社長の講演その3 <7、人様からの応援>

2007/10/27 氏田 耕吉


さて、はっきり言いますと、私個人では何の才能も何の力もないんです。ただ、もしあるとしたら、運がいい、言葉を変えたらお徳やご縁に恵まれているという、これしかないと思います。

誤解を受けるといけないんで軽く聞いてほしいんですけど、私は20才代で目一杯生きて、30から40才にかけての時はある意味、これだけ頑張ってきたという自負があったんです。ものすごく頑張った、と自分でも思っていましたし、ほんまに自信がありました。

ところがいろんな業界団体に行くと、「あー、お前二代目か」とか「そうなんやー、帝塚山の車屋の二代目のボンボンか」とか言われたんです。言われるたびに、「ぐーっ」ときてたんです。若かったんですね。

「ちゃうんや、俺がやったんや、俺がこうやって、あーやった」とかね、苦労話を聞いてほしくてたまらんかった時があったんですよ。 例えば、私は18歳で仕事に付いて、20歳で自分が代表になって、38歳のときに念願やった帝塚山に63坪の土地を買ったんです。それも20年貯めたお金をもとに頭金にして、自分の技量で買ったと思ってたんです。

しかしお金はたらなかったんですから、自分の力ではありませんでした。

 じゃあ、何で拠点展開出来たのか?この話も知ってる人が多いから隠さず言いますが、たまたま紹介で行った銀行さんがスポンサーでした。 紹介者から推薦してもらって、ご近所からの聞き合わせ、そんな事が功を奏したと思います。その銀行さんには大変お世話になりました。でも決して図っての事ではなく、結果そうなったんですよ。

勿論、20年間コツコツ貯めた、月々5千円とか一万円の積み立ての通帳を「こんだけ貯めましてん」と見せてましたが、、、。 そんなこんなで、いきなりぼーんとお金を貸していただいたんです。それも、自分が思っていたよりも1つ桁が上のお金を貸して頂いた経緯があるんです。 そんな金融機関の方との「出会いのご縁」、、、、、、結構ありましたね。

 笑い話ですが、もしその時の融資実行がなかったら、今の形態は作れていなかった。その代わり、借金の返済に悩まなくてもよかった、なんてね、、、、

それから、一番苦しいときにこのサンゆ倶楽部の中川喜之さん(元ザ・パック副会長)からもメッセージをいただきました。

 「昨年からアメリカの会長も兼務して日米を往復しているという、私の人生にとって今ほど充実感のある日々はありません」と中川さんが書いておられ、「ところで氏田さんもいよいよ事業発展のようで何よりです。心からお祝い申し上げます」と書いてくださったんです。 「ささやかな人生のふれあいですが、友人、知人が頑張り発展されているのを知ることはうれしい限りです。今後もより一層努力され、すばらしい事業の発展と、氏田さんのご活躍をお祈り申し上げます」と手紙に書いてくれたんです。

当時、私にとって中川さんは高嶺の花ですから、すごい人から手紙をいただいてうれしい反面、「こんな風に思っててもらってええんかな」と思いました。でも実はこれはものすごく発奮の材料になりました。

他にもホームページの「社長の対談」にも登場頂いてますが、大屋政子さん、イエローハットの鍵山秀三郎さん、元松下政経塾の上甲晃さん、モスバーガーの故、櫻田慧さん、などの本気(?)の方々にもたくさん励ましを頂きました。 「そうや俺には応援してくれている人がおるんや」と何度も思ったことがありました。

わが社のミッションステートメントに「、、、、、、ご縁に感謝し、貴重な時間と空間を共有出来ることを喜び、、、、、」 と有りますが、物心両面においての人様からの応援こそ、「めぐり合わせのご縁」と思っています。


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