菊次郎とさき 「父の日」
2007/07/10 未分類
「菊次郎とさき」 の第3弾が始まった。
どちらかと言うと、ビートたけしのあのノリは
余り好きではなく
興味は薄かったんですが、
第2弾「菊次郎とさき」を途中から見だして
すっかりはまってます。
今回の第3段、スタートが木曜日からで
取っておいたビデオを見ました。
「父の日」、、、、、、、
2007/07/10 未分類
「菊次郎とさき」 の第3弾が始まった。
どちらかと言うと、ビートたけしのあのノリは
余り好きではなく
興味は薄かったんですが、
第2弾「菊次郎とさき」を途中から見だして
すっかりはまってます。
今回の第3段、スタートが木曜日からで
取っておいたビデオを見ました。
「父の日」、、、、、、、
2007/07/09 ニュース
大阪市は4日、路上喫煙防止条例に伴い、
御堂筋と市役所周辺を喫煙禁止地区に指定、啓発活動を始めた。
■罰金1000円、指導員に警察OB
10月からは違反金1000円を徴収する厳しい条例で、
当初はトラブルも想定されるため、市は指導員に警察OBを投入する。
御堂筋沿道のオープンカフェやコンビニには
「店先の灰皿も撤去すべきなのか」と戸惑いの声があるほか、
路上でのマナーが問われている大阪だけに
「ほんとに守れるのか」といった懸念もくすぶっている。
大阪市の路上喫煙禁止地区となったのは、御堂筋約4キロと市役所周辺の道路。
御堂筋の北端は北区の曽根崎署と新阪急ビル前で、
南端は中央区の高島屋大阪店北側道路が該当エリアになる。
≪何? 1億円以上投入≫、、、、、、
2007/07/03 想い、願い
昨日、私より2歳下の方と商談してました。
その前夜(?)にテレビで
渡辺謙の「明日の記憶」を見られたそうです。
見てるうちに
自分も今の歳から後何年と考え込んでしまわれたそうです。
もっともその方は
2007/06/30 未分類
いよいよ明日は
弊社のゴルフコンペです。
今回は16組、出たり入ったりで
今現在の総数は計61名です。
色々有りますが、残念ながら
完治しない腰痛で今回も
残念ながら、私は欠場です。
それ以外にも
、、、、、、
2007/06/30 街づくり、地域
各位 2007.6.
帝塚山街づくり交流会 事務局 氏田耕吉
「夏の街づくり懇親会のお誘い」
拝啓 初夏の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
日頃は大変お世話さまになりまして、誠にありがとうございます。
さて、「帝塚山街づくり交流会」は1983年(昭和58年)ごろに有志の住民や
若い経営者達が集まり、自然発生的に生まれました。
この集まりは肩書や思想は全く関係なく、
自由な発想で「街づくりへの想い」を語り合うことがスタートでした。
1987年(昭和62年)は8月には後に「帝塚山まつり」の前身となる、
「お〜きに祭」、そして11月には「帝塚山音楽祭」(翌年から5月開催)と、
街づくりイベントが第1回目を開催。
(ちなみに、同年5月には阿部野神社の、「浪速津南阿部野薪能」もスタート)
また翌1988年11月には
「帝塚山カップゴルフ選手権大会」も第1回目を開始し、
すでに20年がすぎました。
昨年はこの「街づくり二十周年のお祝い」をしましたところ、
たくさんの方々がお集まりいただき、大変好評でした。
そこで今年は「夏の街づくり懇親会」として開催いたす事となりました。
今回も当日はロイヤルホスト帝塚山さまのご協力で特別に貸切で行います。
どうぞ皆様お誘い合わせの上、多数のご参加のもと懇親の会を致したく存じます。
企画、運営も参加の皆さま次第、どうぞお気軽に平服にてお越しください。
――記――
日時 : 平成19年7月17日(火) 午後6時半(受付開始) 7時〜9時まで
場所 : 帝塚山ロイヤルホスト 06−6674−3344
会費 : ¥3,000−(特別ぽっきり価格、当日受付にてお支払いください)
テーマ: 『十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年にして歴史なる』
2007/06/29 街づくり、地域
帝塚山地域には、恒例化しつつある
いくつかの大きな行事がある。
毎年一月下旬に行なわれる帝塚山街づくり交流会(略称TMK)主催の
新年互礼会が一年のスタートだろうか。
次に続く各実行委員会による行事は、五月の「阿部野薪能」と「帝塚山音楽祭」、
そして八月の「帝塚山まつり」、十一月の「帝塚山カップゴルフ選手権大会」となる。
今年も五月の「帝塚山音楽祭」は六万人超の動員で大盛況に終わった。
そして早くも八月の「帝塚山まつり」や
十一月の「帝塚山カップゴルフ選手権大会」に向けて、
各実行委員会は準備を始めた。
昨年六月、TMK主催で「街づくり二十周年を祝う会」を催した。
長い年月を経た街づくり活動に携わった人達で一〇〇名予定の貸切会場は、
定員オーバー、人であふれた。
こんなに多くの方々に、集まって頂けたのは何だったのか。
そう、皆さん「街に惚れている」のだろう。
かって、亡父の結婚式での祝辞を母親から教えてもらった事がある。
それは「男の三惚れ」、つまり「住む所に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れよ。」という話だった。
自分が生活や仕事をする、その場所に惚れる事はすばらしい。
そう思えばこそ、この時もたくさんの人々が集まられたのだと思う。
人前で自信を持ってこのスピーチをしていた父親を誇らしく思っている。
諸々の行事について、私は消化型の行事運営は好きではない。
常に参加したくなるような企画を、協力したくなる運営で進めたく思っている。
しかし、実はこれが大変難しい。
かつて、イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんから
「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年にして歴史なる。」と教えて頂いた。
この「街づくり活動」も初めの頃はどうなるものかと思っていたが、
十年で形は出来上がった。
そして二十年、これはまさに「畏るべき」ことだ。
しかし、三十年にして「歴史」となり、続くためには次代を担う人達が必要だ。
世の常かも知れないが、各実行委員会でも、この後継者問題に苦慮している。
帝塚山まつりの「子供みこし」や「子供だんじり」そして「だんじり太鼓」も二十年経ち、
数年前から、その子供達の「帝塚山青年団」が自然発生(?)した。
さらには「帝塚山青年塾」も出来て、実社会をテーマに
人生塾のような自主勉強会も始まっている。
これもまさに十年単位での活動になりそうだが、
継続していかねばならない。
今までは我々の世代が街づくりの第一線で活動してきたが、
これからは、その次世代に自ら活動する若者を育てる役割をせねばならない。
それこそが三十年という歴史を作り、又、更なる継続を可能にする。
長い歴史を望むならば、年齢とともに役割を変え、交代する時期が必要だ。
「人生二度なし」(森 信三)、
人として生きた証しを刻む為にも、次の街づくり活動に向かいたい。 只管感謝
(大阪日日新聞 2007年6月29日掲載)