欽ちゃんからエド・はるみさんへ??

2008/06/19 想い、願い

今朝、7時半、、、、、、、
よみうりテレビを見てると、、、、、、

突然ながら、、、、、、

驚きが、、、、、、、


今年の24時間テレビのマラソンランナーの
引継ぎが、「どっきり」 で有りました。

欽ちゃんが楽屋で突然、引継ぎを、、、、
その時、エドさんは驚きの顔から、
思わずうれし泣きしそうに、、、

そして、、、
すかさず、 「グー!」、さすがは芸人。

若い頃から役者を志し、、、、、、、挫折。 

40才にして女芸人に挑戦、そして3年、
最近やっとブレーク中。

時間を見つけては10kほどを走ったりして
密かに24時間ランナーを夢見続けていたそうで、

最初のコメントは

「幾つからでも挑戦できる !」  (すばらしい)

「今年のテーマ『誓い』は笑顔で走り続ける事」だそうでした。

ちなみに、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 には

エド・はるみ(1964年5月14日 – )は、吉本興業東京本社(厳密にはよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本部。東京吉本)所属のお笑い芸人、、、

、明治大学文学部文学科演劇学専攻を卒業する。

1988年に円・演劇研究所を卒業し、以降女優(主に舞台女優)として活動。小劇場で舞台女優として活動していた頃の役者仲間に出川哲朗がおり、「出川君」と呼んでいたとのこと。またその一方で、Microsoft Official Trainerを取り、コンピューターインストラクターと、マナー講師の仕事をしていた。

2004年から2005年頃、表現の方向を転換。お笑い芸人を志す。

吉本興業の養成学校である東京NSCに、11期生最年長として入学。入学時の挨拶は、「年齢と女優としてのキャリアは忘れて一からやり直したいので、みなさん気さくに話しかけてください」。

教室の常に最前列で授業を受け2006年4月に皆勤賞で卒業。同年5月17日に東京都新宿区のルミネtheよしもとで芸人デビューをした。

前述のようにマナー講師をしていた事から、その言葉遣いや立ち居振る舞いは、礼儀に厳しい木村祐一をして「満点」と言わしめたエピソードがある。

後に『やりすぎコージー』で木村からオススメ芸人に推薦されて出演した。

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去年の欽ちゃんの感動をもう一度、味わえそう、、、、、、、、

さらには、今年23年目を迎える、
帝塚山まつりも「読売24時間テレビ」に協力しております。

今年はテレビ局への募金のお届けは
不肖、私、氏田耕吉が、、、、、、、、??(ダメ?)


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