その保田先生との思い出

2007/09/09 

その保田先生との思い出をかって
話したことが有ります。

社長の講演その1(ホームページ)から

●<第7回:私の父親> から

さっき言ってた6時間授業の後の2時間は補講で、お金を払うんのです。 
お金を払って全員が授業を受けるんです。 

ただ、たまには先生がいない時があるんです。 

その日は先生がいないのが分かってて、
友達を2人誘って補講をサボったんです。 
「ばれへん」と思ってね。 住吉中学校を出て、
駅のそばに 「帝塚山古墳」 と言うのがあります。
古墳は史跡になっていて立ち入り禁止なんです。 

ただそこには誰もいないので、
その塀を乗り越えて入って遊べます。
拾った木やダンボールをそりみたいにして乘って
滑走路みたいに上から滑って遊びました。 

2時間ほど遊んで家に帰ったらちょうど「ばれへん」と思って、
ずーっと遊んでて、ちょうどみんなが補講から帰るころよりちょっと遅めに古墳を出たんです。 

調子にのってたんでしょうね、 

3人で帰ろうとして、駅の踏切が下りてるのに渡った所を
駅に居た保田先生に見つかりました。

 「わ、やばい」と思って隠れて、絶対「ばれてへん」はずだったんです。

 先生も全然知らないようだし、怒るそぶりもなかったんでラッキーやったんです。 

ところが次の日の朝、学校に行ったら、、、、、、、、


、、

いきなり3人が職員室に呼び出しで、「君ら3人、心に疾しいところあるやろう」
と言われました。 

ーー「ばれてたん」です。?? 

「とりあえず今は3年生の大事な時期やから、
全員お父さんに来てもらえ。 お母さんではあかん。 
お父さんに来てもろうてくれ。
それがあかんかったら、私が行ってもいい」と言われましてね……。

どう言おうかなあ、うちの親父なんか、
勉強しろなんて言う人でないし、どないしようかなあと思って、
おそるおそる親父に言いました。

「なんか学校へ来てくれって。お父さんしかあかん言うてんねん」
と言ったら、即、「分かった」でした。

次の日に私の父親が学校に行くんですけど、
いつも作業着しか着ていない人だけど、
わりとおしゃれで、遊びに行く時だけはおしゃれな服を着るんですよ。

 放課後隠れて覗いて、どんな格好して来るのかなと思ってたら、、、
もう忘れもしませんね。 

ちょっと長いめのコートを着てたと思います。 

何んでコートを着てくんのかな?です。
 そんな格好してさっそうと職員室に入っていきました。 

 「うわあー、またうちのおやじ、絶対何かやりかしよるなあ?」
えらいこっちゃなあと思ってました。 

ところが、あまり時間もかからない内に、すーっと出て帰って行くんですよね。 

すると、学内放送がかかって先生から
「氏田君、職員室へ来なさい」と呼び出しです。 

職員室へ行くと、
「君のお父さんと話した。家帰って聞いたらいいけど、
まあ、そういうことやから、お父さんによう聞いとけ」とか言われました。 

それ以上は何にも言わないしね、
何でかなあと思いながらおそるおそる家へ帰りました。

夜、仕事終わって上がって来たおやじが、

「ちょっとこっち来てみい、おまえ、学校で補講出んと遊んでたりしたらしいなあ!」。

「ごめん」

「おまえ、勉強好きちゃうんか」

「うん、あんまり好きちゃうねん」

「ほんならおまえ、もう働け」

「え?」、、、、、

「おまえ、もう中学で学校やめて働いたらええ。
勉強も好きでないやろうし、たいした成績でもないから、
公立か私立かスレスレらしいから、金もかかるし。
お兄ちゃんたちは勉強したいと言ってたから私立でも金出して行かしたんや。
 けどおまえは、勉強もいやらしいから、もう働け。 
先生にそない言うといたから」

「え?」、、、、、て。今でもその時のことを思い出すんです。

「うわあ、俺もうあかんわ。

中学出たらもう働かなあかんわ」と思って、もう涙出そうでね。 

私のおやじは酒も飲まない堅物で、明治40年生まれでしょう。 
絶対言うことは聞いてくれませんからね。 
うちの母親なんかでも、絶対口答えするような人じゃないんで、
もうどないしようかなあ思った事をね。

それで次の日、先生に相談に行ったんです。

「先生、実は僕、働け言われてるんですわ。」

「おまえのお父さんは、もう、ほんま、たまらんなあ。おまえ、どないすんねん?」

「どないしたらよろしやろ」

「これやったら余程でない限り、高校へは行かれへんのちゃうかぁ」

当時のことですから、中学しか行かない人も何人もおりましたからね。 
だけど、私はね、当時の成績が750人中400番前後。 
良い時で300番ぐらい。 

当時はできる生徒は基本的に公立高校に行くんですよ。
それでもうちょっとだと私立、もしくは上のついた私立に行くような時代だったんですが
私も成績では行けない事はないんです。

先生は「まあ、とりあえず成績上げなあかんわなあ」と言ってました。 

それで僕は母親に言ってオヤジに頼んでもらう事にしました。
「もう一生懸命勉強する言うてるし、なんとか高校だけ行かせたってください。
上の兄弟と同じように高校へ行かしてやってください。」、

母親が頼んでくれて、僕も横でお願いしますと頼みこみました。
 そこで何とか落ち着いたんですけれど、
でもあれは何かあったら、本当にそのまま働いてたかもしれません。 

そこで、「こらあかんなあ」と思うて、滅茶苦茶に勉強しました。 

たまたま昔から、基礎の要る算数と英語だけは好きだったんで、助かりました。
 ほかが全然ダメだったんですが、記憶だけなんで、いろいろやりました。 
寝るところの枕元に化学方程式を書いて貼っとくんですよ。 
夜寝る時に必ず天井を見ますよね。 
毎日化学方程式を見て寝てると覚えてしまう。 

それとか、テープレコーダみたいなでっかいリールのが家にあったんですよ。 
それで英語の文章とかを吹き込んどいて、
寝てるときにもそれを聞いたりしてると覚えれたんです。

 色々と自分で工夫してると、ポンポンと成績が上がりだして、
すぐ200番くらいまできて、100番くらいまできました。

なんかその辺で自分も「こら行ける!」といつもの自信過剰になるんですね。 
その時の想い出の担任が保田信冶先生とおっしゃるんです。
 
高校を出てからこの仕事についた頃、連絡を頂きました。 
「車、修理するか?」って、、、

出来の悪かった生徒ほどいつまでの気になられるんでしょうね。

今、堺の東雲東町にお住まいで、
実は今でもわが社のお得意様でお付き合いがあるんです。
先般、私が幹事で先生の「定年慰労会」を盛大にしました。

続く、、、、、

http://www.ujita.co.jp/koen1.htm


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