司馬遼太郎 「21世紀に生きる子供たちへ」 

2011/09/01 想い、願い, 文化、芸術

先日、司馬遼太郎記念館へ行ってきました。

 清楚な佇まいを見せる元、居宅に併設されていました。

受付にもなっている入口から左へ庭づたいに歩くとすぐに書斎が有ります。

 ここで、

いくつもの名作が

書かれていったのでしょう!

 そして、その庭を通り抜けたところに、

かの安藤忠雄氏が設計した

『司馬遼太郎記念館』 はありました。

残念ながら撮影は全て禁止との事で、入口だけですが、、、、、、

そしたら、中に素晴らしい名文を見つけ、買ってきました。

何でも司馬遼太郎氏が初めて子供むけに書いたものだそうです。

「21世紀に生きる子供たちへ」  (全文)

 私は歴史小説を書いてきた。

 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

 歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、

「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」

 

と、答えることにしている。

 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。

 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

 だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。

 この楽しさは、・・・・もし君たちさえそう望むなら・・・・おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。

 私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。

 君たちは、ちがう。

 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。

 「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」

 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。

 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。

 そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

 人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。

 このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 ・・・・

 人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。

 20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

 同時に、人間は決しておろかではない。

 思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。

 ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」

 と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

 このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。

 そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。

 そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。

 そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。

 君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 ・・・・

 自分に厳しく、相手にはやさしく。 という自己を。

 そして、すなおでかしこい自己を。

 21世紀においては、特にそのことが重要である。

 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。

 科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。

 川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。

 人間は、助け合って生きているのである。

 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 

 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。

 それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。

 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

 他人の痛みを感じることと言ってもいい。

 やさしさと言いかえてもいい。

 「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。

 例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。

 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 鎌倉時代の武士たちは、

 「たのもしさ」

 ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。

 人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

 もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。

 それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。

 君たち。

君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。

 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

 『龍馬がゆく』以来のにわかフアン、氏田耕吉が、

NHK大河ドラマ『龍馬伝』 で、本物のフアンになりました。

素晴らしい時間に心より感謝。


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帝塚山まつりではありがとうございました.

2011/08/24 街づくり、地域

各位

帝塚山まつりでは本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした!

天気には恵まれず(?)、

いや逆に涼しくて良かった(笑)位でしたが、

事故やトラブルもなく、無事に終了出来ました事、

心より御礼申しあげます。

おかげさまで、

この 「住民による、地域の、手創りイヴェント」

 『帝塚山まつり』 は

1987年以来、実質25年、四半世紀にわたって実施してこれました。

これも全てはご協力頂く、そして来場頂く地域の方々のおかげと感謝いたしております。

又、今回は雨で参加者数減少にもよるかもしれませんが、

ことのほか、穏やかに各行事も進んでいたように感じました。

そして、何より次代を担うスタッフの方々の活躍が目覚ましく、

それこそが うれしい限りでございました。

『人は町を作り、その街は人を創る!』

そんな時代を確証しつつ、

住民による 街づくり活動を活性化させていきましょう!

今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。

 氏田 耕吉

2011年 子供だんじり 曳行前 (阿部野神社にて


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帝塚山まつりの子供だんじりは今年も

2011/08/21 街づくり、地域

昨日のだんじりの

阿部野神社の宮出しでの「お祓い」後の写真

総勢は、、、

人影で小さな、だんじりが見えません?

本日、日曜日も朝から町内曳行、

そして阿部野神社に昼過ぎには宮入りです!

よろしくお願いいたします。


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ウジタオート、今年の夏は、、、

2011/08/12 ニュース

豊中店・住吉店はお盆期間中も休まず営業致します。

みなさまのご来店お待ちしております。
<お盆期間中の営業案内>
http://ujita.co.jp/data/2011bon.htm


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今年の帝塚山まつりのキャラクター

2011/08/10 ニュース, 街づくり、地域

帝塚山まつりでは

過去には大阪府自動車整備振興会から 「てんけんくん」 と 「せいびちゃん」 を

そして、昨年は奈良県から、「せんとくん」 をお招きしましたら、

相変わらず子供の皆さんに大変な人気を博していました。

そこで、今年は

阿倍野区から、 「あいちゃん」を

そして、住吉区からは 「すみちゃん」 を招へいさせて頂ける事になりました。

しかし、例年同様、、、、、、

(こどもさんの夢を破ってしまいますが)

この暑い中、さて誰が中に入れるのか、、、?

皆さま、20,21日のまつり当日をお楽しみに、、、

まつり大好き、氏田耕吉でした。

追伸:帝塚山まつり実行委員会の最終打ち合わせは、

明日11日、弊社帝塚山店地下1階で、19時からです。

ボランティア頂ける各位にはご参集、よろしくお願いいたします。

 2011年第2回の実行委員会にて


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日本初の水陸両用車での大阪観光「ダックツアー」

2011/08/04 ニュース

今年の会社の創立記念行事は

日本初の水陸両用車での大阪観光でした!

こんな船体みたいなのを、車台に乗せて大阪の街中を観光します。

そして、いよいよ大川に入っていきます。

クーラーはなかったですが、却って気持ちよく、

大川のクルージングの30分は最高でした。

プロペラや足回りが興味深く、、、、、、

童心にかえった100分、3600円でした!


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8月2日は弊社の創立記念日

2011/08/02 ニュース

8月2日は弊社の母体、有限会社氏田自動車工作所の創立記念日です。

おかげさまで、会社も本日からは、61年目に入ります。

ただ、会社で一番古い私が61歳で、創業時は生後3ヶ月弱で、勿論ながら何も覚えて居りません。

また創業者の氏田寅吉が亡くなったのが、昭和43年(享年60歳)、当時私は高校3年生の18歳でしたから引き継ぎも無く、沿革的にも判らない事も多々あります。

実際の創業は1945年(昭和20年)の12月頃らしいのですが​、

法務局への法人登記が1950年(昭和25年)8月2日になって​ますので、この日を「創立記念日」としています。

http://ujita.co.jp/%e4%bc%9a%e7%a4%be%e6%a1%88%e5%86%85/%e4%bc%9a%e7%a4%be%e6%a6%82%e8%a6%81%e3%81%a8%e6%b2%bf%e9%9d%a9/

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さて昨日の朝も いつも通り、一番茶をたてて、ご仏前にお供えし、日々の​報告してました。

果たして、61年前、創業者の父、寅吉はどんな思いでこの朝を迎え​たのでしょうか! 

いずれにせよ、縁に生かされてる事に 只管感謝 の氏田耕吉です。

ありがとうございます。


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紹介

氏田 耕吉(うじた こうきち)が心をこめてお届けします

★代表取締役社長
★好きな言葉:人生二度なし

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