2004/04/11 植田 茂夫
皆さんおはようございます。
今日は、本業の車について書きます。
私の職場は大阪市住吉区ですが
最近あの『マイバッハ』がこの近辺を走っています。
世界で最大にして、最高額の4ドアサルーン。
ボンネットにはスリーポインテッドスターでも
フライングレディでもなく、ダブルMのマークが付いています。
その車は、黒に近い深~いワインカラーのメタリックで、(内装は確認できず)
走る姿を実際に目の当たりで見ると今までのフルサイズ輸入車よりも
ふたまわりは大きく、本当に巨大な滑らかなカタマリがスーと動くんです。
なんとも形容しがたい存在感というか威圧感を感じるのです。
発表前後に雑誌で読んではいましたが
実車を見ると興味が湧いてきたので調べてみました。
初代マイバッハ(1900年代初頭生産)の製作者、ヴィルヘルム・マイバッハは
あのメルセデスベンツの創始者ゴットリープ・ダイムラーの友人で
初期のダイムラー社に在籍中は、多くの技術的な指導を行った人物であったようで
ダイムラー社退職後はその豊富な機械技術をもって、いろいろな交通機関や
軍事機関(得に戦車用エンジン等)にもかかわったそうです。
中でも有名なのは巨大飛行船ツェッペリン号に搭載したV12気筒エンジンで
後にこのエンジンをフルオーダーの車体に組み合わせた超高級自動車『マイバッハ』は
当時の大衆車の30倍の金額で販売していたそうです。
(今回の『マイバッハ』もやはり同じ様な倍率の金額になっていますよね!)
そこで昨年発表された新型『マイバッハ』はというと、
V12気筒 5500cc エンジンにより、 550馬力・最大トルク91.8kgmという
途方もないパワーを持ち、
ボディサイズにいたっては、
全長6.2mの『マイバッハ62』と、全長5.7mの『マイバッハ57』
共に全幅1.98m・全高1.57mで、重量は2800kg前後だそうです。
因みにあの大きい Benz S600ロングが、全長5.17m・全幅1.86m・全高1.45m・重量2100kg
ですから、やはりふたまわりは大きいという事になるのでしょうか。
内装はというと、この巨人的サイズでも後席定員はたったの2名で、
ジェット機のファーストクラス以上に贅沢なリクライニングシートが備わる後席のその背もたれは
ほとんどフラットまで傾き、同時にフットレストもスルスル伸びて脚を支えてくれるそうです。
又、正面のちょうどよい位置にある前席背面には、大型TV/DVDスクリーンが組み込まれ、
走行中も映像を愉しむことができるというのです。
(世のVIPは自宅でゆっくりとくつろぐ時間などないのでしょうね~)
又、センターコンソールには、600W大出力のBose製サウンドシステムと
CDオートチェンジャーが入っておりスピーカーは実に21個!!
そして、その車両代はというと
『マイバッハ62』が、なんと4600万円
『マイバッハ57』でも、4000万円 ・・・
Benz S600ロングの1600万円を何か勘違いしてしまいそうな、
立派な一戸建て住宅が買えるような金額ですよね!!
景気が悪いと言われて久しい日本ですが
この超高額車の納車を待っているVIPが
現在、数十名いると聞き、又、又、驚き!
遇い前後して、ベントレーもフェラーリもアストンもNew Modelを発表。
当分の間、超高額輸入車の話題には事欠かないようです。
「でも、保険代高いやろな~」
「諸費用と消費税だけでBenzの新車が買えるんとちゃうか~」
一度見積りでも作ってみよ~っと。
植田茂夫 でした。
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こちらはお手頃価格で新入庫しました!!
2000年 BMW735I 紺メタリック フル装備 2万km
2001年 Benz A190 シルバー 6600km
是非、見に来てください!!
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2004/04/10 氏田 耕吉
「三邦人、イラクで人質」
の報道を目にした時、いよいよこの問題が
大きくなってきた感がしました。
その後、福田康夫官房長官の
例の淡々とした口調で語られた
「撤退の理由はない」
に皆さんは何を感じられましたか?
国家を考える時、個人はいかがなものか?、、
もし、自分の家族が、、と、
気の小さな私は実に複雑な思いでした。
彼らの声明文を見る限り、痛めつけられた弱い立場の人達の言い分もわからなくはない気がしました。
もちろんテロはいけないが、それしか抵抗手段が無いと思っての事でしょう、相手には相手の理論が有るようです。
日米関係の中での「イラクの人道復興支援の為の自衛隊派遣」はイラクの人たちには「攻撃をしてきた日本、戦争当事国、日本」と受け取られているようです!
数年前、鹿児島、知覧の特攻平和会館を訪ねました。
自らの命を犠牲に特攻として、祖国日本のために死んでいった人達の複雑な心境を垣間見た想いでした。高倉健の「蛍」で涙した一人です。
きっとお互いの言い分の違いが争いを起こしているのでしょう。
今、この目の前の平和な時間しか感じられない私はただ、無事、解決を望むばかりです。 祈、平和。 氏田 耕吉
追伸:今日、JR大阪駅前で三邦人解放にむけて署名運動が始まったようです。時間がありません。何とか行って小さくても、平和の声を上げてみたいと思います。
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2004/04/09 加藤 宣晶
こんにちは。
工場の加藤です。
大変良い季候です!
朝晩寝やすく、昼間は暖かい。
お天気空の下では元気が出ます!
実は、自分は自動車保有歴約16年になりますが、
先日初めて新品タイヤを購入しました!
買い物下手だったと、今になって思いますが、
何かタイヤの新品は勿体ない様な気がして、
京都の八幡解体まで出物が無いかと
探しに行ってました。(半分趣味)
今回は見に行く時間が取れず、
近所の店にも中古が無く仕方が無いと思って
新品を購入したのですが、やはりいいですね!
ガレージに新しいゴムの匂い。
タイヤを見ると黄色と赤のライン。
端には製造時のヒゲ。
車を見るたび嬉しくなってきます!
今回新品を入れてから、今までの
高速代・燃料代・寿命の短さ・見に行く時間等
無駄が多かったことに気が付きました。
「安物買いの銭失い」?でしたっけ?
まさに自分の事かな…
当社のお客様にはこのような事が無いよう、
用途・寿命をよく考えて提案します!
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2004/04/07 氏田 裕吉
心のこもったメッセージをお伝えします。
工場の氏田裕吉です。 最近、私も当社の植田さんのように、通勤のとき桜が満開の万代池を見てから会社に来ております。
実は、前の仕事の関係で約4年間大阪を離れて、東京、鹿児島にいました。 「万代池の桜」を見ていると、故郷の大阪に帰ってきたと感じることができます。
4年間も大阪を離れていて感じることは、チンチン電車が走る街並みや建物などはあまり変わらないのですが、私の周りにいた人たちに変化があることに驚くこともあります。
大阪を離れてしまうと、友人から入る情報も少なくなりがちで、「浦島太郎」みたいになっていたような気もします。
そういえば、先週の土曜日、高校時代の水泳部の先輩の結婚披露パーティーがありました。久しぶりに会う人もたくさんいました。 その人たちの取り巻く状況は、結婚したり、仕事をしたり、子供がいたりと、以前とは変わっているのですが、いざみんなで集まって、騒いだり、お酒を飲んだりすると、高校時代そのままに大盛り上がりでした。 そんな瞬間が本当に最高でした。
自分や周りの友達の取り巻く環境は変わっても、昔と同じように大騒ぎできる友達がいることを幸せに感じる最近です。
岡田先輩、結婚おめでとうー!
元気があれば何でもできる。 今日もがんばっていきましょう。
氏田 裕吉
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2004/04/05 安田 和弘
こん○○わ。豊中店の安田です。
話の長い(長話の好きな)人は文章を書かせても長い文章になるのでしょうか?
私、良く話が長いと言われます(笑)
本日は短いめに、、、、、。
先々日曜の植田部長のデイリーメッセージ(3/28)を読んで、毎晩のジョギング中に色々と考えてました。
樹齢1500年ですか。気の遠くなる様な年月を植物とはいえ命が継続するっていうのはすごいことですね。
人間の体は長くて100年程で朽ちてしまう訳ですが、そう考えると短いあっという間の命だと感じました。
「山より大きな獅子は出ず。」
当社社長の氏田に昔教えてもらった言葉です。
字のごとく「人間、怖い事に直面すると、大げさに落ち込んだり、悩んだりして、その恐怖を大げさに考えすぎてかえって萎縮してしまうが、山より大きな獅子が出ることは無い。
必要以上に怖がる必要は無い。」という意味です。
どうしょうも無い事態に直面したときに、私自信、何度もこの言葉に救われました。
この言葉は、先代社長の氏田寅吉(http://www.ujita.co.jp/04saenkaku.htm参照)
が氏田耕吉社長に伝えた言葉だそうです。
勿論、私は先代社長に会ったことも無いわけですが、きっと私の子供達が将来、危機に直面したときに励ます言葉となって、私の口から彼等に、そして彼等の子供達にも、もしかして伝わっていく言葉となると思います。
生命が、肉体(物質)と心(精神)で出来てるとすれば、肉体は朽ち果てても、心の一部である言霊(ことだま)は何百年も何千年も正に 老櫻のごとく行き続けるのかも知れません。
そう考えると、人の命は永遠に続く様にも思えます。
不景気が叫ばれ出して久しく、色々と大変な時代ですが、早く冬が過ぎて櫻の花が咲くように景気も良くなって欲しいものです。
必要以上に怖がらずに、諦めずに努力していきたいと思います。
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2004/04/04 植田 茂夫
皆さんおはようございます。
今日は春休み最後の日曜日というのに
大阪は朝から本降りの雨で小さなお子様のいる
ご家庭は予定を変更された方も多いのではないでしょうか?
日曜日お仕事をされている方にとってもこの雨は、
一喜一憂でしょうね。
どのような達人でも変えることのできない天候ですが、
人の流れは大きく変わります。
我々も柔軟に即変更し対応したいと思います。
話は変わりますが、先日お客様より面白い話を頂戴しました。
『お客様は12才』??
広告の認知の話ですが、その昔「大衆は12才である」
というコメントをした人がいるらしいのですが、
これは決して知能レベルが低いという事ではなく、
普段の生活の中で大衆が商品や広告に関し興味をもって
接するレベルは12才小学6年生ぐらいの注意力しかない
という事を意味しています。
つまりいくら自社の製品に自信があっても小さい文字で
専門用語を並べたポスターやコマーシャルでは大衆の注意を
引くことはできないというのです。
小学6年生の子供達が見たり聞いたりしても充分に
理解できるぐらいのレベルの広告でようやく沢山の人に
そのメッセージが伝わるのだそうです。
雑誌や駅のポスターを普段100%認知できています?
と言われ、「確かに小学5年生になる息子と私の
TVコマーシャルや雑誌広告の認知度は同レベルだよな」
と気付きました。
多くの大衆にきちんと伝わるようなキャッチコピーや
ビジュアルを使ってメッセージを伝える。
これこそが『お客様は12才』です。
今一度、要チェックです!
以前より欲しかった、キースヘリング「dancers」
のZippoが手に入り喜んでいる 植田茂夫でした。
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2004/04/03 氏田 耕吉
先日の社内会議で私が説明した言葉に、社員さんからの問い合わせが多かったのでこのメッセージでもかかせていただくことにします。
その言葉は
「小才は縁に出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かさず、大才は袖すり合った縁をも生かす」
と言うもので、私の入っている異業種交流会、サンゆ倶楽部の
高田宏成先生から教えていただきました。
元々は剣の修行中に武蔵が学んだ柳生石舟齋の言葉だそうですが、相手からどん欲に学び取る姿勢の大切さを教える言葉だったようです。
私はそれを「ご縁」として受け止めております。
私どもの仕事では年齢、性別、職業にかかわらず、車を使われる方々、皆様とお取引がございます。それをただ単に物販やサービスの提供にとどめず、その方々との「ご縁」としてお役に立つように心がけていこうという事で話しました。
この広い地球上で日本のそれも限られたエリアで知り合う、人類の長い歴史の中で精々100年ほどしか生きられない人たちが出会う機会を持つ、それだけでもすごい事です。出来ればそんな「ご縁」を更に活かしたいと思っております。
この自社のホームページでもその一環として、「ビジネスリンク集」として私どもとお取引のある方々のホームページをご案内しております。是非一度のぞいて見て下さい。
担当は氏田 耕吉でした。
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