社長の講演<その3> ー2、言葉のご縁 ー

2007/09/18 未分類

9月15日デイリーメッセージ
育縁、活縁   ご縁に生かされて
からの続きです。

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はっきり言って私は何ら特別の教育も受けていません。
家もそういう時代の修理工場ですから、
いわゆる、きちっとした家庭ではありません。
本当に世間知らずのまま世の中に出て行ってました。

とりあえずは自分の父親(オヤジ)が言ってた、
「手に職さえ付けといたら良い」の実践でしたね。

うちの父親(オヤジ)も尋常小学校を卒業して、
今宮工業高校の夜間を出てるんですね。
自分の夜間学生にも通じてるんでしょうかね。

父親の自慢話ですけど、修理工としては、
その時代ではかなり出来た人やったと思うんです。
ほんとに修理の仕事に関しての技術はすごかったと思います。

うちの修理工場というのは、
終戦後すぐの昭和21年に今の帝塚山で仕事をやり出して、
法人登記したのが昭和25年です。
先日、出した決算書は第56期目でした。
その年に私は生まれてます。

ついこの間までは会社の工場の中には
旋盤の機械とかホーニングマシーンといった
部品を加工するような機械や特殊な工具、道具もいっぱいありました。
昔は進駐軍の払い下げの車の仕事とか、
まだ車を使う人が少ない時代に
自動車の整備や二輪車を触っていたというような工場でした。

うちの親父は「学歴みたいなのはいらん。
仕事さえできたらええんや」という考えでした。

それを一番代表するのは、終戦後すぐの、、、、、

父と私.jpg
<父、寅吉と私、耕吉>



まだ制限のある時代に自分で部品とかを輸入してるんです。
その許可を取るのに英語を書かないといけないんですけど、
うちの親父、氏田寅吉はTorakichi Ujita(トラキチ ウジタ)と名前はじめ、
英語を書いて許可証を取っているんです。

それはそれはとてもじゃないけど、あれは英語じゃないですね。
子供の私としては、もう涙が出るくらいの書類ですね。
学校も満足には行ってないし、教育も受けてなかったと思うんですけども、
それでも絶対の自信がある人でしたね。

当時車に乗る人たちというのは超一流なので、
その人たちと直に話をしたり直の取引をしたりするということで
父親(オヤジ)としてはそれなりのプライドを持ってたと思うんです。

とにかく、「手に職さえ付けといたら良い」、
「学歴みたいなのはいらん。仕事さえできたらええんや」と言う調子です。

私はそういう家に育ってました。

サンゆ倶楽部に入れていただいた時、
私は会社で見よう見まねで仕事をしてました。

とりあえず食っていくことが一番で、誰にでも頭を下げて、
お礼言って、おべんちゃらするということが商売やと思ってました。

サンゆ倶楽部に入れていただいて、松下幸之助さんの本と出会いました。

そしてその本の中に「適正利潤」という1つの言葉を見出しました。

これを見たときに、本当に自分が目から鱗というか、
思わず「そうなんや」と感心しました。

実はそれまでは商売というのは右から左、
こっちで仕入れてきてなんぼ儲けてこっちで売るというそんな
小汚い事やという風に感じてました。

そこで「適正利潤」という言葉と出合った訳です。

そうなんや、「適正利潤」を儲けさせていただいて
相手さんのお役に立つということが、
これがほんまの商売、と思ったのが
仕事に対する一番見方を変えた時期やったんです。

それでも、いかんせんお客さんにはいつも、
へいこらしてました。
頭を下げまくって「はいはいはいはい」と
米つきバッタじゃないですけどね。

今うちの社員さんを見ていると全く一緒なんです。

皆さんには非常にかわいがられるし、よう頑張るんですけど、
昔の自分を見てるようですね。

きっと彼らも何かどこかで私の
「適正利潤」と言うような言葉を見出して、
ポーンと心にはまるようなものが見つかる、

「言葉のご縁」

があるやろなと思っています。

続く、、、、、、、


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