子供の頃の 「思い出1」

2008/02/16 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


先日、社員さんに借りた文庫本で
面白い事が書かれてました。

書いた方は明治生まれですから
育った時代は全然違うんですが、
何かしら刺激を受けましたので
個人的な 子供の頃の 思い出話、、、

子供の頃の 「思い出1」 を書きます。

私の生まれや育ちはホームページ
http://www.ujita.co.jp/04sa.htm
でも都度、何回もアップしてますから、
その流れで読んでください。

私の顔の真ん中、そう鼻の中心を少し外した所に
三日月形に怪我の跡が今も薄っすら残ってます。

自分では覚えていないくらいで、
多分、4ー5才の三輪車に乗るのが好きだった頃の
話です。

会社の職人さんに、三輪車のハンドルを鉄のこで切って、
溶接改造?して貰ってたそうです。

その時、私は何を思ったか?ハンドルの付いてない無い状態、
つまり前輪からパイプが上に向かって出てきてる状態で
手放し(ハンドルを持たずに)で上手に漕ぎ出して三輪車を操りだしたそうです。

そして後から聞くと上手く動かし、止めるのも聞かず、
工場前の道路を南へ向かって走り出したそうです。

なんとなくその時の有頂天になって足だけで漕いでる姿が
自分にはよく分かります。

すると百米も行かないうちに道路の段差に、前輪が跳ね上がり
むき出しのパイプが見事、自分の鼻に刺さったそうです。

「調子乗りのドジ」の限りです。

また乗り物では小学校の2ー3年の折に
家中で初めて小遣いをためて、ためて、ためて
自転車を自分で(?)買いました。

所謂、「三丁目の夕日」時代でしたから
高級品、自転車は何と
「そごう百貨店」で買いました !

前のタイヤの泥よけの上には
そごうのマークがジャガーのボンネットマークの様に
付いてたのをはっきり覚えてます。

そんな事も有って、早くから自転車にも乗るのが上手かったです。

ただ、その後もそんな調子に乗るような行動は収まることなく
その自分の自転車では「水中自転車」とか言って
多少の深さの池では腰近くまで
浸かりながらも、横切れる位で、友達からは賞賛を浴びてました。

ところがそれが災いする事になり、
私の人生は大きく変わっていきます。

、、、、、

実はその時遊んでたドブのような汚かった水溜りが原因で
怪我していた足からばい菌が入り、
40°前後の高熱が続く事になりました。

1週間に亘った熱が下がった後、その熱が原因で
心臓の弁に異常(変形)が残り、
所謂「心臓弁膜症」となりました。

以後、小学校時代は一切の運動は禁止。
中学高校を出るまでも走る、泳ぐと言う激しい運動は出来なくなりました。

20才前までの運動の規制は自分を大きく変えた
決して楽しくない思い出であります。

もし、鼻を怪我してなかったら、
水中自転車遊びをしておらず、心臓が悪なってなかったら、、
そんな事を、何故か真剣に考え出した
氏田耕吉の思い出話1、でした。


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