ALL-NEW ニューEクラス 登場!

2009/05/31 自動車関連

ついに出ました

ALL-NEW  ニューEクラス

ALL-NEW |212|ベンツ|展示会| ニューEクラス 

30、31日はヤナセ各支店で内見会が、

また来週、6日(土)7日(日)には本格展示会です。

詳しくはウジタオートサロンまで、、、、、、、、


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各国の『ナショナル・カラー』

2009/05/27 自動車関連

トヨタの博物館で、

1920-30年代のヨーロッパのスポーツカーを見ました。

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第1次世界大戦後、事故などの問題から街道レースは少なくなり、舞台はサーキットに変わっていく。

航空機の高度な技術を活かし、自動車も一層高性能化していく中で生まれる「グランプリカー」。

いよいよモータースポーツの黄金時代がやってきた。

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そんな中で、「スポーツカーのナショナルカラー」が決まってくる!

これは今も各国のイメージカラーで有り、『ナショナルカラー』として続いている

まずはフランスのカラーは、、、、

そう、『ブルー』、(今もプジョーやシトロエンに多いです)

当時の代表作は1926年『ブガッテイ タイプ35B』

フランス|ブルー|ブガッテイ|1926年|

1926年|『ブガッテイ タイプ35B』|

エットーレ・ブガッティの作品のなかで、もっとも有名なタイプ35は量産レーシングスポーツカーとして大成功を収め、世界中を驚嘆させた傑作である。

それはエットーレの独創性から生まれ、レーシングカーの持つ機能美を徹底的に追求し、各部品の調和まで考え、自動車を芸術ともいうべき造形に変えてしまったのだ。

しかもタイプ35は美しいだけではない。ブレーキドラムと一体鋳造したアルミホイールや運動性能の高いシャシー設計などメカニズムの点でも大いに注目できる。

タイプ35Bは、1924年から30年までつくられた35シリーズのなかでもスーパーチャージャーを装備した高性能モデルである

続いては、イギリスの、、、、、、、

もちろん『グリーン』、 (、、ブリッティシュグリーン、、)

当時の代表は1930年『ベントレー4 1/2リットル』

1930年|『ベントレー|ベントレー4 1/2リットル』|ブリテッシュグリーン

1930年|『ベントレー4 1/2リットル』

ベントレーはビンテージ期(1920年代から30年代初め)のイギリススポーツカーのなかでもっとも重要な意味を持つ。

1927年からル・マン24時間レース4連勝、1924年の勝利を含めれば、この時期なんと5回もル・マン24時間レースを制覇。

なかでも1928年のル・マン24時間レースで優勝を飾った4 1/2リットルツアラーは、ベントレーでもっともポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴している。

ビンテージ・ベントレーの特徴は、ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したことから、この時代の他の純レーサーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことであろう。

そして、『赤』、と言えば、もちろん

イタリアですよね!(フェラーリ、アルファ、など)

これは1930年『アルファロメオ6C1750グランスポルト』

1930年|アルファロメオ|『アルファロメオ6C1750グランスポルト』|レッド

フェラーリ|アルファ|

スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1750cm³の軽快なエンジンで数々のレースに勇名を馳せた6Cは、設計者ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつであろう。

その戦績は枚挙にいとまがないが、特に知られているのは、公道上のレースとして知られる

ミッレ・ミリアで史上初めて平均時速100km以上で走破し、見事優勝したことである。(1930年、ドライバーはタチオ・ヌヴォラーリ)

古き良き時代、

夢とロマンをたっぷり味わった氏田耕吉でした。


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癒しの一刻

2009/05/26 旅行, 自動車関連

今年のGWに日本自動車博物館に行ったのはすでに報告済みですが、

私の愛車、ベレットとカペラの間に

日本自動車博物館|愛車|ウジタオート|いすず日本自動車博物館|愛車|ウジタオート|

実は乗りたかった車が、これ、、、、、

日本自動車博物館|愛車|ウジタオート|いすず

『いすゞ117クーペ』 でした。  どうしてもこれも載せておきたかったです。

さて、北陸加賀温泉郷まで言ったからには、と 「山中温泉」で一泊しました。

これ、判ります?

花つばき|湯畑|野天風呂|山中温泉|ウジタ

宿の下は「渓谷」、、、その川の横の原っぱには、りっぱな野天風呂が、、、、

その上、これがまた、、、、、混浴と来てるんで驚きます!!!!!!

その日もとんでもないグループに遭遇、、、

いろいろあります、、、、

しかし、各位にはご安心(がっかり?)、体に巻きつけるタオルが借りれますんで!

花つばき|湯畑|野天風呂|山中温泉|ウジタ

湯畑「花つばき」さんでお世話になりました。 (トラッピクスのびっくり価格に感謝)

しかし、すごいお風呂でしょ、 私は夕方、翌朝とたっぷりはいりました。

さて、ここは街はずれの温泉でしたので、 翌朝は、

『こおろぎ橋』 から降りて 「鶴仙渓(かくせんけい)」を遊歩、、、

鶴仙渓|山中|加賀温泉|花つばき|ウジタ|

途中の川床で、ちょっと一服。

鶴仙渓|山中|加賀温泉|花つばき|ウジタ|川床

最高の瞬間でした。

ここから街道に戻るべく、 『あやとり橋』へ、、、

さっきの川床はこんなに、、、、、、

鶴仙渓|山中|加賀温泉|花つばき|ウジタ|川床

鶴仙渓|山中|加賀温泉|花つばき|ウジタ|川床

人工のあやとり橋からは、、、、、、、

心から癒された 氏田耕吉の GWでした。


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これが私が自力で初めて買った、、、

2009/05/21 自動車関連

 ついに見つけました!

5月の連休中の「ひとりごと」に書き綴ってた、『私の愛車たち』の

第2号車、正確には、私がお金を貯めて、自力で買った初めての車、、、

 

『いすゞ ベレット GT』 です。

 

いすゞ|ベレット|トヨタ博物館|氏田耕吉 k-ujita@ujita.co.jp ( http://www.ujita.co.jp )

ちょうどこの初期モデル、

懐かしいです。 (きっと家のどこかに、現物の写真も、、、?)

 

ついでに(?失礼?) 一緒に行った南川さんの第1号車も

 

スカイライン|54B|トヨタ博物館|氏田耕吉

名車「スカイライン 54B」 です。

これらの 写真のモデル車は、

愛知県長久手に有る

「トヨタ博物館 3階」の物を拝借しました。

 

トヨタ博物館|ウジタ|氏田耕吉 k-ujita@ujita.co.jp ( http://www.ujita.co.jp )

 

このマスコット、、、凄いでしょ!

 

氏田耕吉 でした。

よければ、コメントください!

k-ujita@ujita.co.jp  です。


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トヨタ博物館の次は 『日本自動車博物館』

2009/05/06 自動車関連

今回の、行先は 大阪から3時間の

北陸 「日本自動車博物館」 !

建物は、と言うと、、、、

日本自動車博物館|ウジタ|クラシックカー

こちらでは3階建の建物 (外装2階建)更には中段有っての実質5階建(?)、、、、、、

まずは正面入口入ってすぐには、大物(?)三台、右端はプレート付きの現役!

日本自動車博物館|ウジタ|クラシックカー

そして、後ろも全部、、、、

いきなり凄いクラッシックカーが勢ぞろい!!

日本自動車博物館|ウジタ|クラシックカー

ちょうど、スカイラインとクラウンの特集やってました。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|

まずはスカイラインコーナー

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|スカイライン

歴代のスカイラインがずらり!

決していい管理とは思えませんでしたが(?)

「走り続けて50年」 12代目まで、、、、、、色々、思い出しますね。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|スカイライン54A

この、『 S5# シリーズ 』  なんて、「54A」、「54B」への憧れ、、、、

更には 、小学校時代からの憧れ、

プリンス スカイラインクーペ、が有りました。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ

かっこいいですね!

モータマガジンの 「絶版名車物語」 によりますと、、、、、

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プリンス・スカイライン・スポーツ(BLRA-3型)
PRINCE SKYLINE SPORTS
DEBUT:APR.1962. MAX SPEED:140km/h
ミケロッティ作、日本のドリームカー。
イタリアン・デザイン導入第一号車
スカイライン・スポーツは、日本車として最初にイタリアン・デザインを取り入れた車として、歴史に名をとどめている。
1960年11月のトリノ・ショーで、プリンス・グロリアのシャシにジョバンニ・ミケロッティが2ドア・クーペとコンバーチブルのボディを架装して出展し、注目を集めた。
チャィニーズ・アイと呼ばれたデュアル・ヘッドライトを45度傾けた異色のフロント・デザインがポイント。
1961年の東京モーターショーにも展示され、1962年4月から市販に移された。
エンジンはグロリア用のGB4型直4OHVだが、吸排気系のチューンにより、出力は94馬力に増大している。
サスペンションは前輪:ダブルウイッシュボーン/コイル、後輪:リーフスプリングのド・ディオンアクスルを採用。
このあたりは、プリンス自動車の技術の先進性を示すものだ。
第1回日本GP(63年5月)にスカイライン・スポーツも2台参加し、フェアレディ、MGB、トライアンフTR3/4と戦い、結果は10位だった。
価格はクーペが185.0万円、コンバーチブルが195.0万円と、当時のクラウンの2倍、ブルーバードの3倍と、まさに高嶺の花だった。
製造台数は約60台と言われる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんなのから始まって、

走行可能車 500台 との事、私の過去の愛車も有って、本当に楽しく、凄かったです。

さて、ここからが私の個人的な車話です。

まずは、『幻の第一号車』

これは、私の親父が、何を思ったのか? 中学から高校に上がる(?)頃に

「お前が免許取れたら、これに乗れって!」 置いてくれてた  『フェアレディ !!

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|フェアレディ|ベンツ

後で聞いたら、

「仕入れたけど売れずに置いてた車」 だったとか?

やがて、いつの間にかその車はガレージから無くなって、、、、、、

次が『幻の第二号車』、、、、、、

『ヒルマンミンクス』 で、

かなり古いんですが、この車に乗れって言われてたんですが、、、、、

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|ヒルマンミンクス

ところが、 実際には「免許証」を貰って帰ってきたら、

ガレージには、 この型、『いすず、ベレット』 を置いてくれてました。

だから、 本当の私の第一号車はこれ!。

日本自動車博物館|氏田|ベレット

兄貴が乗ってた「お下がり」で、これを 主に乗り出したんでした。

≪これのコラムチェンジが嫌で、床のミッション部分を穴開けて無理やりダルマ(フロア)チェンジに変更!≫

フロントバンバーにスターテイングハンドルの穴があいてる(バッテリー上がると使う) 『ヒルマンミンクス』 と

改造フロアーミッションの 『いすず、ベレット』 を 兄弟兼用で乗り出したんでした。

それは私の高校生の夏休みからだったんですから、贅沢な 『車人生のスタート』、、、

と、思いきや、その後数日で、病床に伏してた親父の容態は急変、、、、、、

結局、生きた親父を私の運転する車に乗せることが出来ませんでした。

ひょっとして、『最後の贅沢』 をさせてくれたんでしょうかね?

さて、その後は

博物館には置いてませんでしたが、、、

働き出して、自分の貯めたお金で初めて買った車、

『いすゞ・ベレットGT』 (GTRではなかったが?) を経て、、

マツダのカペラロータリークーペ、、、

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|カペラロータリークーペ

当時人気のファミリアロータリークーペの10Aエンジンより凄い(?)12Aのエンジンで、これが目茶苦茶ガソリン喰いましたね?

1Lで2-3km? 5kmは伸びず、、、岸和田通いで1か月ドラム1本200Lは使ってました。

その上、エンジンはすぐに吹き抜ける(圧縮が水の方に抜ける!)はで、結構大変でした。

やがて、第一次オイルショックでガソリン不足に高騰と、大変で、

結婚を機に処分しました。

その後は仕事兼用で 『カローラ・バン』 にしました。

これにソレックスのキャブなんかを付けて、リヤーバンバーに車両搬送用のフックも
付けてました。

書き出すと切りがないのでこれくらいで今回の「日本自動車博物館」報告を終わります。

氏田耕吉の30年ほど前の思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

さて、今日はゴールデンウィーク最終日ですが、豊中店、住吉店は、休まず営業。

ご来店お待ちしております。なお、本日私は住吉店に出勤してます。

<ゴールデンウィーク期間中の営業案内>
http://www.ujita.co.jp/data/2009gw.htm


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日本自動車博物館 報告Ⅲ

2009/05/05 自動車関連

 

さて、ここからが私の個人的な車話です。

まずは、『幻の第一号車』

これは、私の親父が、何を思ったのか? 中学から高校に上がる(?)頃に

「お前が免許取れたら、これに乗れって!」 置いてくれてた  『フェアレディ !! 

 

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|フェアレディ|ベンツ

後で聞いたら、

「仕入れたけど売れずに置いてた車」 だったとか?

やがて、いつの間にかその車はガレージから無くなって、、、、、、

次が『幻の第二号車』、、、、、、

『ヒルマンミンクス』 で、

かなり古いんですがこの車に乗れって言われてたんですが、、、、、

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|ヒルマンミンクス

ところが、 実際には「免許書」を貰って帰ってきたら、

ガレージには、 この型、『いすず、ベレット』 を置いてくれてました。

だから、 本当の私の第一号車はこれ!。

 

 日本自動車博物館|氏田|ベレット

兄貴が乗ってたのを取り上げて、これを 主に乗り出したんでした。

(報告Ⅱは私がボケてました)

『ヒルマンミンクス』 と 『いすず、ベレット』 を 兄弟で兼用に乗り出したんでした。

それは私の高校生の夏休みだったんですから、贅沢な 『車人生のスタート』、、、

と、思いきや、その後、病床に伏してた親父の容態は急変、、、、、、

結局、生きた親父は私の運転する車に乗せることが出来ませんでした。

ひょっとして、『最後の贅沢』 をさせてくれたんでしょうかね?

さて、その後は

博物館には置いてませんでしたが、、、

働き出して、自分の貯めたお金で買った

マイナーチェンジ後の新型の『いすゞ・ベレットGT』(GTRではありませんが) を経て、、

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|カペラロータリークーペ

 マツダのカペラロータリークーペ、、、

これは目茶苦茶ガソリン喰いましたね?

1Lで2-3km? 5kmは伸びず、、、

エンジンはすぐに吹き抜ける(圧縮が水の方に抜ける!)、はで、結構大変でした。

この車は結婚を機に処分し、営業を兼ねて『カローラ・バン』にしました。

これにソレックスのキャブなんかを付けて、後ろに車両搬送用のフックも
付けてました。
 

書き出すと切りがないのでこれくらいで「日本自動車博物館」報告を終わります。

氏田耕吉の30年ほど前の思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

—————————————-

豊中店、住吉店は、ゴールデンウィーク期間中も休まず営業。

ご来店お待ちしております。

<ゴールデンウィーク期間中の営業案内>
http://www.ujita.co.jp/data/2009gw.htm

 

 


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日本自動車博物館 報告Ⅱ

2009/05/02 自動車関連

今回の北陸の

日本自動車博物館,、、、、、、良かったです。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|

ちょうど、スカイラインとクラウンの特集やってました。

まずはスカイラインコーナー

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|スカイライン

歴代のスカイラインがずらり!

決していい管理とは思えませんでしたが(?)

「走り続けて50年」 12代目まで、、、、、、色々、思い出しますね。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|スカイライン54A

この、『 S5# シリーズ 』  なんて、「54A」、「54B」への憧れ、、、、

更には Ⅰ で報告済ですが、、、、、、、

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ

かっこいいですね!

これは、私の親父が、何を思ったのか?

「お前が免許取れたら、これに乗れって!」 置いてくれてたフェアレディ !!

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|フェアレディ|ベンツ

後で聞いたら、

「仕入れたけど売れずに置いてた車」 だったとか?

実際には免許取って帰ってきたら、

病床の親父は次の 『ヒルマンミンクス』 ガレージに置いてくれてました。

日本自動車博物館|ウジタ|愛車|クラシック|ベンツ|ヒルマンミンクス

だから、これが私の第一号車。

結局、生きた親父を乗せることが出来ませんでしたが、、、。

 

第二号車以下は次回に、、、

氏田耕吉、思い出一杯の日本自動車博物館です。


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