終戦記念日
2004/08/16 安田 和弘
こんOOわ。
豊中店の安田です。
先月曜は携帯からの文章で失礼しました。
今年も8月15日の終戦記念日が過ぎました。
水曜日の書き込みで氏田さんがボランティアのキャンプのお世話をしていた話を書いておられましたが、私も小学校の4、5年生の頃、2年連続で夏休みに朝日新聞社主催の海洋少年団の一週間のキャンプに参加させてもらいました。(氏田さんと違い、私はお世話をしてもらった方ですが、、、)
行き先は 沖縄県のケラマ諸島の小さな島のひとつで“座間味島”という当時人口数百人の島でした。
フェリーで一泊、沖縄本島から小さな船に乗りついで小一時間の島でまだ沖縄が日本に変換されて数年しか経っていなかったと思います。
防風林の中にテント(今と違い、支柱も太い木製で生地も帆布製。スコールのときは縫い目からテント内に雨漏りが、、、というテントでした。)を設営し、地面を掘っ
てカマドを作ろうとしていると、スコップが「コツン」なにかな?と思って掘り起こしてみると沖縄戦の時に亡くなられた方の遺骨が原型のままゴロゴロと出てきました。
その時に教えてもらったのですが、座間味島は先の大戦の時、一番最初に米軍が上陸した島との事でした。
沖縄戦での惨劇は多数文章や映像になっているので省略させていただきますが、防風林の木には機関銃の弾痕がいたるところに有り、当時の不発弾と思われる大きな大砲
の弾(?)などもあちら此方に転がっていました。
当時小学生の私には当時の戦争の詳しい内容は解ってはいなかったのですが、海の美しさに感動して、人の手の入っていない大自然に感動していた場所だっただけに、そ
の悲惨さに凄くショックを受けたのを覚えています。
六甲の山の中で20年ぶりにキャンプをして(今のテントはホントに良く出来てますね。軽量コンパクトで設営も楽々でした。)夕暮れにふと思い出しておりました。
言い古されてはいる言葉ですが、あの様な悲惨な戦争に二度と日本が巻き込まれる事が無いように、子供達やそのまた子供達の時代にも絶対におこらないように、切に祈っております。