街づくり20年(中) –住民による、住民のための街づくり–

2007/05/14 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


大阪日日新聞  平成19年5月15日(火)
澪標 ―みおつくし―  より
 
『街づくり20年(中)』
–住民による、住民のための街づくり –

 帝塚山街づくり交流会(略称TMK)の初めてのイベントとなった「走れ ぼくらのチンチン電車」。
その表彰式のあった、
1987(昭和62)年はTMKのもろもろのイベントがスタートする年となった。

 5月には阿部野神社で「阿部野薪能」が始まる。
これはTMKの活動とはいえないだろうが、当時氏子青年会会長を務めていたわたしも
第1回実行委員の末席をけがすこととなった。

 氏子青年会は、地域の町内会や子供会の活動を気にされていた
中塚昌宏宮司(当時は禰宜職)の声掛けで結成された。
従来の氏子総代会活動とは別に「子供みこし」を作り、担がせることから始まり、
数年後には念願の「子供だんじり」まで巡行させていた。
事情で青年会は解散したが、「子供だんじり」は「阿部野だんじり」と名前を変え、
「帝塚山まつり」の一環として現在も子どもたちがえい航をしている。

 さてその「浪速津南阿部野薪能」は今年も
5月17日(木)鎮守の森、阿部野神社境内にて、
第21回(委員長加地靖通)を開催する。

問い合わせは電話06(6661)6243、薪能後援会事務局へ。

ホームページのアドレスは次の通り。http://www.abenojinjya.com/

 話は相前後するが、その年の8月にウジタオートサロンの展示場スペースを使った
「お?きに祭」が行われた。
これが現在、21年続く「帝塚山まつり」につながっていくこととなる。
最初は多種多彩な業種の方々に集まっていただき、フリーマーケット形式で
地域還元、感謝の意味を込めての開催だった。

 「帝塚山」という地域柄、「打てど響かず」かと想像していたが
当日は予想を超えた反響と動員数に人々は驚くこととなる。
その中の一人に池田正仁さんがおられた。
彼はジャズをはじめとする音楽に造けいが深く、
以前より地域を挙げてのライブストリートを考えておられた。

 「お?きに祭」当日、熱っぽく語られたその思いは
同年11月、第1回帝塚山音楽祭(委員長森一貫)としてスタートすることになる。
第2回目からは5月開催となり、
第21回(委員長橋本秀信)の今年は5月26(土)27(日)の2日間、
熱心なスタッフたちにより開催される。

 今回は、(1)ライブストリート(有料)
(2)万代池公園野外ステージ(入場無料)
(3)万代池ラウンドバザー(同)
(4)コミュニティー広場(同)が催される予定である。

問い合わせは電話06(6678)0022、音楽祭事務局へ。
ホームページのアドレスは次の通り。
http://www.tezukayama.com/ongakusai/

 さて話は戻るが、88(昭和63)年には
「帝塚山カップゴルフ選手権大会」がスタートする。
これはゴルフを通じた地域住民の交流の場がコンセプトだった。

 第1回は地元の故大屋政子さんが理事長だった
「室生ロイヤルカントリークラブ」(現ムロウ36ゴルフクラブ)で開催された。
その後は地域外からの参加者も増え、開催会場もいろいろと変わった。
第20回記念大会(委員長前山村雄)の今年は11月3日に、
その「ムロウ36ゴルフクラブ」で計画されている。

問い合わせは電話06(6627)1590、同事務局へ。

 これらの街づくりイベントは行政や企業の主催とは違う。
企画から運営まですべてを住民である実行委員が、
参加する住民のために行う。

それをもって双方の住民はさらに親密になる。

 これこそが「街づくり」の本来の原点で、スタートではないだろうか。

 (うじた・こうきち 大阪市阿倍野区帝塚山)

 

大阪日日新聞  平成19年5月15日(火)
澪標 ―みおつくし―  より

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帝塚山街づくり交流会・
ウジタオートサロン代表取締役
氏田 耕吉
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『街づくり20年(上)』
– 人が街をつくり、街は人をつくる –
 は氏田耕吉のひとりごと、平成19年4月3日よりご覧いただけます。


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