鍵山秀三郎氏の講演会開催

2004/11/06 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


このたび、私どもの会社が所属いたします
勉強会 「IFC」 の10周年の記念で
来る12月1日(水)の午後5時20分より阿倍野区民ホールで
鍵山秀三郎氏の講演会を開催いたす事になりました。

鍵山秀三郎氏は、
株式会社イエローハットの 創業者で 現相談役であられます。

ご存知の方も多いとは存じますが、
実業家としては、㈱イエローハットを自転車1台から個人創業され、
30年にして、店頭公開、その後東証一部上場会社にされ、
現在グループ500店舗でございます。

ところが普通の事業家と違い、
「日本を美しくする会」や「掃除に学ぶ会」
( http://www.souji.jp/ )
などを通じて社会活動にも大変尽力されておられます。

まさに今のこの時代を生き抜くに
ふさわしい講演をお聞かせ頂けるものと、
確信いたしております。

どうぞこのサイトをご覧の皆様には
お誘い合わせの上、
ご出席賜ります様お誘い申し上げます。

入場は無料ですが、事前申し込みが必要です。
また、定員での締切がございますので、
申し込みはお早い目に、ウジタオートサロンの
氏田 耕吉 のメールまで。 (k-ujita@ujita.co.jp)

追伸: 幣社のホームページに鍵山秀三郎氏との対談記事
(http://www.ujita.co.jp/Tai01.htm) も載せておりますので、
ご一読くださいませ。


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日米両国の自動車殿堂入り

2004/10/30 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


この28日の木曜日、㈱ヤナセの名誉会長梁瀬次郎氏の10月05日の
米国自動車殿堂入りの祝賀会が、東京プリンスホテルで行われました。
これはオールヤナセの全国大会に合わせてのものでした。 

ヤナセOB、現役役職の方々、全国特約店はじめ、私共のような販売協力店など、
総勢400名超の文字通りオールヤナセの祝賀会です。 米国の自動車
殿堂入りの中で、米国から言うところの外国のインポーター販売店である
立場からの表彰は初めてだそうです。

これで先立つところの日本自動車殿堂入りに加えて、日米での表彰にな
られ、現在は故本田宗一郎氏につぎ、二人目だそうです。

スポーツ界の丸山、中田、イチロー、松井の若手のみならず、実業界での
高齢者も頑張っておられます。

本年90歳になられた梁瀬会長ですが、少々足腰は弱られてますが、謝辞
でのスピーチは相変わらずユーモアに富んで、なかなかのものでした。

ヤナセに販売協力店制度ができて、早や20数年でしょうか。 ということ
は梁瀬会長は当時70歳手前、、、、、。 「まだこれから、頑張らねば!」
と感じた当年54歳の氏田耕吉の報告でした。


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三丁目の夕日

2004/10/23 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


先週の17日の日曜日、突然メールが届きました。

『、、、、、映画の美術・装飾をしております。
インターネットからホームページの「会社創業からの沿革」を見て、メールをさせていただきました。

この度、「三丁目の夕日」という映画の製作をするのですが、
主な舞台となるのが昭和33年の町の自動車修理工場で、
そのセットを作るにあたりまして
当時 の自動車工場の詳細をお聞かせ願えないかと思、、、』

昭和33年と言うと私は8才、弊社の整備顧問の氏田光政さんは21才で今の工場で働いていました。

で、勿論そんな事の大好きな私は
二人してお会いする事に致しました。

東京から来られたのは昨日で、その龍田さんと、光政さんとで、
工場の奥にしまってあった古い工具を交えて、約2時間昔話をしました。

写真を見たりしているうちに色々思い出して楽しかったです。
そして今、私どもにある工具類も撮影時にお貸しする事にしました。

実は原作はあまり知りませんでしたが、西岸 良平さんの 
夕焼けの詩 「三丁目の夕日」で結構有名だそうです。 

11月からクランクイン、2005年春には取り終わって、
編集や何かで、東宝系の公開は2006年の予定だそうです。

その修理工場のオヤジ役には堤真一さん、
お母さん役は薬師丸寛子さんだそうです。

ほんとに楽しみです。皆さんも見てください。

主人公の一平になりきってる、氏田耕吉でした。

ーーーーー『主人公は、夕日小学校に通う少年・一平。 
家は「鈴木オート」という決して大きくはない修理工場。 
一平はその一人息子。 家の影響か、機械は大好きだ。 
一平は遊びの天才、、、、。』ーーーーー


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カリスマ店長の答えは 

2004/10/16 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


今週は業界の繁盛店視察で関東地方へ行って来ました。
東京駅を出発、都内から始まって、
埼玉、横浜まで、車中の昼食を含め、
みっちり11時間の見学コースです。

その中でも、初めて行った、横浜市の 「みなとみらい21」地区 は
情報発信都市と言われるだけあって、すごかったです。
大阪で言うところのOBPか南港エリアでしょうか?
ただ、開発や街づくりの違いには愕然とします。

確か平成になった頃、横浜市が大阪市を抜いたと聞きましたが、
全くうなずけました。

横浜、神戸といい、基本的な街づくりが大阪とは全くちがいます。
これは民力というより行政の差でしょう。
元芸能人の首長は?でしたが、今のような
府、市とも官僚出身の方々では大阪はますます悪くなっていく一方です。

ところでこの「みなとみらい21」地区には中古車小売拠点やオークション会場など、中古車流通の一面があります。
そのなかでも、中古車センターはトヨタ、日産のメーカー系のみならず、
ケーユー、ジャックと言った、関東系のメジャー企業の
超マンモスセンターがたくさん有ります。

ところが、この、「マンモス」というのがクセモノで私どもの業種では
なかなか運営が難しく採算が合わせれません。
実際、訪問したどの企業も具体的な数字を発表されないところからも、
その苦悩ぶりがうかがえます。

そんな中、ただ一店、グループ十店中、最下位の赤字店舗をわずか三ヶ月で
黒字転換させた、店長がおられました。
中古車専門店経験二十年のベテランです。

おのずと、参加者の質問はそこに集中しました。

カリスマ店長の答えは 「商売の基本に立ち返る。」事だそうです。

簡単なようでむつかしい限りです。

さて、詳しくお知りになりたい方は氏田耕吉まで個別にご質問下さい。


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第二回 鹿児島報告

2004/10/09 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


さて、先週に続き鹿児島報告の2回目です。 

とにかく鹿児島では料理がおいしい、安い!
郷土料理と言う事で、鹿児島中央駅付近にある
石原荘で今回は初日の夜、たっぷり堪能しました。 

刺身の新鮮さは勿論でしたが、揚げたてのさつま揚げ
黒豚の角煮、黒豚のしゃぶしゃぶ、きびなご、地鳥のさしみ、
そして、地元の焼酎も二日酔いせずおいしかったです。 

以前に行った事のある、「市場食堂」や、黒豚の「華蓮」、「あじもり」も本当においしかったです。 

また、鹿児島の歴史については明治維新、
とりわけ西郷隆盛さんから入れば判りやすく感じました。 

城山に有る西郷隆盛終えんの地、お墓の有る南洲墓地、南洲神社には
西郷隆盛を取り巻くように2023のお墓が建っていました。 

又、明治維新で活躍した多くの人たちの出身地、加治屋町(小さな範囲の町)に建っている
「維新ふるさと館」での1時間は鹿児島を知るには有意義でした。 

最後は磯庭園(仙巌園)で、薩摩藩、島津家の700年にわたる南九州の統治、
明治維新での活躍の原点がわかった気がしました。

ゴルフ組もゆったりした、良いコースで、これまた、食事が安くておいしかったそうです。 

そんな内容たっぷりの九州、鹿児島の旅でしたが、気になる費用は
案外安く済みました。阪急交通社さんには無理を言ったかもしれませんが、
飛行機往復とホテル一泊で2万円台から有りまして、朝食バイキングもすごいかの城山ホテルに泊まっても3万ちょっとで済みました。

是非皆さんも次の旅行の候補地に鹿児島を加えてみてください。

鹿児島ファンの氏田耕吉がお伝えしました。

追伸) おみやげで喜ばれたのは、空港で売ってた蒸気屋の 「かすたどん」 でした。 


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『知覧特攻平和会館』

2004/10/02 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


今週、入会している業界団体の十周年総会で鹿児島へ行って来ました。
その一泊二日の旅を二回にわたってご紹介したいと思います。

総勢16名、添乗員は私、氏田耕吉です。
私にとって鹿児島は姉が嫁いでいたり、息子の最初の赴任地だった関係で、
すっかりファン(?)になっています。
大阪から飛行機で約1時間。
空港でレンタカーをピックアップし、九州自動車道を通って、約1時間半で知覧に着きました。

『知覧特攻平和会館』、
敗戦の色の濃い、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、
陸軍特別攻撃隊員(特攻隊)たちは自分の家族のため、日本のため、自らの命をなげうって、ここ知覧から飛び立って行きました。

会館内に展示の飛行機の片翼の下には爆弾、その重さをバランスするため、
もう片翼の下には片道の燃料しか入っていないガソリンタンクがついています。
目的地の沖縄付近に来る頃には飛行機は重さで傾き、そのまま特攻して行ったようです。

又、17歳の少年飛行兵をはじめとした、特攻隊員の方々の
写真や遺品、遺書の一つ一つに
今、自分の生き方が問われる思いでした。

この会館はとても言葉では言い表せない程の事を我々に残してくれていました。
本当にあっと言う間の一時間半でした。

その後少し離れた、元軍用食堂、富屋食堂のホタル館へ行きました。
高倉健、田中裕子の『ほたる』で使われたセットがそのまま
資料会館になって保存されています。

ここでは『特攻の母』、と呼ばれた鳥浜トメさんのお孫さんのお話を直接聞くことができました。
親子三代にわたって、戦争の悲惨さを語りついでおられます。
かっての軍の検閲を受けていない遺書など本当に貴重な資料館でした。

今日のこの日本の繁栄もその方々の犠牲の上にこそ有るのだ、と心新たにいたしました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

その後は隣接する知覧武家屋敷で昼食後、鹿児島市内に向いました。
(総会の時間の関係でしたが、そこから、指宿の砂蒸温泉がおすすめです。)

さて、続きは来週ご報告いたします。


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何系?人間

2004/09/25 氏田 耕吉 (毎週金曜日)


いつも思いつくままに、書いている氏田耕吉ですが、
今日は、人間について勝手な事を書かせていただきます。

私は、仕事柄、性格柄(?)多くの人とお会いする機会が多いです。

ある時期(多分35歳ぐらい)から、人を何かの基準で、
幾通りかに分類できると感じるようになってきていました。

過去に出会ったり、知り得た人に類似しているとか、
又、その一部が類似しているとかで、その人を自分なりに推測してみたり、
分類してみたりしていました。

この推測は結構良く当って、かなり細かく幾通りかのタイプ分けができていました。

又、それらを大きく分類すると、

論理的に物事を考える、理尽く目タイプの (仮称)「理科系人間」と、
感覚的に物事を考え、行動する、感情型の (仮称)「文科系人間」に
分かれるのではないかと仮定していました。

こんな事をよく色々な所で色々な人に話していると、
結構皆さん納得してくれてました。

また、「人間科学」と言う 学問があって、大阪大学が日本で初めてそう名づけた、
と、教えてくださる方も居ました。

また、「エニアグラム」と、言って、2000年も前に生まれた
「人間学」も有るそうです。
この人間学は代々の指導者のみに授けられるもので、門外不出で、
選ばれた人を通じて「口伝」で伝えられてきたものだそうです。

その「エニアグラム」によれば、宇宙は九つのパターンの秩序によって成り立っていて
人間は誰もが、そのどれかにあてはまると、されているようです。

ところがある時、これらに対して、真っ向から、
「それに該当しないタイプ」、の主張がありました。

その方いわく、論理的、理尽くめでなく、
かといって、人間本来の感覚や、感情でも理解できないようなタイプがある。

とにかくよくわからない理屈で動く人達がいるというのです。

あえて、仮称すれば、「体育会系人間」だそうです。
でもこれが実は一番「人間らしい」という解説でした。


一つ一つをなるほどと思いながら、
今まで、人の事を勝手に判断して、
勝手に対応してしまっている、
そんな自分の勝手さに気づきました。


そう、こんな言葉を思い出しました。

「人はだんだん人間らしくなれる。」 人間の奥深さを感じた次第です。


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