何系?人間
2004/09/25 氏田 耕吉
いつも思いつくままに、書いている氏田耕吉ですが、
今日は、人間について勝手な事を書かせていただきます。
私は、仕事柄、性格柄(?)多くの人とお会いする機会が多いです。
ある時期(多分35歳ぐらい)から、人を何かの基準で、
幾通りかに分類できると感じるようになってきていました。
過去に出会ったり、知り得た人に類似しているとか、
又、その一部が類似しているとかで、その人を自分なりに推測してみたり、
分類してみたりしていました。
この推測は結構良く当って、かなり細かく幾通りかのタイプ分けができていました。
又、それらを大きく分類すると、
論理的に物事を考える、理尽く目タイプの (仮称)「理科系人間」と、
感覚的に物事を考え、行動する、感情型の (仮称)「文科系人間」に
分かれるのではないかと仮定していました。
こんな事をよく色々な所で色々な人に話していると、
結構皆さん納得してくれてました。
また、「人間科学」と言う 学問があって、大阪大学が日本で初めてそう名づけた、
と、教えてくださる方も居ました。
また、「エニアグラム」と、言って、2000年も前に生まれた
「人間学」も有るそうです。
この人間学は代々の指導者のみに授けられるもので、門外不出で、
選ばれた人を通じて「口伝」で伝えられてきたものだそうです。
その「エニアグラム」によれば、宇宙は九つのパターンの秩序によって成り立っていて
人間は誰もが、そのどれかにあてはまると、されているようです。
ところがある時、これらに対して、真っ向から、
「それに該当しないタイプ」、の主張がありました。
その方いわく、論理的、理尽くめでなく、
かといって、人間本来の感覚や、感情でも理解できないようなタイプがある。
とにかくよくわからない理屈で動く人達がいるというのです。
あえて、仮称すれば、「体育会系人間」だそうです。
でもこれが実は一番「人間らしい」という解説でした。
一つ一つをなるほどと思いながら、
今まで、人の事を勝手に判断して、
勝手に対応してしまっている、
そんな自分の勝手さに気づきました。
そう、こんな言葉を思い出しました。
「人はだんだん人間らしくなれる。」 人間の奥深さを感じた次第です。