本日の『日本自動車博物館』を読みながら・・・
2009/05/06 未分類
本日のデイリー 『日本自動車博物館』
を読みながら、自分の子供の頃を思い出しました。
実はこの仕事をしていながら大人になるまで車には全く興味がなく、
学生時代はもっぱらサッカーと音楽に時間を費やしていました。
免許を取ったのも、
「男は車の免許ぐらい持っとかなあかん」とオヤジにいわれ、
しぶしぶ半年がかりで最後は教習所から電話が入るありさまで
二十歳にしてやっと取得しました。
・・・が、時すでにオヤジは他界しており、
氏田同様、横に乗せて走ることは叶わぬ夢となりました。
そんなこんなで、
オヤジと車の話はあまり記憶にないのですが、
そんな中、
神戸の叔父が乗ってきたヒルマンミンクスを見て、
「いい車やな、ヒルマンは、、、」
と、しきりに家族で眺めた思い出があり、
その光景は、まさに「ALWAYS三丁目の夕日」
そのものだったと思います。
オヤジの友達が、どこのメーカーかわかりませんが、
“シンガー”という車を見せにきたことがあります。
「よく故障するんや」なんていっていたように思いますが、
あれ以来、いままだにこの“シンガー”という車に
お目にかかったことがありません。
もしかすると車名を間違っているのかもしれませんね。
家にマイカーが鎮座するようになってからは、
月に一度の墓参りに必ず助手席に私を乗せ、
名神高速道路の豊中・西宮間を走ったようです。
当時気兼ねなくスピードを出せたのは名神だけっだったようで、
100km/hだか110km/hだかで鳴る
♪キンコン、カンコン♪
という警告音を自慢げに鳴らしては子供の私に聞かせていたようですが、
毎回車酔いでそれどころではなく、目をつぶりじっとしていたものでした。
そうそう、私が生まれて初めてタバコを吸ったのもオヤジの車でした。
小学校の3~4年の頃でしょうか、
日頃からおいしそうにタバコを吸うその姿に興味津津。
ある日そっと車に忍び込み、灰皿の“シケモク”をとりだし、
(昔はドアも開いたまま、キーもつけたまま停めていたように思います)
シガーライターで火をつけ、吸いこんだまではよかったのですが、
口の中はピリピリするわ、鼻は痛いわ、気分は悪くなるわで、
誰にも言えず、怖さもあって近所で座り込んでいました。
そんなこんなのオヤジと車の思い出ですが、
最後に入院したとき「退院したら乗るから」と、
昭和51年、当時としては斬新なデザインだった
三菱ギャランラムダを病床で注文したのですが、
結局カタログを眺めただけで退院することなく、
その車が私のマイカーの始まりとなりました。
その後、12万kmを走ったギャランラムダを、
松原に今もある某大手中古車センターに下取りに出し、
同じ51年式のコロナ2000GTを残金全額ローンで購入。
それを松原にあった某チューニングショップで
改造しだしてから一気に車が好きになり、
その後、ひょんなことから生意気な24歳の若僧は、
ウジタオートセンターの面接を受けることになったのです。
こうやって記憶をたどると、男と車って、
だれにも何かしら思い出があるようで、
こんな、魅力、魔力、あるものを提供できる仕事っていいもんやな、
なんて改めて納得した、昭和33年生まれのたわごとでした。