「和弘。ちょっとゴメンやけど物置の中から和装の草履探してくれへん?」
と甥っ子の結婚式直前、実家に帰ると突然母親からの依頼が、、
親父を亡くしてからめっきり親孝行の(?)私は「よっしゃ。まかしとき!」と
物置の荷物を出したり入れたり煤まみれ。
なんでも捨てれず置いておく癖はやはり遺伝であったのか?と実感出来る
ほど、なんやかんやとイロイロな物が出てきます。
実家は昭和30年代前半に私の祖父が建てた日本家屋なのですが、
めったに物置の奥を見る機会はありませんでした。
古い下駄とか、夥しい数の写真、古いカメラ、見たこともないようなSONY製の大きな
オープンリールのテープレコーダーとか(三味線やってた祖母が練習用に使ったのでしょうか?)
フィルムが縮んでしまって、恐らく再生不可能であろう8ミリのフィルムなどもありました。
(紙の箱には亡き父親の字で”オンボロ車、東へ行く。”とタイトルが、、。昭和30年代に
ダットサンで出来たばかりの阪奈道路が登れずに、車から降りて皆で押したという話を聞いたことが
あります。恐らくその時の映像なのでしょう。是非見てみたいものです。)
結局、母親の希望の草履は出てきませんでしたが、ある箱を開けてみると(これが結構怖いのです(笑))
古いお金が沢山入っておりました。(貨紙幣が変わるたびに記念に置いておいたのでしょう。)
「丁度学校の社会の授業で古いお金の話やってるねん!貸してくれへんかなぁ。」と
横で見ていた今年小6の娘。
(これは借金することになるのかな?”初めてのおつかい”ならぬ”始めての借金”?、、。)
などと訳のわからない事を思いながら、ちゃんと返すのを条件に借りることにしました。
この古い硬貨や紙幣はドコでいつ作られ、どんな売り買いを繰り返し
そして何十年もここに眠っていたのか?思いを馳せるとナカナカに感慨深いものが
ありました。
↑ 100円もこんなお札ならなんだかタイソウで値打ちあります。
当社在庫車にも現在少し古い車が何台か御座います。
街を走る車が全て電気で動き出すのもそんなに遠い
将来じゃないかも知れない気がする昨今ですが、
今しか味わえない”ジドウシャ”らしい車を味わえる
時間はもうかなり限られてきているのかも知れません。
少し古い車にもメンテをしっかりやればマダマダ楽しめる車は
沢山あります。
まだまだ使える車を大事に使う。じつはこれも本当の”エコ”かも
知れませんね。
豊中店の安田でした。