思っております。

 

ちょっと話は前後しますが、私の家はもともと自動車の修理工場です。つい最近『ALWAYSー3丁目の夕日ー』という映画があったんですが、見られた方おられると思います。

かなりの人気で、日本アカデミー賞を取った映画です、、、、、、

 

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中学校時代を思い出して、、、

2007/09/08 氏田 耕吉


同窓会をするとか言う話から、
色々と中学時代を思い出しまして、、、、、

以下は、社長の講演その1 (ホームページ) からです。

●<第6回:中学時代の反抗期>

しかしその後はお決まりの反抗期です。 
中学生になってからは、父親に逆らったり、
けんかしたり、先生に逆らったりしてました。

私たちの時代は団塊の世代のちょうど最後の方なんです。 
大阪市立の住吉中学校を出てるんですが、
当時の中学校の1学年は750人もいました。 

住吉中学はなかなかの有名校で、
その成績上位の100人のうち半分ぐらいは越境入学なんですね。 

750人居る上に、6時間授業がビッチリあって、
それ終わってから補講がまだ2時間あるんですよ。 

だから中学の3年になったら8時間授業なんですね。 
2年まではいいんですけどね、3年になったら、
当時の教頭先生が中学3年生を集めていきなり、
「睡眠時間は5時間から6時間。それ以上寝てはいけない。 いくら寝ても無駄や」
とか言ってましたね。

とにかく「勉強しなさい」とか、言うのですよ。
学校でホームルームの授業は「自習時間にします」とか言って
予習とか復習の時間になってました。 

ほんまにすごい学校だったんですよ。  

僕は親から勉強しろなんて言われたこともないし、
面白く中学1、2年まで来てましたのに、
いきなり3年になって何んで?と言う感じでした。 

3年の担任の保田信冶先生は当時はまだ新任で、
「僕は初めて3年生を持つけど、君らももう3年生になったから、
とりあえずホームルームは無しにする。 
今年1年間ホームルームは無しで、
その時間は予習時間、自由時間にして、質問は全部自分が受けます。」
と言い出されたんです。

いろいろ納得できない事なので、
まず一番にホームルームを戻してもらう事にしました。 

私はいきなり先生に、
「それはちょっとおかしいんじゃないですか、それは教育の何とか(?)に合ってない」
とか適当なことを言ってたんでしょうね、きっと。 

そしたら、当然生徒は皆で全員賛成しますよね。
「そや、そや、そんなあかん、あかん。もうそら、ホームルームはホームルームとしてやるべきや。
先生、やっぱり民主主義は多数決ですよ」
とか言って先生に反対するんです。 

変なところで私はそういうことをやるんですね。そんなことをして来たんで、
先生からもたぶん恨みをかってたと思うんです。

 病弱だった割りには体は大きくて、声も大きく、
特徴が有ったので、よく目立ちました。 

本当に学生時代はいろいろなことがありました。

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気が向かれたら、続きです( http://www.ujita.co.jp/koen1.htm )、、、、、、、

(さらに…)


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