2004/10/02 氏田 耕吉
今週、入会している業界団体の十周年総会で鹿児島へ行って来ました。
その一泊二日の旅を二回にわたってご紹介したいと思います。
総勢16名、添乗員は私、氏田耕吉です。
私にとって鹿児島は姉が嫁いでいたり、息子の最初の赴任地だった関係で、
すっかりファン(?)になっています。
大阪から飛行機で約1時間。
空港でレンタカーをピックアップし、九州自動車道を通って、約1時間半で知覧に着きました。
『知覧特攻平和会館』、
敗戦の色の濃い、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、
陸軍特別攻撃隊員(特攻隊)たちは自分の家族のため、日本のため、自らの命をなげうって、ここ知覧から飛び立って行きました。
会館内に展示の飛行機の片翼の下には爆弾、その重さをバランスするため、
もう片翼の下には片道の燃料しか入っていないガソリンタンクがついています。
目的地の沖縄付近に来る頃には飛行機は重さで傾き、そのまま特攻して行ったようです。
又、17歳の少年飛行兵をはじめとした、特攻隊員の方々の
写真や遺品、遺書の一つ一つに
今、自分の生き方が問われる思いでした。
この会館はとても言葉では言い表せない程の事を我々に残してくれていました。
本当にあっと言う間の一時間半でした。
その後少し離れた、元軍用食堂、富屋食堂のホタル館へ行きました。
高倉健、田中裕子の『ほたる』で使われたセットがそのまま
資料会館になって保存されています。
ここでは『特攻の母』、と呼ばれた鳥浜トメさんのお孫さんのお話を直接聞くことができました。
親子三代にわたって、戦争の悲惨さを語りついでおられます。
かっての軍の検閲を受けていない遺書など本当に貴重な資料館でした。
今日のこの日本の繁栄もその方々の犠牲の上にこそ有るのだ、と心新たにいたしました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
その後は隣接する知覧武家屋敷で昼食後、鹿児島市内に向いました。
(総会の時間の関係でしたが、そこから、指宿の砂蒸温泉がおすすめです。)
さて、続きは来週ご報告いたします。
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2004/09/25 氏田 耕吉
いつも思いつくままに、書いている氏田耕吉ですが、
今日は、人間について勝手な事を書かせていただきます。
私は、仕事柄、性格柄(?)多くの人とお会いする機会が多いです。
ある時期(多分35歳ぐらい)から、人を何かの基準で、
幾通りかに分類できると感じるようになってきていました。
過去に出会ったり、知り得た人に類似しているとか、
又、その一部が類似しているとかで、その人を自分なりに推測してみたり、
分類してみたりしていました。
この推測は結構良く当って、かなり細かく幾通りかのタイプ分けができていました。
又、それらを大きく分類すると、
論理的に物事を考える、理尽く目タイプの (仮称)「理科系人間」と、
感覚的に物事を考え、行動する、感情型の (仮称)「文科系人間」に
分かれるのではないかと仮定していました。
こんな事をよく色々な所で色々な人に話していると、
結構皆さん納得してくれてました。
また、「人間科学」と言う 学問があって、大阪大学が日本で初めてそう名づけた、
と、教えてくださる方も居ました。
また、「エニアグラム」と、言って、2000年も前に生まれた
「人間学」も有るそうです。
この人間学は代々の指導者のみに授けられるもので、門外不出で、
選ばれた人を通じて「口伝」で伝えられてきたものだそうです。
その「エニアグラム」によれば、宇宙は九つのパターンの秩序によって成り立っていて
人間は誰もが、そのどれかにあてはまると、されているようです。
ところがある時、これらに対して、真っ向から、
「それに該当しないタイプ」、の主張がありました。
その方いわく、論理的、理尽くめでなく、
かといって、人間本来の感覚や、感情でも理解できないようなタイプがある。
とにかくよくわからない理屈で動く人達がいるというのです。
あえて、仮称すれば、「体育会系人間」だそうです。
でもこれが実は一番「人間らしい」という解説でした。
一つ一つをなるほどと思いながら、
今まで、人の事を勝手に判断して、
勝手に対応してしまっている、
そんな自分の勝手さに気づきました。
そう、こんな言葉を思い出しました。
「人はだんだん人間らしくなれる。」 人間の奥深さを感じた次第です。
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2004/09/18 氏田 耕吉
つい先日、地球温暖化のお話を聞かせていただきました。
要約すると、100年前までは35度を超える日が1年に1日ぐらいだったのが、
2000年前後から年間19日平均になってきてるそうです。
(金曜の新聞では最高気温が30度をこえる、「真夏日」は
ここ30年の日本平均が50日でこのまま進むと、年3分の1の120日になるそうです。)
(ちなみに、追加しますと、今年、2004年は大阪は88日、東京は66日、熊本ではなんと、100日だそうです。)
しかしこうなって来ると、暑いだけでは済まなくなります。
最近、東京であの「マラリア」を運ぶ熱帯地方の「蚊」が発見されたように、
大雨や地震、ハリケーンまで、異常気象が心配になってきます。
これはオゾン層の破壊に一因があるそうです。
私どもの扱っている車にも使われている「フロン」に大きな原因があるようで、
取り扱いには用心せねばなりません。(京都会議参照)
又その影響で皮膚がんの発生で心配な紫外線(UV)まで気になってきました。。
太陽の光には目に見える光(可視光線)と赤外線や紫外線(UV)が含まれています。
紫外線は波長によって、A,B,Cと別けられます。
そのUV-Aは長時間浴びると心配な程度らしいですが、
BとCはもっとやっかいで、皮膚がんはじめ、目にも良くありません。
本来オゾン層(大気層)で吸収して地表に届いてなかったはずのUVのBやCまでが一部地表に到着して来ているようです。
特にUV-Cについては殺人光線と呼ばれる程のものだそうです。
欧米ではすでに皆が日焼けしない様に対策してきてますし、
子供や幼児には日焼け対策に日常的にパウダーやクリームを使ってるようです。
果たしてこの程度でいいんでしょうか?
今、我々もできる予防や対策をせねばなりません。
ガングロは別として、健康の証しだった小麦色の肌は
将来のシミどころか、病気の元にならないか?気になってきました。
外出も花粉症の対策のようなものの紫外線向けが近々増えそうです。
なかなか、このメッセージにはオチがつきません?
とにかく、お車のフイルム加工はお安く提供いたします。??
今日は心配症の氏田耕吉が担当でした。
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2004/09/04 氏田 耕吉
私は新聞のコラム、いわゆる囲み記事を読むのが好きです。
短い文章にその人の言いたい事が凝縮されているからです。
以前、本当にずっと前ですが、作家の宇野千代さんのコラムが
目に止まったことが有ります。
要旨は
「毎朝同じ場所で同じ物を食べている。
しかしその日によってすごくおいしい、と感じる日と、
おいしくない日がある。
もちろん、気候や食材に原因があるのかも知れない。
しかし、おおむね原因は自分に有る。
不摂生な体調管理であったり、
自分のその時の心の持ちように有る。」
というものでした。
なるほど、全く同感と思った次第です。
私は社会人になって以来、「仕事が大好き」でいつも
「しあわせ者」と思っています。
またそれを公言してはばかりません。
起きている大部分の時間を「仕事」で過ごす我々にとって、
「その仕事が好き」、で
「好きな事をして時間をすごせる」、のは
「しあわせ者」でしょう。
でもこれって、「本当?」と思ってしまうほど、
辛い時も大変多いです。
だけど、あえて「仕事が好き」、「仕事を好きになってしまう」と、
好きな事ですごす時間が増えて、
「しあわせ者」になっていける。
(こわいですが、逆もまた、真なり。)
こんな事にやっと気づいた次第です。
「しあわせは いつも 自分のこころが きめる 」 (相田みつを)
が大好きな氏田耕吉の告白でした。
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2004/08/28 氏田 耕吉
先週の土日の第17回帝塚山まつりの時のことです。
あるお母さんが初日の夜、小学生らしき兄弟を、二人連れて
私の前に来られました。
「怒って下さい。勝手な事をしています。」
興奮気味でしたので、最初はよくわかりませんでした。
よく聞いてみると、二人は手に持っていた「カード」らしき物を
祭のフリーマーケットで闇に紛れて販売していて、
それをお母さんが見つけたようでした。
「帝塚山まつりの出店のルールに違反したこと」を注意して欲しいとの事です。
私は子供に、まず、未成年だから保護者を通じて事前に申し込みをする事。
1ブース、2日間で1000円の出店料を払う事。
(24時間への寄付金に充当してもらってます。)
決められた場所に出店する事。
等々を話しました。
そして、「おっちゃんも昔、自分の子供が小学生の時に
ミルクせんべいを売るのを許可したことが有ったよ。
ルールに従ってやれたら良い事だと思うけど。」
と付け加えて親子を見送りました。
あの親子はこの時のことをずっと覚えているんでしょう。
そしてきっと大丈夫、りっぱに成長されると思います。
毎年の事ながら、地下の子供ゲームのコーナーでも色々あります。
射的で玉が落ちてるのを拾って渡してくれる子供がいるかと思えば、
落ちてるのを拾って、子供に打たせてる親御さんも居ます。
輪投げで線を踏まないように教える親も居れば、
もっと前から投げさせる親もいます。
子供が中心の帝塚山まつりでは何かにつけて、
何とも言えない荒んだ気持ちになってみたり、
ホットしたり、うれしくなったりの連続です。
私の亡くなった母親が小さい時よく言ってました。
「誰も知らないと思っていても、神さんは全部知ってるよ。
嘘ついてごま化しても、みんなわかってる。
そのかわり、誰も知らない所で一生懸命、正しい事をやってる事も、、、」と、
仏教徒の我が家で、仏さんやご先祖さんでなく、
何故神さんだったのかは、わかりませんが、、、
いずれにせよ、きっと私の事が気になって仕方の無い、
亡き父、母は今も私の事を見てくれてるんだろうな?
と、思う今日この頃の、氏田耕吉 が本日の担当でした。
精進します。
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2004/08/21 氏田 耕吉
本来なら今日はアテネオリンピックの事を書くんでしょう。
と言うのも、書いてる今、横のテレビで、
塚田真希、鈴木桂冶が柔道最終日、最重量級で男女揃って金メダル獲得ですから、、、
しかし、あえて私はそれ以上の思いを込めて、先週の木曜日に続いて、
帝塚山まつりのメッセージをお送りします。
本日、21日(土)から明日の日曜日にかけて、
第17回帝塚山まつりが開催されます。
昭和62年(1987年)からの毎年開催なので本当は18回なんですが、
例の「O 157」でまつりを断念し、募金活動だけの年が有りましたので、
正式には 第17回としています。
さて、本日のスタートは第10回目くらいから始めた、「子供だんじりとみこし」の巡行です。
午後2時からの町内での練歩きは何故か毎年、子供より周りの大人の方がハシャイでいます。
午後5時前まで回っていますので、お見かけの方はお声掛けください。
「お祝い太鼓」をどこでも 打たせていただきます。
ご遠慮なく どうぞ。
また5時からはステージ、そして第3回目からの恒例盆踊りも始まります。
もちろん、露店風の地域の方々によるフリーマーケットは南港どうりにてずっと開催しております。
そして、第3回から協賛するようになった、読売24時間テレビは明日の日曜日の朝10時から
キャラバン隊が 「ナマ取材」で会場に来ます。
タレントやスタッフから 来場のあなたに お声が掛かり、テレビにでるかも??
その後 「子供だんじりとみこし」は前日同様、巡行に出発。
ステージでは夕方まで催しが続きます。
また、帝塚山ヤングオーディション、通称「テズヤン」、や
みんな揃って歌合戦などの参加型オーディションもあります。
どうぞご期待ください。
お祭りラストの 豪華商品はじめ空くじ無しの「こども富札大抽選会」には事前に整理券が必要です。
土曜の午後6時半、日曜は朝9時半に忘れずゲットしておいて下さい。先着100名様ずつです。
その他盛りだくさんの内容は
http://www.ujita.co.jp/matsuri.htm
でご覧ください。
以上コマーシャルばかりでしたが、全てが みんなの手作り。
ご来場いただくあなたも 手作りする おひとり です。
是非ともご参加下さい。
祭が趣味の氏田耕吉でした。
お待ち致しております。
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2004/08/14 氏田 耕吉
今年も「お盆」の時期になりました。
昭和25年(1950年)生まれの私の「お盆」の事を書いてみます。
戦後の混乱も一段落した頃に生まれ、団塊の世代の最終の頃ですから
昭和30~40年代が私の幼少から青年期と言うのでしょうか、、今日はたわいなく書かせて下さい。
私の毎年お盆の始まりは「経木(先祖の戒名を書いた物)」をおまつりし、
お供え物の内、なすびにお箸のサイバシで手足を付けて動物に見立ててお供えすることから始まります。
そして、初日に御迎え団子を作って、お供えします。
そこからは、お帰りになられたご先祖さんに三度、三度の食事を母親が作ってのお供えが始まります。
勿論、一切、肉や魚の無い精進もので家族ともども三日間をすごします。
時間を見てはご仏壇の前で「御詠歌」をあげます。
私のオハコ(?)は「これはこのよのことならず、、」から
始まる「さいのかはらのぢぞうわさん」です。謳いながら実に色々なことを想像してしまいます。
「西国三十三所御詠歌」は最終日の十五日夜、お送りの前に唱えます。
一気に続けられないといけないので、第二番からはじめて、三十三番の次に第一番に戻り、終了です。
これはなかなか疲れますが家族としてのおつとめで皆で唱えるようにしてました。
送りには子供の私が空木箱で作った舟に経木や花、お供え物を乗せてロウソクで灯りもつくようにして、用意します。
今なら叱られますが大和川の川原でお線香をつけてから西に向かってその舟を家族全員でお送りして「お盆」が終了します。
(今はそれらを四天王寺さんへ持っていってます。)
その帰りに食べさせてもらった「氷すいか」、そして解禁された食事の味は忘れられません。
今日の担当は昔話しの好きな 氏田耕吉 でした。
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