2007/10/17 想い、願い
今日、或る機関におじゃましました。
担当の方は、67才、
或る政府系金融機関に長く居られたそうです。
中でも、あの阪神大震災当時、震災ど真中で支店長をされていたそうです。
とにかく、震災当日は何とか会社までたどりつき、
数日の泊り込みで事務所たて直し、10日ほどで業務を再開。
1000件超の緊急融資を実行されたそうです。
その時代の自分、取引先を思い出しても、
とにかく目の前にある事を確実に一つづつ片付けていけば
何とか成る!事を実感されたそうです。
色々と聞かせていただき
忘れかけてた、初心に返れました。
千里の道も一歩から、、、
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2007/10/12 想い、願い
金さえ儲かればよい
それが商売というものだとこう思い込んで
あたら働きがいを
あくせくと過ごしてしまってはいないだろうか。
―― 何がしかの生計の資(もとい)を得たいばっかしに
あなたは今日もペコペコと頭を下げ
うわべだけの笑顔をつくり
モミ手をしながら嘘八百の説明をして
僅かのゼニをお客から奪おうとしている
そういう商売の仕方を
恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!
もし商売というものが
自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ
人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして
わずかのゼニをつかむだけのものであるなら、
今日限り
そんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。
親子五人、モク拾いしてでもよい
ニコヨンになってでもよい。
もっと生きがいのある、
もっと誠実にくらせる、
そして
モット大手を振って大地を行く
生き方をしようよ!
―― だが、私は信じる、
あなたがいよいよ今日
死ぬという間ぎわに
あなたの子どもたちを集めて
「お父さんは立派な商人だったよ」と
ハッキリと、自慢のできる商売の道がある
―ということを。
本ものの生き方 ( 岡田徹詩集から )
2007/07/21 想い、願い
先日、新聞のコラムに興味深い事が書かれてました。
実験で
鉛筆を横に咥えて、
つまり口にくわえる訳ですが、
1、唇でかむ。
2、歯で噛むように咥える。
の二通りで色々なものを見せたり、読ませたりする。
その後、その各々の事例を後から検証するんだそうです。
すると、
1、唇でかんだ時と
2、歯で噛むように咥えてた時では
明らかにその本人の感じ方が違ったそうで、、、、、、、
(さらに…)
2007/07/03 想い、願い
昨日、私より2歳下の方と商談してました。
その前夜(?)にテレビで
渡辺謙の「明日の記憶」を見られたそうです。
見てるうちに
自分も今の歳から後何年と考え込んでしまわれたそうです。
もっともその方は
(さらに…)
2007/06/02 想い、願い
今朝のNHKの朝ドラ 『どんど晴れ』
見られましたか? 良かったですね。
ご存知の方も多いかもしれませんが、
あらすじは
主人公は横浜のケーキ店の跡継ぎ娘。
一流のケーキ職人である父を目標にパティシエ修業中。
しかし、好きになった、結婚したい相手
の実家は盛岡でも有名な老舗旅館「加賀美屋」。
色々と有って、彼氏の「心の一本桜」になろうと決意し、
「わたし女将になる!」として物語りはすすみます。
後は良くある、花登筐風にドラマは進みました。
或る大きな事件があり、女将になる事を諦め横浜に帰りますが、
諸々の事から感じる事が、、、
それは
最初は結婚したいから、
女将になりたかったが、
今、心の中ではそうではなく
人様に喜んでもらえる旅館の仕事こそ
自分にとっての人生と
今朝は気がつく場面でした。
心からおもてなしが出来る女将になりたい、
という自分の本心に気づき
女将を目指す一人の女として修業をすることを決めるのでした。
(さらに…)
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2007/05/28 想い、願い
やってくれますよね!
24時間テレビ
今朝のニュースにびっくりしました。
24時間マラソンランナー
萩本欽一さん。
例年、『帝塚山まつり』、として
24時間テレビに協力してきてましたので
興味は有りましたが、、、、、
ただただ、驚き
何てったて、66才ですよ!
それにあの欽チャンが、、、
まさに
今回のテーマ
『人生が変わる瞬間』 ですね。
朝から何か勇気が湧いてきました。
今年は楽しみ!
今月57才になった、自分も楽しみ!
ありがとうございました。
只管感謝です。
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2007/02/17 想い、願い
昔、子供の頃に、「速い者(モン)勝ち」とか
「言うた者(モン)勝ち」などと
言い合っていた覚えがあります。
今日は、私の「決めた者(モン)勝ち」の話です。
私は子供の頃から、自分は大きくなったら何になるのか、
はっきりした事が分からないまま社会に出ました。
出たと言うより父親が亡くなった後、
関西大学の二部学生(夜間)になったので、通学できる条件上、
無理の効きそうな亡父の創業した自動車整備工場に入社した訳です。
父親からは自動車整備の自慢話(?)を、たっぷり聞かされていましたし、
元来私も機械いじりが好きだったので、当然の成り行きでもありました。
話は、省略しますがその2年後、会社を一時閉める事態に陥りました。
(興味の有る方は、弊社ホームページ「社長の講演2」
http://www.ujita.co.jp/2koen1.htm をご覧下さい。)
お客様にも、お取引先様にもご説明をしての事ですが、ちょうどそんな折の事です。
朝早くに「車が出先で動かなくなった」と近所の
早嶋勝さんから自宅に電話が入りました。
私も結構器用な整備士で、出張に行ってすぐ動く様に出来ました。
その時、私に「何んで会社を閉めてるの?」と聞かれました。
私は、「もう自動車屋はあきませんねん。
仕事は大変やし、汚いし、しんどいばっかりです。
夜学やけど大学出たら勤めに行こうと思てます」
すると、「じゃ、どんな仕事が良いの?」と聞かれ、
私は「ホワイトカラー、早嶋社長のような仕事」と答えました。
その方は、立派な会社をいくつも経営され、スマートな生き方をされてました。
「いや、私は君の方がええと思うよ。
だって車が動かなくなって困ってる時に来てくれて、
直してくれる。
人の出来ん事して、人の役に立てる。
そんな仕事は素晴らしいん違う?」
その言葉で昔、父親が「人様のお役に立つ。
そして、その自分の仕事でお金が頂ける。
こんな仕事はええで」と、
よく言っていたのを思い出しました。
更に、「仕事は多分何をしても一緒。
他から見て良いと思っても、どんな仕事でも大変。
だったら今の仕事が良いと思うよ。」
と、言われました。
たったそれだけの事でしたが、私はその時に
「自分は一生、自動車屋」と思い始めたのです。
自分で決める事で、何か吹っ切れた思いで、
その後は迷ったり悩んだりしなくて済みました。
それからも事業の拡大・縮小も含め、悩み尽きない事も多々ありました。
平成3年のそんな折にも、
モスバーガーの故、櫻田慧さんに
講演会の司会が縁で、励まして頂いた事が有ります。
その時は「一大決心」という言葉を頂きました。
「何が何でも成功させる。」
「何が何でもやり通す。」
本気の決意の必要性でした。
いずれも、今となれば
「決めた者(モン)勝ち」この言葉に要約されます。
(さらに…)