十分大人のママになったはずだったけど
2010/03/20 ちょっとしたお話
「子育てがむずかしくなった」ということを、よく聞きます。
別に生まれてくる子どもが変わったわけではありません。
どちらかといえば、私たち大人のほうが変わってしまったのです。
でも、私たちの親の世代や祖父母の世代と比べて、何が変わったんだろう?
象徴的な変化としては「布オムツ」が「紙オムツ」に変わったこと。
そして、婦人雑誌の付録の型紙で子ども服を作っていたのが、今ではカタログショッピングで取り寄せるだけ。
住環境も改善して、空調によって夏も冬もそう変わらずに過ごせます。
じゃあ、子育ては簡単になったじゃないの?
私の親世代からはそう見えるようです。
でも、そうじゃない。
子どもを持たない大人であるとき、
私たちは肉体的に不愉快なことや面倒くさいことから逃れるようにして、
そのぶん集中して「責任のある社会人」として「あたりまえ」にキッチリ働かされておりました。
仕事が要求する完全さはとても高いものでした。
仕事だけでなく、普段の人間関係でもなんでも。
それが、子どもができたとたん、
自分の原始的な感覚や、不愉快なことを、必要なものとして取り戻し、
生活をしなければならなくなりました。
そうすると「あたりまえ」にキッチリすることができなくなります。
あらためて子どものワイルドさは、同じ現代に暮らす大人の人たちにとって
「不快」なものとなっていることを思い知らされます。
紙オムツやカタログショッピングは便利だけど、
それはそこだけ「あたりまえ」に近づいているのに過ぎません。
その他の多くのことは、子育ては悠久の昔から何も変わっていない。
そこがとっても大変なのです。
もう一つ、世の中が大きく変化しているこんにち、
私たち自身が子どもに規範を示せないということもあります。
私が子どもだったころは、「科学や技術がどんどん進歩して、
人類は平等になり戦争もなくなり、
みんなが幸せに暮らす二十一世紀が来るのだ」ということを、
大人も子どもも信じていました。
でも、実際はどうだったでしょう?
科学や技術の進歩は著しい。
しかし、個人や少数の悪意が、核兵器に等しいものとして人々を脅かすものになっています。
同時多発テロやサイバー攻撃の脅威を一度知った今、
科学や技術の進歩から明るい未来を描くことも難しいのです。
今、世界は百年に一度の未曾有の不況と言われています。
もしかしたら数百年に一度の大きな価値観の変化が現れているのかもしれない。
私たちが正しく明るいものとして信じていた、
科学と技術の発展が、結局は壮大な自己破滅であったと看破されるような思想の大転換が起きつつあるようにも思うのです。
あらためて「みんなが幸せに生きる未来を作るにはどうしたらいいの?」と子どもに問われるとき、
私はどう答えたらいいのでしょう?
(細川貂々さんの文面から抜粋)