あっと言う間に二昔、、、豊中店の開設20周年

2010/09/22 想い、願い, 自動車関連

この10月で、

幣 豊中店も開設以来、20周年を迎えます。

今年は会社が創業以来の60周年で、何かと周年づいた年まわりです。

平成2年、1990年、 思い起こしますと、私が夢にまで見ていた、

『大阪・北摂』への拠点開設はスムーズなタイミングでした。

ちょうどその、昭和の終盤から平成にかけての4-5年は『平成バブル』真っただ中!

まさか!

景気が冷めていってる事には気づかない時期でした。

ただオープンの準備中と、オープン直後の景気感覚の違いは、はっきり有りました。

本当に 皆で只管頑張って、この時期を乗り越えてきたつもりでしたが、

実は全て、

ご支援頂きました皆さまのおかげさまです。

心より感謝いたしております。

本当にありがとうございました。

そして、これからも変わらぬご愛顧、ご支援のほど、心よりお願い申し上げます。

代表 氏田耕吉


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本日、60才に、、、

2010/08/02 想い、願い

8月2日、

本日60才を迎えさせて頂きました。

(5月に済んでいますので、私個人の話しではありません??)

1950年、昭和25年8月2日、

有限会社 氏田自動車工作所は大阪法務局に法人として登記されました。(誕生です!)

当時の私は生後3ヶ月、当然知る由もありません。

資料には住吉区帝塚山にて、昭和21年12月から自動車整備工場と営業を始めていた、と有ります。

個人から法人にしたのに、どんないきさつ、また、創業者、氏田寅吉がどんな思いを持っていたのかは私には判りません。

しかるに、この日に会社は生れ、今も生き続け、本日60才を迎えた訳であります。

今日、会社が組織として存続出来ている事は、創業者、そして現在までの社員の皆さまの力も有るでしょうが、

何よりもご愛顧頂いてきたお客様各位のおかげ、と心より感謝いたしておる次第でございます。

たまたま、今日の昼に、帝塚山店に

隣りの病院に来たと、かなり老齢の男性が訪ねて来られました。

「こちらはあの氏田自動車さんですか?」(帝塚山店の看板はウジタオートサロン、としか出てません)

「昔、コルチナ でお世話になってた、、、」 

顔も声も何も覚えてはいませんが、、、、、、

思わず、「ええ、Kさんですか?」 と私は答えていました。

まだ車も少なかった頃の、ましてやめずらしい輸入車を乗って頂いてたお客様のお名前は子供の私でも覚えていました。

その後の、懐かしい昔話は割愛させていただきますが、何か心に触れる時間でした。

これからも、私どもは貴重な時間を心しつつ、この空間を共有できる人様とのご縁を大切にしていきます。

どうぞ今後とも末長くよろしくお願いいたします。

只管感謝

2010年8月2日

有限会社氏田自動車工作所・株式会社ウジタオートサロン   代表取締役 氏田耕吉


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お客様あり!遠方より来たる! (只管感謝)

2010/07/14 , 想い、願い

先週の土曜日、私は豊中店に居ました。

午後、お客様がたて込んで、営業員が間に合わず、
やっと(?)私にも出番が、、、、、、、、

その方は、ショルダーを担いで、気さくに展示車にむかわれ、見てられました。

お声をお掛けすると、、、、、、

「やっぱりベンツが良いなー、」、、、、、、

よくよく、お伺いすると、
十数年前に弊豊中店でベンツC230をご購入、十年前からは名古屋に引っ越されてるそうです。

今回はその車で、木曜日から島根県に旅行に向われ、そこでミッショントラブルに遭われたそうです。

以前から、そろそろ乗り換えを考えておられたそうで、
今回の出来事で、島根から名古屋に帰る途中にわざわざ新大阪駅で下車、ご来店頂きました。

本当に有りがたい限りで、

商談より大方が世間話に終始、
『 ドラマティック 』 がお好きなのまで、私は共感しました。

しかし、よくぞ私どもの会社を思い出して頂けた!と、お伺いすると
インターネットのHPで在庫検索をしょっちゅうして頂いてたとの事、
文明の力に驚きました。

まさに、
『 お客様あり!遠方より来たる! 』  有りがたい、只管感謝のかぎりです

 その後は新大阪駅までお送りし、
私、氏田耕吉の ドラマは続いていくのでした、、、、、、、、、、、、、


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「さぁ、これからだ」

2010/07/13 想い、願い

参議院選が終了、メールが到着しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

氏田 耕吉 様 

おはようございます。

≪ スタートに立つ ≫

参議院選挙では、日本創新党に対して多大なご支援を頂きありがとうございました。

また私どもの力不足で残念な結果になり深くお詫びします。

ただこれは私たちの政見や理念が否定されたのではなく、国民にそれが伝わらなかったことに課題があったと考えています。

国会議員のいない政党へのメディアの不当な扱いや時間不足が響き、現実の壁の厚みを痛感しました。

しかしそれでも全国で50万票という支持は、志民の皆さんの暖かいご支援により、まさに新しい日本づくりの「種火」が点けられたものと確信しました。

「さぁ、これからだ」。

(山田宏)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「よい国つくろう!」日本志民会議

●「よい国つくろう!メッセージ運動」
  http://www.youtube.com/user/nipponsoushin#p/u/3/dR0WdwSeM8c
山田宏(やまだひろし)、伝説の映像スピーチ(10分用)をご覧ください。
この感動を1人でも多くの友人知人にお知らせいただき、よい国づくりの輪を広げましょう。

●「日本創新党News」 毎週月~金 18:00~
あなたの疑問・質問にお答えします!ツイッターからご参加ください!
Ustream生中継 http://www.ustream.tv/channel/nippon-soushin
※PCにてご覧ください。録画もあります。

「日本の議-この国を変えるための提言-」 山田宏・中田宏、弘兼憲史特別鼎談 –5月17日発売–ランダムハウス

「第3の道 日本人が豊かに暮らせるための答え」 山田宏著 –5月13日発売–マガジンハウス

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●志民のコーナー
山田宏・中田宏・中村時広・さいとう弘・上甲晃へのご質問・ご意見は編集部までお寄せください。
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還暦の波が、、、、、、

2010/07/11 , 想い、願い

友人からメールが到着、以下のように返信しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

H.Y.さま

お疲れさまでした。

おおげさと言われるかも知れませんが、私は正直

貴方がたが、今日の日本を支えて下さった!と感謝しています。

又、「引退はまだまだ早い!」ってのが感想です。

地元大阪はしっかりやっとくんで、まだまだ頑張ってください!

また、帰阪の折には前もって連絡下さい。

昔馴染みで『慰労?いや、今後の激励会』をやりましょう。

氏田耕吉

PS;住中の還暦同窓会は11月6日(土)予定で進めています。

予定は空けといて下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5年有余に亘る上海勤務を終え、帰国いたしました。

上海勤務中は一方ならぬご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。

2005年4月に●●(上海)有限公司を設立し、中国に進出されている

日本企業様に対するソリューション(特に人と組織の課題解決)を提供して参りました。

その間、北京五輪や上海万博も開催され、中国は飛躍的に発展いたしました。

同時に 日本企業にとっても中国は本社業績・株価を左右する大きな市場となりました。

為替レートの動向にも因りますが、GDP総額で日本を抜き世界第2位となった様です。

この6月、(株)●●の取締役を退任し、参与という立場で引き続き

中国案件を中心にお客様の海外案件をサポートすることになりました。

当面は、日本をベースとし中国へは出張ベースということになります。

未だ現役ですが、従来よりはかなり自由に動けますので、

今後ともお気軽に様々なことをご相談頂ければ幸甚と存じます。

2010年7月吉日

H.Y.

ーー  ーー  ーー  ーー  ーー  ーー

HY君は 還暦を迎える我々の中でも

世界を舞台に活躍してきた友人の一人です。

我々が高校を卒業した年の大学入試は 「全共闘、全学連」 の時代で、

東京大学は安田講堂が封鎖され、残念ながら入学試験が出来ず、新入生は居ませんでした。

そんな折、そのHY君は、凄い倍率の中、現役で京都大学に入学、卒業後は大手都銀に入行。

その後も出世を重ね、上海支店長、ソウル支店長、北京支店長、先は重役間違いなし!と思っていたら、、、、、

銀行は何度も合併を重ね、最後には合併をされる方になってしまいました。

まるで小説のようですが、そこで見切りをつけて転職、上海のコンサル会社で代表役員として

日本企業を強力にバックアップしてきてました。

私には、まさに自慢の友人でした。

そんな彼にもいよいよ還暦の波が押し寄せてきたんでしょうね!

何かしら判らぬ中で、寂しさを覚え、

ますます今、目の前にある、手の中にある自分の時間の大切さを痛感しました。

まだまだ、頑張りましょう! 氏田耕吉 k-ujita@ujita.co.jp

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浦上春琴の掛け軸 から、、、

2010/07/06 , 想い、願い

最近、気に入ったコラムを紹介します。

ーーー  人と人との繋がりはそんなでありたい。 

仲間たちの集いはこういうふうでありたい ---

浦上春琴の掛け軸 

 

人が集う情景を描いた名画は世界に数多く残されている。 

その中で、私は、最近、ここに掲げた作品に強く魅かれるようになった。 

 

江戸時代後期、浦上玉堂、春琴という文人画家父子がいた。

特に父の玉堂は「近代日本の最大の天才」とたたえられる名手だった。

 

その父子が仲間の文人たちと集って寛いでいる姿を写したのがこの一幅。

描いたのは息子の春琴だ。

 

 

ここに集まるのは当代きっての教養人たちである。

彼らは、心の赴くところに従ってそれぞれの世界に没頭している。

そうでありながら、雰囲気は決してばらばらではない。

どこかで何かが繋がっている。

それが画面全体に心地良い調和をもたらしている。

 

人と人との繋がりはそんなでありたい。

仲間たちの集いはこういうふうでありたいとしみじみ思う。

そういう思いを親しい友と共有したとき、私は時々この軸を出してみる。

 

この軸の前で対面するのは、いつも賑やかに群れ歩いている仲間より、何年かに一度会うような友人がよい。

めったに会わないけれど、何か互いに気になっている、という友がよい。

 

この軸は、私がそのような友と語り合うのを何度か見てきた。

日本人同士にしか味わえないような時間がそこには流れていた。

 

しかし、面白いことに、そういう心に共感する人が、海外からのお客様の中にも増えているように思える。私たちが日本固有だと思っていることは、実は既に固有ではなくなり、世界に共通する精神になりつつあるのかもしれない。

 

そんな思いから、大原美術館では、今秋から江戸時代以前の日本美術の展示に力を注ぎたいと考えている。

倉敷の地で活発に動いてきた日本最古の私立の西洋美術館が、新しい方向性を打ち出したことに、特に海外からどのような反響が寄せられるか興味を持っている。

 

(日本経済新聞 大原美術館理事長 大原謙一郎)


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平和の源には、、、

2010/06/16 想い、願い, 旅行

これ、わかります?

恥ずかしながら、

天橋立には何度も行ってるのに、

傘松公園も

「股のぞき」、、、初めての経験でした。 

京都府北部、日本海の宮津湾にある『天橋立』は、陸奥の『松島』・安芸の『宮島』とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。

 幅は約20~170m・全長約3.6kmの砂嘴(さし)でできた砂浜で、大小約8000本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が、天に舞う白い架け橋のように見えることから『天橋立』の名が付きました。
 その何千年もの歳月をかけて自然がつくりだした神秘の造形を見ようと、年間270万人の観光客が訪れます。天橋立ビューランド(文珠)の飛龍観、傘松公園(府中)からの眺めが有名。

遠い古代を偲び「股のぞき」すると、一瞬目の錯覚により、天橋立が天につながっているように見えます。

今回は業界の総会で旅行で行きました。

続けては、ここ!

舞鶴の自衛隊基地まわりを見学、、、 

 ちょっと、ヒケましたが、

なかなかどうして!

自衛隊の持つ本当に任務、力を感じる装備の数々でした! 

 更には、この護衛艦 『みょうこう』 には乗りこんでの見学

全長161mで、

翌日からは、

250名の乗員で

演習に入るそうです!

首相の所信表明ではないですが、

防衛にはそれなりの金が要る!を実感しました。

でも、やっぱり、

この写真のようなのどかな景色の方が良いですね!

平和な国、日本に幸せを感じる、戦後生まれの氏田耕吉でした。


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紹介

氏田 耕吉(うじた こうきち)が心をこめてお届けします

★代表取締役社長
★好きな言葉:人生二度なし

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