これは懐かしい、、、、、

2007/12/15 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


家に帰ると、、、

これはこれは懐かしい、イスがテーブルに並んでました。

なに? 何故?

これは末娘に使ってたイスで、
その娘も今春から就職。
と、言う事は二十数年前の物、
しかしミッキーも古びても見えず値打ち物?

しかし一体何故今頃、、、、、?

どこかからかわいいお客さんか?

もしや長男に第一子が?

まさか、四人目の子供が、、
(それは無いわな!)

ならば、

帰ってきた妻に聞くと
友人の所にお孫さんが急遽帰国
しばらくの同居に備えての貸し出しとの事。

これにて一件解決。
しかし一体これは我が家の何処に隠れていたのか?

また謎は残り、
いつまでも悩み尽きない
平和な氏田耕吉でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、話は全く変りますが、先般来の出張の成果、
仕入れ車輌が今週末から来週にかけて大量に入荷。

私の好きな、念願のCLSのユーズドカー始め
良いのがイッパイ入ってきます。

今なら年内納車も可能ですよ。

新しいお車での新年は如何ですか?
CMタイムでした。


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社長の講演3 <10、「夢の具現化」>

2007/12/08 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


 次には「夢の具現化」という事について少し話します。

私は人生をかけて、この「夢の具現化」をしていく事が人間の究極の目標だと思います。

その為には限られた時間をどう生きるか、
まさに『人身受けがたし』の心境を何時、自分のものと受け止めるかですね。

サンゆ倶楽部では最初の挨拶に「こんばんわ」、や「こんにちは」でなく
「メメントモーリ」という言葉で、
「あなたは必ず死ぬ、このことを忘れてませんか」と言い合います。

最初は「メメントモーリ」と言われたときに、ピンと来なかったんで、「これは何語ですか」と聞くとラテン語だそうです。

つまり大事なことは、やっぱり「メメントモーリ」(サンゆ倶楽部)や「人生二度なし」(森信三)、
ということであります。
ちょっときつい言葉ですが、何年かしたら今ここにいる人たちはほとんどこの世の中から必ずいなくなります。
人は間違いなく必ず年をとる。親が死んで、友達も死んでいく。
私はたまたま父親が早く亡くなったけれども、これは早いか遅いか、みなさん必ずそうなります。

100年もたったら、誰も周りにはいないわけですから、もしこの事を18歳のときに気がついて気に留めていたら、もっと気合入れて生きてきてた、というようなことです。

ただこの「メメントモーリ」を知ったのが私が27歳でしたから、10年ぐらい損をしたということです。

以前、松原中学校のPTAのお母さん方に「夢を持て(求められる子ども像)」、と言う題でお話しした事があります。
誰でも知ってる、わかってる事なんですが、何故か皆さん自分には例外的に考えたり、
真剣に考えようとしない!だけどそういう言葉で我にかえって真剣に生きて欲しいので話しました。

少しでも早い時期に「メメントモーリ」(サンゆ倶楽部)や「人生二度なし」(森信三)
と言う気持ちになって、各自の夢を具現化するような生き方をしなければ、
折角の人生という機会を損するような気がしますね。

これもサンゆ倶楽部でいただいた「メメントモーリ」からのご縁で気づいた事でございます。


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大阪モーターショー開催中!

2007/12/01 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


2年ぶり、5回目の大阪モーターショーが開催されてます。

今回は話題のコンセプトカーや発売前のGTR等には黒山の人だかりです。

輸入車も多い中、東京モーターショーでは展示のされなかった、、、、、、

???も並んでます。

何故か、気に入ったのはVWのコーナー、
ポルシェ、プジョー、フェラーリのコーナーなどで、
ミツオカのコーナーも夢一杯で楽しかったですね。

また、2輪車ではハーレー・ダビットソンも初参加、3輪の改造車も、、、

でもやっぱり AMG かな !

詳しくは、、、  http://http://osaka-motorshow.com/

氏田耕吉でした。


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9、「成功の反復」

2007/11/24 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


さてもう一つ言葉のご縁ですが、「成功の反復」というのをサンゆ倶楽部で習った事があります。

サンゆ倶楽部では月1回「サンユ塾」というのがありました。いろんな教科書をくれまして、それを勉強していきます。今はちょっと形が変わりましたが私が入った当時はそんな事で進めてました。その中の、何の本だったか題名は忘れてしまいましたが、「成功の反復」という項がありました。

人間というのは、何か自分で苦しいことにトライして、その苦しいこと、難しいことができたら、それ以後はそこまでは必ずできる、と自分で思えるようになるらしいです。そして、その次、というようにまたやっていける。 人間というものはそんな「成功の反復」の繰り返しであるという。 そしてその成功を少しづつ大きくしていく…そういうようなことが書いてありました。

 よく分からなかったのですが、「ああ、これか」と思いました。何かどっかまでうまいこと出来たら、次はそのレベルの事までは行ける。そこまでのレベルは自分で自信を持っていける。つまりステージを上げていけるという感覚で思ってます。

例えば「人前でしゃべってくれるか?」って言われたら「何人ぐらいですか?」って聞いてみて、最大で千人ぐらいは絶対大丈夫です。自信を持ってしゃべれますね。それは何でかと言うと、千何百人ぐらいの議員の応援演説をよくやらされるんです。私はこれを必ず盛り上げられるんですよ。 

それを自分で自己暗示をかけてまして、例えば千人ぐらいやったら、この人らを最後に必ず「今日は良かったわー」と言わせるように応援演説をする自信があります。だから近所の議員は必ず頼んでくるわけです。「わかりました。」ってやりますね。好きでも有るんでしょうが、とにかくスピーチで頼まれたら断りませんね。対象が5千人ぐらいやったらちょっとわかりませんが、1度見えへんぐらいの大衆を相手にやってみたいなという思いはありますね。

 ところが商売はそうはいきませんね。かって、すごくしんどかったことがありましてね。どうして良いのかわかれへんようになった事があるんです。そのときにたまたま天龍寺の経龍会へ行ってたんですよ。何か悩んでいたときの事です。

国宝級の庭があって池があるんです。池のほうから見たときに建物の廊下に衝立みたいなのがありました。 そこに「登龍門」と書いてあったんです。 

要約すると「人間にはどうしても超えれないような壁にぶつかることが必ずある。これを何度も何度もトライしてると、それをぽーんと超えられる。そしたら、そこから一気にいける。」というようなことを書いてあったんです。

はっきり覚えていないし、説明しにくいんですが、それをぱっと見た時に、感じたんです。 天龍寺の国宝の庭でかじかむ手で掃除をしているときに廊下の衝立の言葉が「ストン」と心に落ちたんです。それが、「登龍門」でした。

それがどういう事だったのかは覚えてません。ただ人間にはどうしても超えれないような壁に突き当たることがある。そのとき超えようと努力するがなかなかうまくいかない。ところが何かの拍子でそれをぽんと越えられると、一気に登れると理解してます。

それを見たときに「あ、これが今は俺の登龍門や。これを飛び越えたら俺もいけるんや」と思ってものすごい自信になったんです。「これやー! わかった! 俺は今、ここにおるんや!」と今の自分の場所が見えたような気がしたんです。 この言葉を知ったのが私にはものすごかったです。本当の言葉のご縁とは「これ」なんですね。

それからは何かあって「クー」ときた時には「これは登龍門や」と思うようにしてます。

それから、たまらんぐらい、いじめられて、コテンパンにやられた時には、『攀念痴(はんねんち)』、の三文字、これはお経に出てくる言葉で鍵山秀三郎さんに教えらてもらいました。  

『攀』は山を普通に登るのでなく、手足を使ってよじ登る様を言います!つまりは憎んだり、うらんだりするような事がエスカレートする、念のような状態を『攀念痴(はんねんち)』と言うのだそうです。

そう言う憎しみや恨みの攀念痴を抱くと夜は眠れない、食事がまずい、そして体も疲れる。だからこう言う念は持った方が疲れるわけで、持たれた方は平気で高枕です。

だからこそこんなつまらない念を持って人生の貴重な時間をすごさない方が自分にとって多いに得だと言う事です。 これは本当にありがたい言葉ですね。

 まだまだ言葉のご縁は有りますが今回はこれくらいにします。


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8、小才、中才、大才

2007/11/17 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


それで、積善の話はいいとして、次は「小才、中才、大才」についてです。

小才は袖擦れ合うも縁を気づかず、
中才は袖触れ合うを気づくが生かせず、
大才は袖触れ合う前に縁に気づく!

「育縁、活縁、尊縁」いうふうな話の中では1つは縁を見つけ出すとか、関連付けるという
コツがいると思うんです。
サンゆ倶楽部でよく言われる、
『人的財産』っていうのが
本当にものすごくあると思うんです。

はっきり言いますけど、高校しか出てなくて夜学の大学もほとんど行ってへんような奴(私)が、それもちっちゃな規模の仕事してるおっさんのくせして、
「なんでお前そんな人を知ってんねん?」という場面がよくあります。

この年になって余計に思うんですけど、自分でも
「なんでこんなんやろな」と思うことがあります。
顔の面積と同じでとんでもないぐらいに本当に顔が広いんです。

今年、徳島から高校を卒業して若い子が1人入社してきてます。
その子を連れて研修でいろんなことをやっているんですね。
今、豊中に勤務させてて、この間も万博公園で「ホタルの夕べ」というのがあってそこへ行ったんですよ。

そしたらかなりたくさんの人が来てました。
駐車場からずっと真っ暗がりな中を歩いて行って、人一杯の中を歩いていくんですよ。
ずーっと歩いて行ってやっとホタルを見つけて「おーきれいやな、来た甲斐あるなあ」って言うたら横で「ほんまですねえ」って女の人が言ってきます。
ぱっと見たら、そこにおった人が帝塚山音楽祭の実行委員長をしてる加藤さんでね、
たまたまそこで会ったわけなんです。
「あ、加藤さん、こんなとこで会うねんなあ」、、、て。

このくらいのレベルでしたらいいんですけど、実はこの一緒に連れてた 
新入社員と、その5日ぐらい前に地下鉄に乗ってました。
「このごろ商談してもお客さんに逃げられてばっかりで、ずっと電話も出てくれへん。
つらいもんやで営業も、なあ・・・俺は役に立つと思ってやってるのに、向こうが嫌がってはんねんや・・・そやけどこれもしゃあないしなあ」って言ってました。
夜8時半ごろですが、たまたま満員電車に乗ってたら、梅田からピッとドアが開いて前から乗ってきたのがその人でした。

「うわあー、Kさん、ここで会ったが100年目」とか言って向こうもびっくりするんです。そんな事が1週間の間に2回もあったんです。

その新入社員が「社長、大阪って広いと思ったけど社長はすごい人ですね」
とそんなことを言い出してました。私の場合はほんまによくあるんです。

何年か前には海外に行ってて、帰りの空港で飛行機を待ってるときに、
ぱっと前から来た人がうちの娘の同級生の両親でした。
先方は娘さんを連れてのご家族で、私は仕事やったんですけども、
「うわぁ、えらいところで会いますね」、でした。

向こうはそのままファーストクラスに乗って、私はエコノミーに乗って帰ってきたんです。
これは育ちが違うんですね。もっともこれは関空行きなんでたいしたことはないです。

私どもではドイツから車や部品を買ってます。何年か前にハンブルグに、仕事で行ったんです。フランクフルトがハブ空港なので、そこからトランジットしたりするんです。
ハンブルグ行って日本人の通訳を雇って車や部品の仕入れをして3、4日おったんかな。
車買うだけ買ってさんざん大きな膨らました話を通訳の人に偉そうに言ってました。
帰国の時にカートを押しながら歩いて行ってたら、
近所の中学校のときの同級生の高橋という友人に会いました。

「おぉー、久しぶりー」「氏田、何してんねん」「ちょっ仕事やってん」「ほんまぁー」とか言ってました。
通訳の人に「ハンブルグで日本人に会うことはあってもそんな近所の人に会うんですかね」って言われました。
「会うんや、不思議やろー」って言うたんですけどね。

ほんまによくあるんです。だから間違っても悪いことはできないですね。
もう1つ余計なことですがおもしろい話をします。

以前、娘をNHKホールに連れて行ったんです。
開演まで時間が有り、「ちょっと勉強しとこう」ということで
隣の大阪歴史博物館に行きました。

エレベーターに二人で乗って最上階迄上がって行きました。
最上階でエレベーターが、開いたらその前にわが社の30年来のお客様が
うら若い女性と腕組んで立ってたんです。

「うぉー!これはどないしたらええんかな」と思ってたら、
向こうも一瞬ぱっと離れました。
うちの娘が「あ、Mさんや」
そしたら「社長、久しぶり」とさりげなく言って、
2人で汗かきながら娘にバレんようにと思って、その場を繕いましたね。

娘はあとで母親に「今日はすごいことがあったよ」と言うてたらしいから・・・ 
ばれてたんですね。
そういう話もありますので、やましい事のある方(?)は
私のそばにあまり近づかないようにしてください・・・ 

私は物事や人物を関連付けるのが本当に得意ですね。

ちょっとだけサンゆ倶楽部に絡む話だけを端折って言います。
サンゆ倶楽部の何周年かで朝日新聞の西垣戸記者が取材に来ていました。
そのときに、私が式典の司会をしてました。

その後、近所の阿部野神社にその西垣戸さんが取材に来はったんです。
当時私は阿部野神社で氏子青年会の会長をしていたんです。
会長とかと言っても、その年にできた氏子の青年会で、発会の時にネクタイ締めてスーツ着てたんが私だけだったんで決まったんです。
やっぱり会長はスーツ着てネクタイ締めてんと写真写されへんいうことでした。

そのイベントにたまたま来られて、「あのときの氏田さん」いうことになったのが縁なんです。

その西垣戸さんは「100円ラーメン哲学」という本を出してました。
そしてさっき言ってた融資して下さった或る銀行の支店長さんと知り合いだったんです。

前任の支店長時代にその本の、大阪飯店にいつも行ってたんだそうです。
その縁で支店長さんは西垣戸さんと大の親友やったんです。
それは融資が決まったあとでわかったんですが、、、

『100円ラーメン哲学』という本が支店長室にあったから、
「なんでこんなんありますのん?」って聞いたら、
「西垣戸いう記者はねー」ということになって、
西垣戸さんとも急にさらに親しくなったんです。

そこから私が西垣戸さんに知り合いを何人か紹介したんです。
逆に西垣戸さんが、
元松下政経塾の上甲晃さん、
モスバーガーの櫻田会長を紹介して下さいました。

その上甲さんから「大阪で自主上演会をしたいから」ということで
イエローハットの鍵山秀三郎さんを紹介されたといういきさつがあるんです。

そのときに、人間同士、出会うのはすばらしいということで、
「人間行脚の会」というのを作ろうと西垣戸さんが言い出しました。
「この会を作るんだ! 君が事務局だ」と言われて
「わかりました!」と言って私は走り回りました。

その後いつの間にか西垣戸さんとは疎遠になりましたが、
上甲さんにも鍵山さんにもずっと親しくさせていただき、
そういう縁を結ばせていただいております。

そんな話でもそうなんですけども、ある人間と知り合いになったときに、
いつも思う事があります。
これは母親ゆずりなんですが、誰かと知り合いになったときに、
どうしたらその人に喜んでもらえるかというのを考えるんです。

もともとは車屋ですから、車を安く売ったら喜んでもらえるとか、
修理を早くしたら喜んでもらえるとか、融通してあげたら喜んでもらえる
というふうに勝手に身に付いてました。

ところがそれは商売として当たり前なんですね。
そうじゃなくてもうちょっと上のステージのことをやらないかんわけです。

昔近所に某同友会みたいなのがありましてそこに入れ、と言われた事があります。
そのときに会長みたいな人がおって
「君、自動車屋やろ、入会したら車売れるで」と言われたんです。
それで「ん?」と思いましてね。

紹介者がSさんやったんですけど、」その会長から
「S君、なんか車買うたれや。入るの条件で買うたれや。そしたら1名動員できるやんけ」と言われたから、プツンと頭が切れてしまいました。

「買うていりません。よろしいわ、そんなんで入らなあかん会やったらやめときますわ」と、
やった事があります。

このサンゆ倶楽部の一番好きなところは、
異業種交流会で、なおかつ私のお客さんが居なかったことです。
だから言いたいことが言えるし、しゃべりたいことが喋れる訳です。

そんな風にやってるうちにだんだんそれが当たり前やと思うんです。
だから今、私のビジネスは「値段が安いから、社長から買う」という人は殆どおられませんね。何か無理を聞かしたろうという人は本当におれへん。お客さんの層が全く変わりましたね。

商売やり出して、そこそこになってきた時は
「ここの社長と友達やから来た」とか「社長を呼べ」とか言って
ちょっとでも安く、ええ目をしようと思った人が多かったです。
ところが昔から今までずっと続いている人は、それはどうでもいいんですわ。

「氏田から買うてやりたい、氏田と付き合ってやろう、こいつを育ててやろう」
という人達なんです。
さて、それに対して私は何で返せるか?

「どうしたらお役に立つか」ということをいつも思うんです。
だから「この人の喜びそうなことをせないかん」とかいうことを常に頭の中に思ってます。
それをずっとやっているうちに頭がひらめいてきて、色々出来ます。

私は「自分に力がある」とか「自分は有名人である」ということではなくて、
いろんな方を知ってたり、いろんなパイプをつなげるとか、
いろんなルートがあるというのが1つの取り柄かなと思っています。

だからその点では大才かもしれませんね。


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次から次へと、、、

2007/11/10 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


かわいい
2005年のミニワン、ナビ付きの白の
新入庫をしてもらおうとしたら、

既に入庫待ちが1台、
書類待ちなれどナカナカ良さそうな
CLK240の、同じく白、26850Kが居りました。

すると1台待ち?と聞くと
なかなか、同じような車は重なる物で
2004年のCLK240、V6・2600CCのこれは
ブリリアントシルバーがお待ち、、、、、

ではその後?と聞くと
なかなか、
BMW118のMスポーツも待機中、

では、その次かいな?と言うと
どうして、その前に私のお客様から下取りして
入庫を頼んでた、
2003年C240、タンザナイトブルー(これは走行たったの4500K)
も控えてました。

売れて、入ってきて
中古車業は忙しいです。

お客様には今しばらくのお待ちを
よろしく お願いいたします。

勿論、展示前の販売も勿論OKです、
ぜひともお早い目に!!

営業より入庫手入れに忙しい
氏田耕吉でした。


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第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会開催

2007/11/03 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


本日、第20回帝塚山カップゴルフ選手権大会が総数108名の参加で開催されました。

今朝は5時に弊社の帝塚山店集合、帰宅の午後9時までたっぷり帝塚山カップを満喫させて頂きました。

帰って来て今日の幾多のスピーチで出てた20年について思いを馳せ、

第1回の’88 の記録集を出してきてみておりました。

1988年12月8日開催、主催は今と同じく帝塚山カップ実行委員会

協力は帝塚山街づくり交流会はじめ 6団体、後援は 7社、協賛は法人個人 61社

参加男性73名、女性31名の104名で、最大時200名の参加の年もありました。

ちなみに第1回目の参加者名簿のうち、今回も参加頂けたのは実行委員の4名を含め8名さまでした(プレーしてない委員は除き)。いろんな意味、まさに20年の時間の経過を感じました。

パーティのスピーチで出た話、、、いつも贈られる女子の部の凄いカップのスポンサー、

故、大屋政子さんのお話でした。

実行委員が揃って本宅にお邪魔し、第1回の帝塚山カップ開催をオーナをされてた室生GCでお願いしたところ、地域の事ならと、即座にお引き受け頂いたお話でした。その他いろいろ思い出があります、、、、、、

写真は1988年12月8日の18番ホールでの表彰式です。

本当に参加や協賛、またお世話頂いてる皆様に心より 感謝申し上げます。

 

 


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