素晴らしい女性から手紙が、、、

2008/01/30 

先週の土曜日に開催された府養研の講演会で講師を勤められた
熊本の野尻千穂子さんからです。

今回はお世話役の大島昇さんが親友と言う事もあって、
前夜からご一緒させていただきました。

初めてお会いしたのは多分10年近く前だったでしょうか、
「大阪掃除に学ぶ会」の年次大会の時でした。

かわいい女性と言うのが第一印象、
話し方もやさしくて思わず聞き入ってると
だんだん涙が出てきてたまらなかったです。

すごく印象的でした。

今回はお嬢さんとご一緒で、
大島夫妻と一緒に私共夫婦の六人で、日にちが変わる直前まで
本当にたのしく、すばらしい時間をすごせました。

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野尻千穂子さん は 昭和22年阿蘇郡白水村に生まれ。
11才の時、突然発病。
歩く力を失い、脊髄の手術をうけるが、以後胸から下が麻痺した生活が始まる。

昭和51年、29歳の時、自立の道を求めて編み物教師の免許を取得。
翌年、免許を取り広く社会で生きることを決意。

昭和53年、結婚。障害を乗り越えて出産。わが子を胸に抱く。

平成2年、かけがえのない家族を題材に、新聞投稿したことがきっかけで、
テレビ等で紹介され、全国的な反響を呼ぶ。

平成4年以降、講演活動を行い、全国各地で講演依頼が後をたたない。
著書に「今、命輝いて」「愛はばたいて」等がある。

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とあります。

彼女は12歳からは歩けなくなってすごく苦しい時期をすごされていました。
そんな時、何気なく見ていた、百合の花のけなげさに「命の花」をみたそうです。

人の気づかれないところで一生懸命咲いてる花に
自分も与えられた環境を認めて、感動の人生をおくるおもいにたったそうです。

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★ 詩作品から
「白百合の花」
だれのせいでもないからと
動かなくなった体を恨む私です
今日もいつものように縁側で
床ずれを太陽にあてました
寂しくてみじめな私です
何気なく庭を眺めてみました
そこに毎年咲く白百合の花をみつけました
しなやかに美しく精一杯に咲く
白百合の花が、その時私の心に
優しさを届けてくれたようです
だれかにほめられようとほめられまいと
今日咲くこの日のために
雨の日も風の日も人知れぬ土の中で
美しさを育て続けてきたんですね
黙って咲きながら多くの大切なことを
教えてくれた自然の豊かさが
胸にしみます

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とてもそんな簡単にはいかなかったと思いますが、
やさしい語りに本当に癒される想いでした。

全てを受け止めて、全てを肯定的に転化されての生き様には
本当に驚きと感激を覚えました。

お送りいただいたお手紙の封筒の裏に
『封』 の代わりが × でなく ○に友 と有ったのが印象的でした。

今は熊本県いのちの懇談会 の 代表を勤めておられます。

ネットから見つけた彼女の本
「いま命輝いて」(野尻千穂子著、熊本日日新聞社、)
への中島虎彦氏の書評を添付します、、、、、、


 
★(書評、中島虎彦)

★ 「いま命輝いて」(野尻千穂子著、熊本日日新聞社、)

 野尻氏は1947年、熊本県阿蘇郡白水村生まれ。11歳のころから原因不明のマヒで歩くのが次第に困難になる。最後の修学旅行から帰って、12歳のときまわりの勧めで脊髄の手術を受け、医師の失敗でさらに致命的なダメージをうけ、事実上の脊髄損傷となる。実に気の毒な例であろう。
 しばらく自宅で窓を閉ざしていたが、ブラザーの編み機を習って一人でセーターなどを編めるようになり、近所から注文も受けるようになり自立の意識が芽生える。
 その後人から勧められて天草のリハビリテーション病院で歩行の訓練を受ける。そこで恋も経験する。また菊池市の授産施設にも入り、訓練を受けながら友人たちとバンドを組んだりする。そのころから自己表現というものに目覚めはじめる。車の免許もとり、活動範囲が広がり、そこで仲間の一人と結婚し、昭和54年には女児を出産する。それらの苦労話を各方面からせがまれて何百回もの講演をこなす。
 それらの活動の一方で、人から勧められた聖書を断続的に読みつぎ、次第に信仰を確かなものにしてゆく。そして同行者である三浦綾子氏や星野富弘氏とも文通をかわし、ついに北海道や群馬を訪れて対面を果たしている。
 他人のせいで障害を負った者の場合、その恨みや憎しみから自由になるのは至難の業であろう。しかし、平成8年に、自らも関わった「熊本県いのちの懇談会」発足にともない、記念講演の中で次のような感動的な話を紹介している。
 12歳のとき手術を受けた医師が園長をしている学園の総会に、講師として招かれて講演をした中で、語ったものである。
 「今日は先生に会えるのを、とても楽しみにしてきました。先生のことを最初は恨みました。でもこの動かない体が、人としての生き方を教えてくれました。どうぞ私の分の十字架は降ろしてください」
 すると、その園長が歩み寄ってきて
 「この手があなたを悲しませたのですね! その同じ手で、今日はあなたと握手ができます。本当に今日はよかった。ありがとう」
 と言って手を取り合っている。人生の長い回り道をへて、和解に至る経過は読むものに人生の意味を深く考えさせてくれる。

★ 詩作品から
「白百合の花」
だれのせいでもないからと
動かなくなった体を恨む私です
今日もいつものように縁側で
床ずれを太陽にあてました
寂しくてみじめな私です
何気なく庭を眺めてみました
そこに毎年咲く白百合の花をみつけました
しなやかに美しく精一杯に咲く
白百合の花が、その時私の心に
優しさを届けてくれたようです
だれかにほめられようとほめられまいと
今日咲くこの日のために
雨の日も風の日も人知れぬ土の中で
美しさを育て続けてきたんですね
黙って咲きながら多くの大切なことを
教えてくれた自然の豊かさが
胸にしみます


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