今年の年末年始は

2012/01/04 文化、芸術

年末年始は

しっかりと初詣、

まずは、、、、、

ブータン国王夫妻にあやかって、、、

そう、金閣寺です。

そして庭園の、、、

『陸舟の松』

陸舟の松が向かうところの先には、

金閣があり、舟に乗って金閣に行くのを表現しているようです。

陸舟の松は足利義満の遺愛の盆栽を舟形に仕立てた松で樹齢は約600年だそうです。

http://www.kyotolove.com/kview.php?Select=kinkaku-ji8

そして、奈良では、、、

橿原神宮へ、、、

神社らしい神社に感動!

最後に地元は

元 別格官幣大社、阿部野神社。

母校阪南高校の恩師、林正明先生の筆による、大絵馬です。

さて今日、4日が年末年始の休暇最終日、

これで、いつも通り、仕事モードに突入できる 氏田耕吉でした!

今年もよろしくお願いいたします。


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天龍寺へ『雲龍図』 を拝観に

2011/11/23 文化、芸術

京都・嵐山は 天龍寺(1339年~) に 

『雲龍図』 を拝観に行ってきました。

京都新聞から http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110408000021

法堂兼仏殿の天井に有った明治期の日本画家・鈴木松年画伯の「雲龍図」が書かれていたが、

和紙に描いて貼られていたため、損傷激しく、

平成9年(1997)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として

日本画家加山又造画伯(1927~2004)により「雲龍図」が描かれたそうです。

天井(縦10.6m 横12.6m)に厚さ3cmの檜板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、

さらに白土を塗った上に、直径9mの二重円相内に直接墨色で躍動する見事な八方睨みの龍が描かれています。

http://www.tenryuji.com/unryuzu/

その 『八方睨み』 たるや、まさに圧巻!

それこそ、四方八方どこから見ても『龍」はこちらを睨んでるごとき様相です。

これは一見の価値、多いにあります!

秋の特別拝観は

 期間:平成23年9月3日(土)~12月4日(日)と嵐山花灯路の期間

のようです。お急ぎください。

最近、京都に凝ってる、氏田耕吉でした


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雲龍院の続き・『迷いの窓』と『悟りの窓』

2011/10/20 文化、芸術

西国薬師霊場 第四十番札所
真言宗 泉涌寺派 別格本山 雲龍院

の続きです!

 

このお寺には大黒天立像(走る大黒天) が台所に安置されています。

鎌倉時代の作で、いつも見慣れている

俵の上にのり長者の貫禄をもってニコニコと笑っている大黒様とは異なり、

大きな袋を背負ったわらじ履きの大黒様はとても怪奇な印象をうけます

(大石内蔵助)大石良雄 筆 「龍淵」

元禄十四年(一六八八)赤穂城を退き山科に浪宅を構え閑居した

大石良雄の力強い筆跡の「龍淵」の書が残っています。

近くに大石良雄が身を寄せていた来迎院があり、

その茶室含翠軒で討ち入りの密議をしたとのことです。

 そんな中でも、一番興味深かったのは

 『 迷いの窓 』

と、、、、、、、

 『 悟りの窓 』、、、、、、

近づいて写すと、

さらに神秘的でした。

是非とも訪れてみて下さい。

http://www.unryuin.jp/

 http://kyouno.com/turezure/20110322_unryuu-in.htm


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京都東山・雲龍院で写経を!

2011/10/19 文化、芸術

先日、

京都は東山、泉湧寺の別格本山の

雲龍院に行ってきました。

まずは大変、場所が判りずらく、

結局は泉湧寺の駐車場におかせて頂き、かつその門から入らせて頂きました。

(ありがとうございました。)

 今回、一番の目的は、私の初の体験 『写経』 であります。

そもそも、この雲龍院は1372年、に後光厳天皇のお召しで開かれたお寺で、

南北朝時代に後円融天皇が写経の功徳をご信奉されて以来続く

現存する日本最古の写経道場です。

 どうでしょう!この出来栄えは、、、

 更には薬師如来のご加護を頂きながら写経をさせて頂く

龍華殿・写経塔では、後水尾天皇より寄進された写経机を使わせて頂けます。

そしてその後には

別室して、お茶とお菓子が、、、、、

そのお茶碗を見ると、、、

なんと!菊のご紋が、、、、、

この教室が、1500円とは!さらに驚きでした。

11月12日から23日までの

『秋の特別拝観と夜間ライトアップ』 に再訪する気になった氏田耕吉でした。

http://www.unryuin.jp/


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Facebook って?

2011/10/05 ニュース, 文化、芸術

先日の2011年 第4四半期の全体会議で、 弊社のIT担当(大袈裟?)から、

Facebookについてレクチャー有りました。

昔は、それこそ、

『インターネットってどこで売ってますか?』 なんて笑い話から、

①会社にホームページが有れば、

そして、②、ブログが出来てきて、

ミクシ―だ、ツイッタ―だって時代は、、、、、すぐに、(頭の上を)通過。

今や、Facebook の時代だって、、、、、話で、

自社取組を聞かされました。

そこで、

興味の塊の私は早速、、、、、、

氏田 耕吉 の Facebook

http://www.facebook.com/profile.php?id=100002430358361

ウジタオートサロンのFacebook

http://goo.gl/uDh4P

を始めてみてます。

ただ一つの不満?疑問?は、

自分ではそこそこ顔は広いって思ってましたが、

友達の友達探し、、、『知り合いかも?』 には

ほんとに知り合いが居ません?

??年齢層、仕事層、知的層(失礼)??

これって何なんでしょうかね?

不思議さに迷う、氏田耕吉でした。


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「冨くじ」が発祥の地で復活!

2011/09/10 ニュース, 文化、芸術, 街づくり、地域

帝塚山まつりで、恒例になってる 「冨くじ」 ですが、

(帝塚山まつりでの『子供富くじ』発表風景)

ついにその発祥・復活の話が出てきました。

富くじとは ------------

 江戸時代に流行った一種の宝くじ。

興行主が番号入りの富札(とみふだ)を発売し、別に用意した同じ番号の木札を箱に入れ、期日に箱の小穴から錐(きり)で木札を突いて当たりを決め、「福」を授ける。

主に寺社が修復費募集の場合に幕府から許可されて興行主となりました。

 箕面山瀧安寺が富くじ発祥のお寺です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とありました。

http://www.nanokaichi.com/ryuanji/tomikuji/tomikuji.html

古来より、身体健勝・商売繁盛に強いご利益があると世に知られた「箕面富」が、

昨秋、古式に則り復活しました。

今後、毎年10月10日、今年も10日(月・祝)に行われる予定です。

今年で 復活2年目とか、、、?

なら、25年続いてる、帝塚山まつりの方が古いかも?

まずは、1ヶ月後の10月10日にのぞいてきます。


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司馬遼太郎 「21世紀に生きる子供たちへ」 

2011/09/01 想い、願い, 文化、芸術

先日、司馬遼太郎記念館へ行ってきました。

 清楚な佇まいを見せる元、居宅に併設されていました。

受付にもなっている入口から左へ庭づたいに歩くとすぐに書斎が有ります。

 ここで、

いくつもの名作が

書かれていったのでしょう!

 そして、その庭を通り抜けたところに、

かの安藤忠雄氏が設計した

『司馬遼太郎記念館』 はありました。

残念ながら撮影は全て禁止との事で、入口だけですが、、、、、、

そしたら、中に素晴らしい名文を見つけ、買ってきました。

何でも司馬遼太郎氏が初めて子供むけに書いたものだそうです。

「21世紀に生きる子供たちへ」  (全文)

 私は歴史小説を書いてきた。

 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

 歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、

「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」

 

と、答えることにしている。

 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。

 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

 だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。

 この楽しさは、・・・・もし君たちさえそう望むなら・・・・おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。

 私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。

 君たちは、ちがう。

 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。

 「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」

 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。

 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。

 そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

 人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。

 このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 ・・・・

 人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。

 20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

 同時に、人間は決しておろかではない。

 思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。

 ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」

 と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

 このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。

 そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。

 そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。

 そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。

 君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 ・・・・

 自分に厳しく、相手にはやさしく。 という自己を。

 そして、すなおでかしこい自己を。

 21世紀においては、特にそのことが重要である。

 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。

 科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。

 川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。

 人間は、助け合って生きているのである。

 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 

 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。

 それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。

 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

 他人の痛みを感じることと言ってもいい。

 やさしさと言いかえてもいい。

 「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。

 例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。

 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 鎌倉時代の武士たちは、

 「たのもしさ」

 ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。

 人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

 もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。

 それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。

 君たち。

君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。

 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

 『龍馬がゆく』以来のにわかフアン、氏田耕吉が、

NHK大河ドラマ『龍馬伝』 で、本物のフアンになりました。

素晴らしい時間に心より感謝。


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氏田 耕吉(うじた こうきち)が心をこめてお届けします

★代表取締役社長
★好きな言葉:人生二度なし

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