9、「成功の反復」

2007/11/24 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


さてもう一つ言葉のご縁ですが、「成功の反復」というのをサンゆ倶楽部で習った事があります。

サンゆ倶楽部では月1回「サンユ塾」というのがありました。いろんな教科書をくれまして、それを勉強していきます。今はちょっと形が変わりましたが私が入った当時はそんな事で進めてました。その中の、何の本だったか題名は忘れてしまいましたが、「成功の反復」という項がありました。

人間というのは、何か自分で苦しいことにトライして、その苦しいこと、難しいことができたら、それ以後はそこまでは必ずできる、と自分で思えるようになるらしいです。そして、その次、というようにまたやっていける。 人間というものはそんな「成功の反復」の繰り返しであるという。 そしてその成功を少しづつ大きくしていく…そういうようなことが書いてありました。

 よく分からなかったのですが、「ああ、これか」と思いました。何かどっかまでうまいこと出来たら、次はそのレベルの事までは行ける。そこまでのレベルは自分で自信を持っていける。つまりステージを上げていけるという感覚で思ってます。

例えば「人前でしゃべってくれるか?」って言われたら「何人ぐらいですか?」って聞いてみて、最大で千人ぐらいは絶対大丈夫です。自信を持ってしゃべれますね。それは何でかと言うと、千何百人ぐらいの議員の応援演説をよくやらされるんです。私はこれを必ず盛り上げられるんですよ。 

それを自分で自己暗示をかけてまして、例えば千人ぐらいやったら、この人らを最後に必ず「今日は良かったわー」と言わせるように応援演説をする自信があります。だから近所の議員は必ず頼んでくるわけです。「わかりました。」ってやりますね。好きでも有るんでしょうが、とにかくスピーチで頼まれたら断りませんね。対象が5千人ぐらいやったらちょっとわかりませんが、1度見えへんぐらいの大衆を相手にやってみたいなという思いはありますね。

 ところが商売はそうはいきませんね。かって、すごくしんどかったことがありましてね。どうして良いのかわかれへんようになった事があるんです。そのときにたまたま天龍寺の経龍会へ行ってたんですよ。何か悩んでいたときの事です。

国宝級の庭があって池があるんです。池のほうから見たときに建物の廊下に衝立みたいなのがありました。 そこに「登龍門」と書いてあったんです。 

要約すると「人間にはどうしても超えれないような壁にぶつかることが必ずある。これを何度も何度もトライしてると、それをぽーんと超えられる。そしたら、そこから一気にいける。」というようなことを書いてあったんです。

はっきり覚えていないし、説明しにくいんですが、それをぱっと見た時に、感じたんです。 天龍寺の国宝の庭でかじかむ手で掃除をしているときに廊下の衝立の言葉が「ストン」と心に落ちたんです。それが、「登龍門」でした。

それがどういう事だったのかは覚えてません。ただ人間にはどうしても超えれないような壁に突き当たることがある。そのとき超えようと努力するがなかなかうまくいかない。ところが何かの拍子でそれをぽんと越えられると、一気に登れると理解してます。

それを見たときに「あ、これが今は俺の登龍門や。これを飛び越えたら俺もいけるんや」と思ってものすごい自信になったんです。「これやー! わかった! 俺は今、ここにおるんや!」と今の自分の場所が見えたような気がしたんです。 この言葉を知ったのが私にはものすごかったです。本当の言葉のご縁とは「これ」なんですね。

それからは何かあって「クー」ときた時には「これは登龍門や」と思うようにしてます。

それから、たまらんぐらい、いじめられて、コテンパンにやられた時には、『攀念痴(はんねんち)』、の三文字、これはお経に出てくる言葉で鍵山秀三郎さんに教えらてもらいました。  

『攀』は山を普通に登るのでなく、手足を使ってよじ登る様を言います!つまりは憎んだり、うらんだりするような事がエスカレートする、念のような状態を『攀念痴(はんねんち)』と言うのだそうです。

そう言う憎しみや恨みの攀念痴を抱くと夜は眠れない、食事がまずい、そして体も疲れる。だからこう言う念は持った方が疲れるわけで、持たれた方は平気で高枕です。

だからこそこんなつまらない念を持って人生の貴重な時間をすごさない方が自分にとって多いに得だと言う事です。 これは本当にありがたい言葉ですね。

 まだまだ言葉のご縁は有りますが今回はこれくらいにします。


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8、小才、中才、大才

2007/11/17 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


それで、積善の話はいいとして、次は「小才、中才、大才」についてです。

小才は袖擦れ合うも縁を気づかず、
中才は袖触れ合うを気づくが生かせず、
大才は袖触れ合う前に縁に気づく!

「育縁、活縁、尊縁」いうふうな話の中では1つは縁を見つけ出すとか、関連付けるという
コツがいると思うんです。
サンゆ倶楽部でよく言われる、
『人的財産』っていうのが
本当にものすごくあると思うんです。

はっきり言いますけど、高校しか出てなくて夜学の大学もほとんど行ってへんような奴(私)が、それもちっちゃな規模の仕事してるおっさんのくせして、
「なんでお前そんな人を知ってんねん?」という場面がよくあります。

この年になって余計に思うんですけど、自分でも
「なんでこんなんやろな」と思うことがあります。
顔の面積と同じでとんでもないぐらいに本当に顔が広いんです。

今年、徳島から高校を卒業して若い子が1人入社してきてます。
その子を連れて研修でいろんなことをやっているんですね。
今、豊中に勤務させてて、この間も万博公園で「ホタルの夕べ」というのがあってそこへ行ったんですよ。

そしたらかなりたくさんの人が来てました。
駐車場からずっと真っ暗がりな中を歩いて行って、人一杯の中を歩いていくんですよ。
ずーっと歩いて行ってやっとホタルを見つけて「おーきれいやな、来た甲斐あるなあ」って言うたら横で「ほんまですねえ」って女の人が言ってきます。
ぱっと見たら、そこにおった人が帝塚山音楽祭の実行委員長をしてる加藤さんでね、
たまたまそこで会ったわけなんです。
「あ、加藤さん、こんなとこで会うねんなあ」、、、て。

このくらいのレベルでしたらいいんですけど、実はこの一緒に連れてた 
新入社員と、その5日ぐらい前に地下鉄に乗ってました。
「このごろ商談してもお客さんに逃げられてばっかりで、ずっと電話も出てくれへん。
つらいもんやで営業も、なあ・・・俺は役に立つと思ってやってるのに、向こうが嫌がってはんねんや・・・そやけどこれもしゃあないしなあ」って言ってました。
夜8時半ごろですが、たまたま満員電車に乗ってたら、梅田からピッとドアが開いて前から乗ってきたのがその人でした。

「うわあー、Kさん、ここで会ったが100年目」とか言って向こうもびっくりするんです。そんな事が1週間の間に2回もあったんです。

その新入社員が「社長、大阪って広いと思ったけど社長はすごい人ですね」
とそんなことを言い出してました。私の場合はほんまによくあるんです。

何年か前には海外に行ってて、帰りの空港で飛行機を待ってるときに、
ぱっと前から来た人がうちの娘の同級生の両親でした。
先方は娘さんを連れてのご家族で、私は仕事やったんですけども、
「うわぁ、えらいところで会いますね」、でした。

向こうはそのままファーストクラスに乗って、私はエコノミーに乗って帰ってきたんです。
これは育ちが違うんですね。もっともこれは関空行きなんでたいしたことはないです。

私どもではドイツから車や部品を買ってます。何年か前にハンブルグに、仕事で行ったんです。フランクフルトがハブ空港なので、そこからトランジットしたりするんです。
ハンブルグ行って日本人の通訳を雇って車や部品の仕入れをして3、4日おったんかな。
車買うだけ買ってさんざん大きな膨らました話を通訳の人に偉そうに言ってました。
帰国の時にカートを押しながら歩いて行ってたら、
近所の中学校のときの同級生の高橋という友人に会いました。

「おぉー、久しぶりー」「氏田、何してんねん」「ちょっ仕事やってん」「ほんまぁー」とか言ってました。
通訳の人に「ハンブルグで日本人に会うことはあってもそんな近所の人に会うんですかね」って言われました。
「会うんや、不思議やろー」って言うたんですけどね。

ほんまによくあるんです。だから間違っても悪いことはできないですね。
もう1つ余計なことですがおもしろい話をします。

以前、娘をNHKホールに連れて行ったんです。
開演まで時間が有り、「ちょっと勉強しとこう」ということで
隣の大阪歴史博物館に行きました。

エレベーターに二人で乗って最上階迄上がって行きました。
最上階でエレベーターが、開いたらその前にわが社の30年来のお客様が
うら若い女性と腕組んで立ってたんです。

「うぉー!これはどないしたらええんかな」と思ってたら、
向こうも一瞬ぱっと離れました。
うちの娘が「あ、Mさんや」
そしたら「社長、久しぶり」とさりげなく言って、
2人で汗かきながら娘にバレんようにと思って、その場を繕いましたね。

娘はあとで母親に「今日はすごいことがあったよ」と言うてたらしいから・・・ 
ばれてたんですね。
そういう話もありますので、やましい事のある方(?)は
私のそばにあまり近づかないようにしてください・・・ 

私は物事や人物を関連付けるのが本当に得意ですね。

ちょっとだけサンゆ倶楽部に絡む話だけを端折って言います。
サンゆ倶楽部の何周年かで朝日新聞の西垣戸記者が取材に来ていました。
そのときに、私が式典の司会をしてました。

その後、近所の阿部野神社にその西垣戸さんが取材に来はったんです。
当時私は阿部野神社で氏子青年会の会長をしていたんです。
会長とかと言っても、その年にできた氏子の青年会で、発会の時にネクタイ締めてスーツ着てたんが私だけだったんで決まったんです。
やっぱり会長はスーツ着てネクタイ締めてんと写真写されへんいうことでした。

そのイベントにたまたま来られて、「あのときの氏田さん」いうことになったのが縁なんです。

その西垣戸さんは「100円ラーメン哲学」という本を出してました。
そしてさっき言ってた融資して下さった或る銀行の支店長さんと知り合いだったんです。

前任の支店長時代にその本の、大阪飯店にいつも行ってたんだそうです。
その縁で支店長さんは西垣戸さんと大の親友やったんです。
それは融資が決まったあとでわかったんですが、、、

『100円ラーメン哲学』という本が支店長室にあったから、
「なんでこんなんありますのん?」って聞いたら、
「西垣戸いう記者はねー」ということになって、
西垣戸さんとも急にさらに親しくなったんです。

そこから私が西垣戸さんに知り合いを何人か紹介したんです。
逆に西垣戸さんが、
元松下政経塾の上甲晃さん、
モスバーガーの櫻田会長を紹介して下さいました。

その上甲さんから「大阪で自主上演会をしたいから」ということで
イエローハットの鍵山秀三郎さんを紹介されたといういきさつがあるんです。

そのときに、人間同士、出会うのはすばらしいということで、
「人間行脚の会」というのを作ろうと西垣戸さんが言い出しました。
「この会を作るんだ! 君が事務局だ」と言われて
「わかりました!」と言って私は走り回りました。

その後いつの間にか西垣戸さんとは疎遠になりましたが、
上甲さんにも鍵山さんにもずっと親しくさせていただき、
そういう縁を結ばせていただいております。

そんな話でもそうなんですけども、ある人間と知り合いになったときに、
いつも思う事があります。
これは母親ゆずりなんですが、誰かと知り合いになったときに、
どうしたらその人に喜んでもらえるかというのを考えるんです。

もともとは車屋ですから、車を安く売ったら喜んでもらえるとか、
修理を早くしたら喜んでもらえるとか、融通してあげたら喜んでもらえる
というふうに勝手に身に付いてました。

ところがそれは商売として当たり前なんですね。
そうじゃなくてもうちょっと上のステージのことをやらないかんわけです。

昔近所に某同友会みたいなのがありましてそこに入れ、と言われた事があります。
そのときに会長みたいな人がおって
「君、自動車屋やろ、入会したら車売れるで」と言われたんです。
それで「ん?」と思いましてね。

紹介者がSさんやったんですけど、」その会長から
「S君、なんか車買うたれや。入るの条件で買うたれや。そしたら1名動員できるやんけ」と言われたから、プツンと頭が切れてしまいました。

「買うていりません。よろしいわ、そんなんで入らなあかん会やったらやめときますわ」と、
やった事があります。

このサンゆ倶楽部の一番好きなところは、
異業種交流会で、なおかつ私のお客さんが居なかったことです。
だから言いたいことが言えるし、しゃべりたいことが喋れる訳です。

そんな風にやってるうちにだんだんそれが当たり前やと思うんです。
だから今、私のビジネスは「値段が安いから、社長から買う」という人は殆どおられませんね。何か無理を聞かしたろうという人は本当におれへん。お客さんの層が全く変わりましたね。

商売やり出して、そこそこになってきた時は
「ここの社長と友達やから来た」とか「社長を呼べ」とか言って
ちょっとでも安く、ええ目をしようと思った人が多かったです。
ところが昔から今までずっと続いている人は、それはどうでもいいんですわ。

「氏田から買うてやりたい、氏田と付き合ってやろう、こいつを育ててやろう」
という人達なんです。
さて、それに対して私は何で返せるか?

「どうしたらお役に立つか」ということをいつも思うんです。
だから「この人の喜びそうなことをせないかん」とかいうことを常に頭の中に思ってます。
それをずっとやっているうちに頭がひらめいてきて、色々出来ます。

私は「自分に力がある」とか「自分は有名人である」ということではなくて、
いろんな方を知ってたり、いろんなパイプをつなげるとか、
いろんなルートがあるというのが1つの取り柄かなと思っています。

だからその点では大才かもしれませんね。


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次から次へと、、、

2007/11/10 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


かわいい
2005年のミニワン、ナビ付きの白の
新入庫をしてもらおうとしたら、

既に入庫待ちが1台、
書類待ちなれどナカナカ良さそうな
CLK240の、同じく白、26850Kが居りました。

すると1台待ち?と聞くと
なかなか、同じような車は重なる物で
2004年のCLK240、V6・2600CCのこれは
ブリリアントシルバーがお待ち、、、、、

ではその後?と聞くと
なかなか、
BMW118のMスポーツも待機中、

では、その次かいな?と言うと
どうして、その前に私のお客様から下取りして
入庫を頼んでた、
2003年C240、タンザナイトブルー(これは走行たったの4500K)
も控えてました。

売れて、入ってきて
中古車業は忙しいです。

お客様には今しばらくのお待ちを
よろしく お願いいたします。

勿論、展示前の販売も勿論OKです、
ぜひともお早い目に!!

営業より入庫手入れに忙しい
氏田耕吉でした。


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第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会開催

2007/11/03 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


本日、第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会が総数108名の参加で開催されました。

今朝は5時に弊社の帝塚山店集合、帰宅の午後9時までたっぷり帝塚山カップを満喫させて頂きました。

帰って来て今日の幾多のスピーチで出てた20年について思いを馳せ、

第1回の’88 の記録集を出してきてみておりました。

1988年12月8日開催、主催は今と同じく帝塚山カップ実行委員会

協力は帝塚山街づくり交流会はじめ 6団体、後援は 7社、協賛は法人個人 61社

参加男性73名、女性31名の104名で、最大時200名の参加の年もありました。

ちなみに第1回目の参加者名簿のうち、今回も参加頂けたのは実行委員の4名を含め8名さまでした(プレーしてない委員は除き)。いろんな意味、まさに20年の時間の経過を感じました。

パーティのスピーチで出た話、、、いつも贈られる女子の部の凄いカップのスポンサー、

故、大屋政子さんのお話でした。

実行委員が揃って本宅にお邪魔し、第1回の帝塚山カップ開催をオーナをされてた室生GCでお願いしたところ、地域の事ならと、即座にお引き受け頂いたお話でした。その他いろいろ思い出があります、、、、、、

写真は1988年12月8日の18番ホールでの表彰式です。

本当に参加や協賛、またお世話頂いてる皆様に心より 感謝申し上げます。

 

 


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社長の講演その3 <7、人様からの応援>

2007/10/27 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


さて、はっきり言いますと、私個人では何の才能も何の力もないんです。ただ、もしあるとしたら、運がいい、言葉を変えたらお徳やご縁に恵まれているという、これしかないと思います。

誤解を受けるといけないんで軽く聞いてほしいんですけど、私は20才代で目一杯生きて、30から40才にかけての時はある意味、これだけ頑張ってきたという自負があったんです。ものすごく頑張った、と自分でも思っていましたし、ほんまに自信がありました。

ところがいろんな業界団体に行くと、「あー、お前二代目か」とか「そうなんやー、帝塚山の車屋の二代目のボンボンか」とか言われたんです。言われるたびに、「ぐーっ」ときてたんです。若かったんですね。

「ちゃうんや、俺がやったんや、俺がこうやって、あーやった」とかね、苦労話を聞いてほしくてたまらんかった時があったんですよ。 例えば、私は18歳で仕事に付いて、20歳で自分が代表になって、38歳のときに念願やった帝塚山に63坪の土地を買ったんです。それも20年貯めたお金をもとに頭金にして、自分の技量で買ったと思ってたんです。

しかしお金はたらなかったんですから、自分の力ではありませんでした。

 じゃあ、何で拠点展開出来たのか?この話も知ってる人が多いから隠さず言いますが、たまたま紹介で行った銀行さんがスポンサーでした。 紹介者から推薦してもらって、ご近所からの聞き合わせ、そんな事が功を奏したと思います。その銀行さんには大変お世話になりました。でも決して図っての事ではなく、結果そうなったんですよ。

勿論、20年間コツコツ貯めた、月々5千円とか一万円の積み立ての通帳を「こんだけ貯めましてん」と見せてましたが、、、。 そんなこんなで、いきなりぼーんとお金を貸していただいたんです。それも、自分が思っていたよりも1つ桁が上のお金を貸して頂いた経緯があるんです。 そんな金融機関の方との「出会いのご縁」、、、、、、結構ありましたね。

 笑い話ですが、もしその時の融資実行がなかったら、今の形態は作れていなかった。その代わり、借金の返済に悩まなくてもよかった、なんてね、、、、

それから、一番苦しいときにこのサンゆ倶楽部の中川喜之さん(元ザ・パック副会長)からもメッセージをいただきました。

 「昨年からアメリカの会長も兼務して日米を往復しているという、私の人生にとって今ほど充実感のある日々はありません」と中川さんが書いておられ、「ところで氏田さんもいよいよ事業発展のようで何よりです。心からお祝い申し上げます」と書いてくださったんです。 「ささやかな人生のふれあいですが、友人、知人が頑張り発展されているのを知ることはうれしい限りです。今後もより一層努力され、すばらしい事業の発展と、氏田さんのご活躍をお祈り申し上げます」と手紙に書いてくれたんです。

当時、私にとって中川さんは高嶺の花ですから、すごい人から手紙をいただいてうれしい反面、「こんな風に思っててもらってええんかな」と思いました。でも実はこれはものすごく発奮の材料になりました。

他にもホームページの「社長の対談」にも登場頂いてますが、大屋政子さん、イエローハットの鍵山秀三郎さん、元松下政経塾の上甲晃さん、モスバーガーの故、櫻田慧さん、などの本気(?)の方々にもたくさん励ましを頂きました。 「そうや俺には応援してくれている人がおるんや」と何度も思ったことがありました。

わが社のミッションステートメントに「、、、、、、ご縁に感謝し、貴重な時間と空間を共有出来ることを喜び、、、、、」 と有りますが、物心両面においての人様からの応援こそ、「めぐり合わせのご縁」と思っています。


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社長の講演〈その3〉 6、「積善の家に余慶あり」

2007/10/20 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


かって森信三先生の『修身教授録』というのをうちの店長教育に使っていました。
なかに「人身うけがたし」という項がありまして、それをコピーしてきました。
私のホームページ『社長の講演』〈その1〉の「人生二度なし」に載ってますから興味があったら読んでください。

解り易く言うと
「あんたは人間として生まれついた有難さをわかっているのか?」という項目があるんです。
あんたの力でこの世の中に生まれてきたのではなく、また今持っている能力というのは
両親やご先祖さまの能力の引継ぎやと。

今わたしたちが持っている能力、例えば今この中に超天才がおられても、
その人が自分の努力やと言うかもしれませんが、
それはそうじゃなくてご先祖さまからのたまたまDNAであるわけで、
そんなものを自慢してはいけないわけです。

たまたま自分が男前、たまたま自分が美人であろうとも
そんなものは整形手術でもせん限り、親やご先祖さまからの与えられたものなんです。

それを思ったときに人間の力は本当に些細なものなんちゃうんかなと思ったわけです。

この間、松下政経塾の元塾長上甲晃さんの「志ネットワーク」の創立10周年で東京に行ったときに、
『命の祭り』という本を頂きました。
この本に書いてあるんですよ。
「私が1人でお父さんとお母さん、そこには各々お父さんとお母さん、
すなわち、おじいちゃん、おばあちゃんが4人おる、これをずっと遡(さかのぼ)っていけば、、」という話です。 これは全部人間の数なんです。

以前、幸之助さんが思いついた「万物生成発展の法則」というのがあったらしいんですよ。
この言葉ともう1つは「宇宙大根源の法則」ということを年いかれてから、いきなり言い出したらしいです。

「上甲くん、不思議やと思えへんか。わしが1人おって、親が二人やと。
そうするとその両親、おじいちゃん、おばあちゃんが4人やと。
これを遡っていったらどないなんねん」ということをおっしゃったらしいんです。

「ずーっと遡っていったら莫大な数の人間がおって、
ひょっとしたら莫大な人間な数はその当時の地球の人間を上回ることがあった時はどないなるんや」と、
こういう質問をされたらしいんです。

「これは不思議ですね」と。
皆さんおわかりやと思うんですけども、
私が1人ですね、お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、これで7人居るわけです。
これを自分が一代目として二代、三代と二十代に遡って三角形にとってみたら何人になるか
ご存知ですか? 知ってはる方、ちょっと言っていただけませんか。想像で言ってください。

そうですね、
遡ったら100万人ですよ。たった二十代遡っただけでですよ、たぶん200?300年ぐらいですかね。
ということはそれをもっと遡っていったらどないなるか。

そして、その血が脈々と今の自分に流れてきているわけですよ。

と言う事は私が偉そうに言っても、実は私がやったことではなくて、
ご先祖様のおかげが今きているだけなんです。

もう1つ言えることは、言葉が間違っているかも知れませんのでご勘弁いただきたいのですけど

「親父やお袋が精一杯生きてきたおかげが私にきている」と言う事です。

そうすると「私がどんな生き方をしてもええんか」ということになるんですけども、
私がせいぜい精進して一所懸命生きておかんと、
私の子どもたちや一緒に仕事してる人が良い目が出来ないということを感じるようになったんです。

これを、「積善の家に余慶あり」と言うんでしょうかね。

さて話は変わりますが私は非常にお墓参りが好きです。
父親を亡くして、ちょっとしてからお墓参りに行くようになりました。
うちの親父が8月10日、母親が4月19日なんで、月2回はお墓にお参りします。
何をお参りするのか、言うと、ご先祖さんにお願いするというより報告ですね。

元気でやらせてもらってます。こんな事が起こってますが一生懸命やってみます。
結果は一体どうなっていくんでしょうかね、、、、とです。

そんな事を思いながら、
『ご先祖様のご縁』のお陰で生かしてもらっている事を実感しています。


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朝の一服

2007/10/13 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


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 さて、これらは、、、、、

私の一日の始まりには欠かせない物、

そうそれは「朝の一服」です。 

元々のお茶好きは、亡き母伊保子の入れてくれる朝の一服でした。朝一番に入れたお茶をまずはお仏壇にお供えして、その時の一杯を一緒に頂く物です。最近は子供の無かった亡き叔父(カトリックなので位牌などは無し)の遺影にもお供えして一緒に頂いてました。

何故、頂く、でなく、頂いてたのか?

そう、この夏の暑さでさすがに熱いお茶を飲めず、しばらくはアルカリイオン水だったからです。

そろそろの復活に備え、、、、、、

お茶のブレンドで準備を始めました。

色々な茶葉をブレンドして自分だけのお茶を作るのは中々いいものです。これはお客さまの木原会長から教えていただきました。

然るにこの写真の茶葉は或る所で作った方々からじかにわけていただいた物だったんですが、どうも、、、

おいしくブレンドできません。かといって捨てる訳にもいかず、試行錯誤しながら、ブレンドは続きます。

おいしい!と感激のお茶にめぐりあえたら、また報告いたします。では、、、、、、、氏田耕吉 でした。

追伸:最近続けていた社長の講演3のテープお越しは今日の間にあわず、出来次第「社員のひとりごと」の方にアップさせます。ご了承ください。

 

 


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