2007/08/20 安田 和弘
若い人は知らないでしょうか?あのヤカマシイおばちゃん3人組。
今回は思い出の芸人ネタ、、、、、ではなくて、先々週に引き続き
ギターの話です。
京都に茶木(ちゃき)というギターのメーカーがあります。
古くはウッドベース(バイオリンのお化けみたいなヤツ)
などをメインで作っていたメーカーだそうですが、
1960年代から外国の有名メーカーのギターのコピーなど
にも力を入れていた会社です。(しかしそんなに大きな会社では
無いので、製作本数はしれていますが。)
世界で一番有名な生ギターのメーカーと言えば“マーティン”と“ギブソン”
ですが、ギブソンのギターラインナップの中に(勿論他のメーカーにも
あります。)“フルアコ”とか“ピックギター”とかと呼ばれる
サウンドホールが“f形”のギターがあります。
これをコピーしたのが、チャキのPで始まるラインナップでした。
そう、かしまし娘のお姉さん(?)が抱えているアレです。
私が所有しているのは1992年製の比較的新しいヤツです。
先々週のTACOMAが車に例えて軽量で効率良く走る
最新の車だとすれば、CHAKIは古くて作りも雑で燃費も悪いが
味のある昔の米車みたいな感じです。
鳴らない、重たい、弾きにくい、の3重苦ですが、独特の音色が
気持ちよくて気に入っております。
ゆっくりとギター練習する時間が欲しい豊中の安田でした。
画像はウチの“かしまし娘”(当時1年生)です。(笑)
2007/08/13 安田 和弘
しかし暑いですね。夏ってこんなに暑かったですか?
残暑お見舞い申し上げます。
先週に引き続き、後日談を。
息子のカブトムシをどうやって手に入れようと
考えていた矢先、閉店の片付けをしていると
営業の氏田さんから「お子さんにどうぞ」との事で
大きなカブトムシを貰いました。
聞くと当店の展示場に居たとのこと。
早速自宅に持ち帰り、息子のユウスケは大喜び。
次の日に丁度切らしていたエサを買いに行き、
また世話が始まりました。
夜に帰宅して、「ユウスケ。カブト元気か?」
と聞くと、「今、多分寝てるねん。」
「??奴らは夜に行動するから寝てないんとちゃう?」
との私の話に慌てて暗い玄関へ走っていきました。
30分くらいしても戻ってこないので、心配で
見に行くと、暗い玄関の土間にうずくまっている
息子の姿が、、、。大粒の涙が土間にボタボタと、、。
「死んじゃってん。。。(悲)」
そんな息子の姿が可愛そうだわ可愛いわで、
「解った。お父さんに任しとき。」という事に
なり、結局ネットで店を調べて購入する事に。
専門ショップに行きましたが、オオクワガタや
外国産カブトムシ(ヘラクレス?)の値段に
ビックリ(2万円とか4万円とか!!)しながら
一対で600円の普通のカブトムシをゲット。
今の所、元気に育って(?)おります。
(メスはずっと土に潜ってますが、卵産んでるのかな?)
2週続きでどうでも良い話、失礼しました。
お盆も営業中の豊中店、安田でした。
2007/08/06 安田 和弘
(2006年8月のデイリーメッセージより)
『長男のユウスケ(小学1年生)は同じマンションにお住まいの方から
頂いた(20匹(!)以上孵化したとの事。)2匹のカブトムシ(♂)
に夢中で、毎日頑張って餌をあげたり、掃除をしたりしております。
2日の創立記念日の鈴鹿サーキットの件はこのデイリーメッセージでも
皆さん話題があがっております。
私は子供達との参加になったのですが、天王寺駅に早朝の集合だった
ので、前日からJR環状線で一駅の私の実家に子供達と泊まりました。
カブトムシは残念ながら鈴鹿に連れて行く事が出来ないので、
実家に預けていきました。
楽しく一日遊んで、天王寺駅にバスが付く頃、実家の私の母親から
携帯にメールが、、、。
“カブトムシが一匹見当たりません。ユウスケ悲しむので、まだ
言わないで。“
バスを降りて電話をしてみると「虫かごの中に一匹しかおらず、家のどこかに
居るはずだから、各部屋に餌を置いておびき寄せようとしているが
未だ見つからない。どうしよう、、、。」との事。
取りあえず実家に帰って虫かごを見ると確かに一匹しか居ません。
しかしよーく見ると地面の土の表面にうっすらと角の端っこが、、、。
カブトムシって成虫になってからも土に潜るのですね。知りませんでした。』
そして一年経ちました。2年生になっても坊主頭の長男ユウスケは
今年もカブトムシを飼いたくて飼いたくて堪らない様子。
いつも散らかって何度注意しても片付かない部屋も
「こんな散らかった部屋でカブトムシ飼えんなぁ」
の一言でピカピカに。
これはなんとか今年も手に入れなくてはと思い、
天然を出来るだけ近くで捕獲しようと、娘と調べました。
池田市の五月山に生息している事がわかり、
明日の早朝にでも、、、と思っていたのですが、なんと
「カブトムシの生息地には“ムカデ”も沢山生息しているので
注意が必要です。」とのこと。
ムシ嫌いの私と娘にはこれはちょっと無理でした。
結局どこかで購入する事になりそうです。
昨年に引き続き、取り留めの無い話、失礼しました。
豊中の安田でした。
PS,豊中店、住吉店、お盆の間も平常通り営業しております。
是非、遊びに来てください。冷たい飲み物を用意してお待ちしております。
(注。住吉水曜日、豊中火曜日定休です。)
2007/07/30 安田 和弘
こんにちは。今回は私の数少ない趣味のひとつ
であるギターの紹介をしたいと思います。(ネタ切れ(笑))
当社にもギター好きの人は沢山おり、
工場長の加藤さんはたしかパンクバンドの元ギタリスト。
豊中サービスの森さんもプロを目指していたそうで、
植田部長もナカナカにお上手だそうです。
(どなたか教えてください。私はナカナカ上手く
なりません。)
ここ数年愛用しているのがこのTACOMA(タコマ)という
メーカーのギターです。
ヤフオクで中古で購入しました。
ギターというのは弦(糸)の振動を表面の板(TOP)に
伝え、表面の板が振動することによって音を出します。
しかし、弦にテンション(弦の引っ張る力)が沢山かかっている
ので、表面の板が常に引っ張られています。
表面の板が薄ければ良く振動するので、音も綺麗で
“良く鳴るギター”という事になります。
しかし、あまり薄いと徐々に板が引っ張られ、
浮いてきたり割れたりしてしまいます。
そこで、表面の板の裏に補強の為に木の棒が貼り付けられて
いるのが普通です(ブレイシング=力木 と言います。)
しかしこの補強材の太さや、前述の板の厚さが音に
ものすごく影響します。
薄い板で補強材を極力少なくすれば“良く鳴る”ギター
になるのですが、耐久性に難が出ます。
で、TACOMAはどうしたか?
通常、ギターの真ん中に空いている丸い穴(サウンドホール)
を端っこに異形(ペイズリー形?)に空ける事によって、
強度を持たせ、力木(補強材)を極力少なくすることによって
鳴りを損なわないギターを作りました。
小さいギターなのですが、なんせ良く鳴ります。
今までの固定観念にとらわれず、新しい発想を。
私もそうありたいと思いますが、ナカナカ難しいことです。
お気に入りのギターなのですが、難点が一つ。
なんだか格好悪いでしょ。
豊中店の安田でした。
2007/07/23 安田 和弘
いよいよ日差しも激しくなってきました。
皆さん体調などは如何でしょうか?
ある医師のお客様に教えていただいたのですが、
夏や冬に差し掛かるとき、その気温に
体が慣れる期間が一番しんどく、
体調も崩れがちで、それを通り過ぎて
体が慣れれば楽になるとの事。
私も少し体調を崩しておりますが、
もう少し慣れるまでがんばりたいと
思っております。
この季節展示車両の洗車をしておりますと
汗かきの私は全身ずぶぬれ状態に
なります。
汗をかいているといつも思い出すのは
高校時代に所属していたバスケット部
時代のことです。
あの頃の汗は正に青春の汗で爽やかに(?)
サラッとしておりましたが、
年のせいか、最近は汗をかいても
爽やかな感じがまったくありません。
(仕事中にたまに出る”冷や汗”にもさらに
爽やかさはありません(笑))
当時183cmの私は高校バスケットの
他のチームの長身者の中ではけっして
背の高い方ではありませんでしたが、
チームの中では一番の長身でした。
で、ポジションは”センター”。
このポジションはジョーダンやアイバーソン
(解らない方ゴメンナサイ)のように
華麗なドリブルワークでリング下に切れ込み
シュートを放つというポジションでは無く、
いつも自分のゴールに背を向けて
見方が放つシュートが外れたときに
そのボールを敵から奪うのが
大きな役目でした。
(華麗というより格闘技です。)
いつも敵の動きを大声で怒鳴るのも
大切な役目で(私だけ?)
「(敵の)何番左いくぞ!」とか
「右回せ!」とか
「一本!気合いれんぞ!」とか
とにかくずっと叫んでおりました。
大会中に右手の指を骨折しており、
リング(ゴール)下は左手でシュート
を打つしか無く、出場がどうか?と
思われていた時、あるOBから
「お前はムードメーカーやから出ろ。」
といわれ割り箸を指にくくり付けて
出場した事がありました。
それが組織の中での”ムードメーカー”
という存在を意識した最初だったと
思います。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
によると
ムードメーカー(むーどめーかー)とは、
その場にいるだけでその場の空気・雰囲気を
好転させることができる力を持っている人のことを指す。
スポーツにおいては選手としての実力とは
別に持ちえる能力であり、たとえ技術で貢献する能力が無くとも
戦力的なプラスを与えてくれる存在である。
ただし、圧倒的な存在感でチームを牽引する能力を持つ選手も、
その姿勢から、結果としてムードメーカーとしての機能を果たしている
場合も多い。
勿論、スポーツだけじゃなく、家庭や仕事にも
大切な存在かと思います。
しかし、監督が必ずしもムードメーカーに
なりえないように、年齢、価値観が離れる
と中々ムードを盛り上げることが出来ず、
”しらーっ”となってしまう事もあるようです。
なかなかに難しいですね。
豊中店の安田でした。
2007/07/09 安田 和弘
先日、子供たちの学校のお手伝いで、地域の“子供110番の家”に
ご協力頂いている家に協力のお礼状を届けることになりました。
子供110番の家というのは 小さなお子さんの居る方はご存知かと
思いますが、府の青少年育成大阪府民会議というところが推進している
子供に何か危険があったとき、駆け込むことが出来る家を協力頂き、
子供たちに場所を伝え、昨今多い子供たちへの犯罪から彼らを守る
試みです。
私の住んでいる千里丘付近は高齢の方が沢山住んでおり、その関係か
子供110番の家として協力頂いている家が沢山あります。
おかしな犯罪が増えており、いつも子供たちの事が気になっているので
ありがたく思っておりました。
で、地図を片手に一軒づつ配って歩いたのですが、「次を右に曲がって、、」と
子供たちに指示すると、「違うでお父さん、こっちこっち」と
とんでもない路地を入っていこうとします。
「ホンマかいな?」と彼らに着いていくと、本当に私の全然知らない
路地を抜けて、110番の家にたどり着きました。
そういえば私の子供のころも家の近くをいつも探検しており、
そういった路地を沢山使っていました。(叱られた事もありました)
ゲームやビデオなど、外で遊ぶことが少なくなったと言われる
今の子供たちですが、親の知らないうちに私の小さいころと同じように
探検をしているようです。
「危ない所を通ったらあかんで!!」と注意しながらも、少し嬉しく
思いました。
初めて山芋使った料理を作って、なぜか指先がヒリヒリ痛い
豊中店の安田でした。
2007/07/02 安田 和弘
昨日は当社のゴルフコンペでした。ご参加頂いた皆様。
蒸し暑く雨もチラついた中、
本当にお疲れ様でした。
当社のコンペが行われた”よみうりカントリークラブ”では
先日、6月の21日?24日の日程で
”ミズノオープンよみうりクラッシックゴルフトーナメント”
が開催されておりました。
(当社のコンペは隣にある旧トーナメントコースでした。)
今年の全英オープン(世界最古のゴルフトーナメント)
の最終出場権を掛けた熾烈な戦い。
しかしその陰で6月に70歳(!)になった大阪出身の
プロゴルファー杉原輝雄さんの
予選通過最年長記録更新と、エージシュート
(自分の年齢より少ないスコアで上がる事。)
も掛かっておりました。
1957年プロ入り、62年の初勝利(日本オープン)
以降挙げた勝ち星は53勝。
87年には腎臓病、98年には前立腺癌に襲われたにも
関わらず医者に薦められた手術もプレーグランドを
離れることを拒んで受けず投薬で撃退。
とっくにシニアツアー(50才以上)のみの参戦の年齢
なのにレギュラーツアー参戦に
拘り続け厳しいトレーニングを続ける精神力と
その姿には感動さえ覚えます。
なんとか今年、達成してほしいと思います。
暑い夏を乗り切る体力に不安を持つにはマダマダ若い
豊中店の安田でした。