ホームレス中学生

2008/03/22 氏田 耕吉


昨夜は休肝日、食事が終わって
テレビを見だすと金スマで

麒麟・田村裕の

「ホームレス中学生」を取り上げてました。
 早くに100万部突破 で200万部目前とか?

以前から話題になってたのは知ってはいましたが
又、いつものお笑い芸人の
作られた話かと思って見ていましたら、、、、、、

ところが、どっこい

(さらに…)


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レーダー探知機取り付け

2008/03/20 加藤 宣晶


こんにちは。
工場の加藤です。

今日は祝日♪
工場メンバーは週の中日でお休みを頂いておりますm(__)m

で、アップ遅刻しました!
いつもは朝までに書き上げて出勤=3=3 デスが
昨夜はで、発泡酒=>日本酒♪
食後にパソコンの電源を入れ、立ち上がるまでにマウスを片手に爆睡…zzz
元同僚の藤田さんから菊正宗を伝授して頂き、ハマってましたが、
今回「辛口」に目を引かれ、試した「晩酌」2リットルパック980円!
なかなかイケますよ♪

ちなみにワイン選びなら「カルフール」!
いつも1000円以内で!と探し回るんですが、
カルフールなら1000円以内でたくさん選べます♪
ワインの種類も豊富です!
先日は金賞受賞の中から、をゲット!
「辛い」「渋い」「重い」の三拍子を探すのも楽しいです♪
にも合う合う♪
で、ワイン後のグラスでピンクの泡の発泡酒もGOODデス

同じ980円でもワインは一晩…日本酒なら一週間。
やっぱ自分には日本酒かな…

さて、春のキャンペーン!
皆の折り込みDM、ポスティングのおかげで盛り上がっております。
落ち着いてきたところで、第1号のレーダーがやっと取り付け完了♪
(K淵様お待たせしましたm(__)m)

本体を持ちながらこの辺に取り付けかな?
と、進めた物の…なかなか場所が定まらない!
最近の車はミラーのまわりに物が多く、ミラーも大きいので
いつもつけている場所のハズが、大変苦労しました###

お次はお久のW124へのインダッシュ!(M上様ありがとうございました!)
W124のオーディオは奥まって居るので、手前のホーにニョキッと。

この状態ではチョット浮いた感じですが、モニターが出てくると…

んーなかなかイイ感じッショ♪

中古ETCは、一体型がラスト一個!中古ナビはまだ有りますので、
気になっている方は見に来て下さいね。


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「丹波篠山」へGO!

2008/03/19 氏田 裕吉


心のこもったメッセージをお伝えします。

休みを利用して、「丹波篠山」へ日帰りツアーに行ってきました。
「食・癒・買」と三拍子揃った一日となりました。

まず向かったのは有名な郷土料理店「いわや」。 お客様のM様
に教えてもらったお店で、あらかじめ前日に予約してから行きました。

ぼたん鍋が有名なのですが、あえて「地鶏のすき焼き」食べることに。
地鶏はもちろん、なんと言っても野菜がとてもおいしいです。

写真をご覧くださいませ。

IMG_0803110782.jpg

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IMG_08030773.jpg

いわや:http://www.eonet.ne.jp/~iwaya/index2.html

その後、JAが運営する「味土里館」を経由して、「薬師温泉」へ。
いわやより30分ほどのところにあり、帰りに立ち寄るにはいいところ
にあります。

循環式ではなく、源泉かけ流しがいいですね。

IMG_08033575.jpg

IMG_08033579.jpg

こんだ薬師温泉ぬくもりの湯:http://www.city.sasayama.hyogo.jp/nukumori/tp04010801.html

最後は三田にあるアウトレットへ。 お買い得なものがたくさんあり
ますので、買いすぎに注意です。 ビームスでネクタイを調達しました。

IMG_08033582.jpg

神戸三田プレミアムアウトレット:http://www.premiumoutlets.co.jp/kobesanda/

充実した休日を過ごすことができました。

「夢」があれば何でもできる。 明日からもがんばっていきましょう。

氏田 裕吉


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くろす岳

2008/03/17 安田 和弘


人の殆ど通らない獣道のような道をリュックを背負って
クタクタになりながら延々と歩き、“もう歩けない!”
と思った瞬間、目の前に緑の草が一面に生えた擂り鉢状の
広大な景色が広がる・・・。
小学生の頃の記憶の中にそんな風景があります。

くろす岳(もしくはくろす山。くろすの漢字は分りません。)
という名前だけはうっすらと記憶しております。

先週金曜日、前回のブログに書いたとおりポスティングの為
子供達と夜の千里山の住宅地を歩いていると3mくらいの
木にキレイな花が少し咲き出しておりました。
桜にはまだ早く、子供達に「多分、梅の花やで。」などと
教えながらそろそろ桜の咲く季節である事を思い出しました。

4月5日は昨年肺がんの為に逝った父親の一周忌となります。
あっという間の一年間でした。

勤勉と真面目を絵に描いたような優しい親父でしたので
家族、とりわけ母親の落胆は今も続いており、
現実を受け入れる事が出来ずにおります。

丁度満開の桜に見送られるように旅立ったので、
今年は桜を見るのが辛いなぁなどと考えております。

そんな父親と小学生の私は日曜日になるといつも
朝早くから弁当を作っては近畿圏の歩いて登れる山という山を
登っておりました。

今にして思うと自分の荷物を背負って子供の足で数十キロを
歩く事で我慢して頑張った跡の達成感や、色々なことを
学ばせてもらったような気がします。

休みが合わずナカナカ実現できませんが、私の子供たちにも
あの風景と弁当の旨さを味あわせてあげたいと思っています。

あの風景がどこだったのか?今はもう聞くことが出来ませんが
なんとか探し出したいと思います。

どなたかご存知な方いらっしゃいませんか?

あの頃鍛えた足腰もかなり衰え(笑)、ポスティングで
山肌の住宅地を歩き回って少々筋肉痛の豊中店の安田でした。


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ランドレーの復活

2008/03/16 植田 茂夫


みなさん、おはようございます。

昨日のデイリーメッセージにもありましたが、
ヤナセ名誉会長、梁瀬次郎氏が死去されました。

ヤナセというと、世間では輸入車販売だけの会社のように
とらえていますが、じつは1915年、まだ日本に「自動車市場」
というものが存在しない時代、真っ先に路線バス事業や、
タクシー事業を立ち上げ、運転手を養成し、車とセットで
市場に送り出すなど、今日ある日本のモータリゼーションの
創生者として重要な役割を果たしてきました。

同じ自動車業界に携わるものとして、
心よりご冥福をお祈りいたします。

時を同じくして、「Maybach Landaulet」が発表されました。
やはり今回も国家元首御用達の公式車両のようです。

1932 Mercedes-Benz 770 Grosser

1930年ダイムラー・ベンツ社の最高級車としてデビュー。
“グローサー・メルセデス”の異名を持つ史上最大にして
最強のメルセデスです。

この車両は皇室御料車として使われた車で、現存する3台のうち、
宮内庁が2台、あと1台はシュトゥットガルトにある
メルセデス・ベンツ博物館に寄贈されています。

1971 Mercedes-Benz 600 Pullman Landaulet

1964年登場。
“グローサーの再来”といわれた、「600 Pullman」。

中でも後席部分のルーフが開閉可能なLandaulet(ランドレー)は
エリザベス女王を始め、国家行事には欠かせない
最もフォーマルな車両形式となっています。

2008 Maybach Landaulet

そして、70年ぶりにマイバッハより復活を遂げた、
Maybach Landaulet(ランドレー)。

ボディカラーはアンティグアホワイト、同色の20インチホイールに、
インテリアは前席がブラック、対照的に後席は天井から足元まで純白。
室内は黒御影石のトリムという、新世代のクルーザーです。

それでは又来週、植田茂夫でした。


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梁瀬次郎氏を悼む

2008/03/15 氏田 耕吉


ヤナセ名誉会長の梁瀬次郎氏が13日午前7時5分、
91歳で死去した。

私がこの業界に入って
一番感銘を受けた、業界リーダー、経営者だった。

まだ、昭和の時代、20年以上前には
全国で開催される大きなイヴェントには
よく参加され、そのご挨拶に皆が必ず鼓舞されたものである。

大阪での全員朝礼はまるで子供の頃の
学校朝礼のようでありながらも、皆が感銘を受けるものでした。

その前後に開かれる朝食会での和やかさとの
対比はすごかった。

功績から
すでに日本自動車殿堂は初代殿堂入りしておられたが、
自動車人として大きな栄誉である米国自動車殿堂にも、
日本人として5人目の殿堂入りを果たされた祝賀会では
まだまだお元気だったが、、、、、

最後にお会いしたのは、業績を持ち直し
久しぶりに開かれた東京での全国大会の表彰式会場でした。

車椅子にての登壇ながら、その場では相変わらず
皆を励ましてくださり、和まして頂けましたのに、、、

私たち、輸入車販売に携わる者としては
誠、業界のリーダーを失った思いです。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
氏田耕吉

追伸
なお、西淀川に有る
ヤナセ大阪支店のベンツショールームに
ご遺影が飾られた、との事、早速弔問に行ってきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日刊自動車新聞の記事より、、

輸入車販売の草分けとして戦後の輸入車業界の拡大に大きな功績を残した
ヤナセ名誉会長の梁瀬次郎氏が13日午前7時5分、
肺炎のため入院中だった東京都港区西新橋の東京慈恵医科大学病院で死去した。

91歳だった。
通夜・密葬は近親者のみで執り行う。
喪主は未定。早ければ今月中にも社葬を開く予定。

 梁瀬氏は1916年6月28日生まれ。
本籍地は東京都千代田区三番町。

39年3月慶応義塾大学経済学部卒業と同時に
梁瀬自動車(現ヤナセ)入社、芝浦工場に勤務。

45年5月に創業者である父・長太郎氏(故人)に代わり社長に就任。
以後40年にわたって社長を務め、
ヤナセを国内最大の自動車輸入元および販売会社に成長させるなど、
わが国モータリゼーションの発展に多大な影響を与えた。

 85年12月にはいったん会長に退くが、
87年10月に復帰して93年12月まで社長を兼務。
2002年12月まで会長、亡くなるまで取締役名誉会長を務めた。

 公職では日本自動車輸入組合(JAIA)の前身である
輸入自動車協会(52年設立)の会長を約2年務め、
65年に輸入取引法に基づく公益法人に改組された
JAIAの初代理事長に就任。

その後68?75年を除く2000年5月まで27年にわたって理事長を務め、
わが国を代表する輸入車業界のの顔として幅広く活躍した。

 この功績が認められ、87年勲二等瑞宝章、93年紺綬褒章を受章。
02年に日本自動車殿堂の初代殿堂入りしたほか、
04年には日本人として5人目の米国自動車殿堂に選ばれた。

(さらに…)


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必ず道は開けます

2008/03/13 氏田 耕吉


2004年03月13日 (土)

本日は氏田耕吉の担当です。

驚かれるかもしれませんが、実は私、中学1年生から7年間、伝書鳩
を飼っていました。1坪で二階建ての鳩舎には多いときで30羽ぐらい
を飼育して鳩レースを楽しんでいました。

一番遠くは青森県の岩木からの八森800Kmのレースでした。朝、
現地で放鳩され、翌日の帰舎で僅差の準優勝でした。その鳩に岩木
号と名付けてました。

私は自由に空を飛びまわり、遠くから自分の鳩舎に一目散に帰って
くる伝書鳩に魅了されていました。また善鳩会と言う組織に所属して、
鳩を通じて知り合った方々に、たくさんのことを学びました。青春時代
の思い出です。

そんな関係で今回の鳥インフルエンザでカラスやドバトの野鳥がウイ
ルス感染の媒体となる事に危惧しております。何しろちょっとやそこら
では鳥は捕まえることができませんし、行動範囲が広いからです。

BSE、SARS、に続いて今回の鳥インフルエンザ、各関係者の方々
には全くもって予期しがたい事態であったと推察いたします。いつ何
が周りに起こるかわからない世の中です。本当に厳しい大変な目に
遭っておられる事と思います。

しかし、私たちは過去の長い歴史の中で勝ち残ってきた遺伝子を貰
っています。

みなさん色々あると思いますが、負けずに立ち向かって行きましょう。

必ず道は開けます。

「やる気になれば何でも出来る。」

今日も一日みんな元気に頑張りましょう。


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