2005/02/09 氏田 裕吉
心のこもった熱いメッセージをお伝えします。
最近読んだ本の中で、営業の本質は「お客様の期待に応え切る、
お客様の期待を超える」ものだと書いていました。
お客様の期待をつかむ
↓
お客様の期待に応える
↓
お客様の期待に応え切る
↓
お客様の期待を超える
という順にレベルが高くなっていくそうです。 しかし、大多数
の人は「お客様の期待に応える」ことを最終目的に置いているそうです。
まさに、自分もその一人でした。 常々、「お客様の期待に応えない
といけない」と思っていました。
しかし、「お客様の期待を超える」ことを最終目的に置くことにより、
できることが増えてくるような気がします。 そのような対応をして
もらったお客様に、感銘や驚きを与えることができるのではないでしょうか?
「お客様の期待を超える」ということは、もちろん金銭的なことでは
ありません。
自分が精一杯できる範囲、会社の中で許される範囲の中で、「お客様の期待
を超える」ためにできることを考えればいいと思います。
最近は、この一つの言葉によって考え方や行動、対応が変わってきたように
思います。
最終地点は、「お客様の期待に応える」より進んだ「お客様の期待を超える」
ことが大事。
「お客様の期待を超える」 ん~、むずかしい。
気合があれば何でもできる。 明日からもがんばっていきましょう。
氏田 裕吉
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2005/02/07 安田 和弘
口に出しても仕方ないのですが、寒いですね。
昨年のぎっくり腰以来、腰の貼り付けカイロが
手放せなくなっております。(笑)
今日はBMWの事について書きたいと思います。
18歳で免許を取得した頃に「いつかは乗りたいなあ」
と思っていた車はBMWでした。
勿論、触れたことも無くて、町で走っているのを見かける
だけでしたが、眺めているだけでもやはり当時の国産車と
明らかに違う雰囲気、存在感がありました。
当時(1985年頃)はたしか2世代目の3シリーズが
発売され、320に積んでいる2000CCエンジンが
全て6気筒になった頃だったと思います。
(初代3シリーズの2000CCは殆ど4気筒でした。
6気筒モデルは320-6 と呼ばれ別格で、たしか
ディーラー車には設定が無かったと思います。)
そして、ウジタオートセンター(当時はこの屋号でした。)
に入社。
憧れのBMW6気筒に触れるチャンスがやっと訪れました。
(勿論オーナーになるのは夢のまた夢でしたが、、)
その頃の国産車は俗にいう“ハイソカー”ブームで
少し高級感のある(応接間風?)内装に外観は角型の
セダンボディー。足回りはフワフワ。
しかしなぜかエンジンは高回転型のツインカムエンジンで
それをATミッションで乗るという今思えばなんだかチグハグ
な車が流行りでした。(まあそれはそれで日本車チックですが。)
BMWはというと、内装はシンプルで、シートも
不用な調節機能など無く、オーソドックスなセダン
ボディーにもかかわらず、足回りはしっかり硬くて
ハンドリングもスポーティー。
そして、ツインカムでも無いのに物凄くスムーズに
回る直列6気筒エンジン(シルキーシックス〈絹のように
滑らかに回る6気筒の意〉なんて呼ばれてました。)
このエンジンの回る音がまたなんとも言えない音で、、、。
ドイツ車はメルセデスをはじめ、質の良い実用車を
作っているメーカーが多く、「楽しさ」は二の次
という感じなのですが、BMWは「運転する楽しさ」を
凄く大切にしているメーカーだと思います。
いまだにFRレイアウトに拘っているのも、アクセルで
コーナーを曲がる楽しさを損なわない為です。
(メルセデスはハンドルから運転者の手に少しでも嫌な
感じが伝わるのを嫌ってですが、、、。)
本日、現行モデルの2003年式 BMW735Iの
極上車が入荷いたしました。
ワンオーナーの11000Km走行。シルバーメタに
黒革の内装でサンルーフ付き。純正18インチアルミも
装着しております。
本日、入庫チェックの為に試乗しておりました。
7シリーズなので、大柄なボディーなのですが、さすがに
BMW。ボディーサイズに関わらずスポーティーな乗り味で
楽しさ満点です。
スタイルや装備(豪華になりましたよね。DVDナビ、ハンズフリー
なども標準です)は変わっても、昔と少しも変わらない
「走る楽しさ」。是非味わって頂きたいと思いました。
また調子に乗って長文になってしまいました。スミマセン。
豊中店 安田でした。
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2005/02/06 植田 茂夫
みなさん、おはようございます。
節分も終わり「三寒四温」、少しづつ暖かくなってきそうですね。
ところで、先週のニュースに小さく「ストロベリーフィールド、閉園」とでていました。
小さな記事でしたが、ピン!ときた貴方は、ビートルズファンですね。
そう、1967年に発表された名曲‘Strawberry Fields Forever’その場所です。
「ストロベリーフィールド」、1936年リバプールに開園した孤児院で、
ジョンレノンが子供の頃によく遊んだ場所。後にポールマッカートニーに出会い、
又、「レノン・コート」と呼ばれる特別棟を建て、晩年、施設存続のために
寄付をしていたことまでご存知の貴方は、ファンではなくビートルズマニアです。
この「ストロベリーフィールド」がビートルズの起源なのです。
私はマニアではありませんが、本当にビートルズが大好きで、特に中学時代の3年間は
レコードを聞きまくっていました。ビートルズしか聴いていなかったかもしれません。
それまでは音楽というと歌謡曲しか知らなかったのですが、友達の家に行くたびに
大学生の兄貴がイエスやEL&P、ストーンズ、D・パープル、etcのレコードをかけており、
隣りの部屋までもれて流れてきたのが、のめりこむきっかけになったように思います。
それからというもの、友達が不在でも兄貴に会いに行っては何時間もバンドの薀蓄(うんちく)と
ロック(今では死語となっているようですが)を聴かせてもらいました。
もう30年近く前の話なのですが、つい最近のように憶えています。
最初に聞いたビートルズは世間の例にもれず「LET IT BE」でした。
屋上で演奏しているジャケット写真がメチャクチャかっこよかったです。
次が「ABBEY ROAD 」。これは良く聴きました。名曲ぞろいで、いわくつきのジャケットも有名です。
そこからは病的に聴きました。オフィシャルのアルバムはすべて聴いたと思います。
その中でも一番好きなアルバムは、やはり「ホワイトアルバム」です。
解散状態の4人はバラバラで、もはやビートルズのアルバムとは言いにくいのですが、
反対にそれぞれがやりたい音楽をやっており、個性が出ていて聴き応えもあり
その後のソロ活動に繋がる路線が見えるので、今でもたまに聞いています。
話は変わりますが、昨年ビートルズの「アップルレーベル」がパソコンの「アップル」を相手に、
「アップル」商標の使用差し止めを求めていた訴訟がありました。
どうやら決着の見通しが付いたようで、結局コンピュータ側がレコード会社側に
和解金を支払うことになるらしく、「和解金は集団訴訟以外では史上最高額になる可能性がある」
とのことです。このビッグネームの和解金、いったいいくら位になるのでしょうか?
ご存知の方、是非ご一報ください。
結局、1975年前後までの4人のソロアルバムは全て聞きました。
ジョンレノン 「SHAVED FISH」 1975年10月
ポールマッカートニー 「VENUS AND MARS」 1975年05月
ジョージ・ハリスン 「Living In The Material World」 1973年07月
リンゴスター 「BEAUCOUPS OF BLUES」 1970年9月
が、これらを最後に私のビートルズは、なぜか突然終わりました。
しかしビートルズのおかげで今でも音楽が大好きで、ジャンルを問わず幅広く楽しんでいます。
最近のお気に入りは、中島美嘉と吉田美奈子とアン・サリーです。
癒して欲しい方、アン・サリーはGood!です。
以上、ビートルズの話になると長くなる、植田茂夫でした。
そうそう、「オペラ座の怪人」と「東京タワー」見てきました。 感想は・・・
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2005/02/05 氏田 耕吉
先日、「松下幸之助翁に学ぶ」の
勉強会に出席してきました。
松下政経塾と幸之助さんのビデオを1時間鑑賞してから、
元、松下政経塾塾長の上甲晃さんの、
何と3時間にわたる講演会でした。
しかしさすがに上甲さんで四十数人の
メンバー全員が真剣に聞き入ってました。
上甲さんとは当時朝日新聞に居られた、
西垣戸勝さんに昭和61年ころ、ご紹介頂いてからで、
もう足掛け二十年になります。
諸先輩を中心に、「人間行脚の会」でいろいろな面で
ご指導を受けてきました。
実は私は松下幸之助さんには一度もお会いは出来ませんでしたが、
ある文章を通じて人生の大きなきっかけを頂きました。
それまでは家が整備工場で育っていましたが、
「商売」と、言う事になると、ただ単に「金儲け」と、
いうイメージしかわかずあまり好きでは有りませんでした。
いまだに中学、高校からの友人は「おまえが商売したり、
会社の代表をしているのは信じられない!」と言います。
と言うのは、整備工場なら、故障した自動車を直してお役に立って、
手間賃を貰うと言う事ですが、
商売は、ある物を仕入れて、儲けをのせて他の人に売って利益を得る。
どうもその辺があまり好きではありませんでした。
その私の価値観を変えたきっかけとなった文言は
「 適正利潤 」 でした。
商売を通じて人様のお役に立つ、そこで、経費その他で
「適正利潤」を頂戴する、というような文章だったと思います。
ついては商売を通じて世のため人のために尽くす、でした。
(どうもこの辺を上手くは説明できませんが熟慮してみてください。すいません。)
「適正利潤」、
常に心して精進せねばなりません。
今回の講演内容のうち気に止まった事は改めてご紹介いたします。
ここしばらくは松下幸之助に刺激を受けている
氏田耕吉の報告でした。
追伸;幣社のホームページの「社長の対談」に、
上甲晃さんとの記事が載っております。
よろしければ是非ご覧下さい。
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2005/02/03 加藤 宣晶
こんにちは!
工場の加藤です。
2月1日の積雪での影響は、大丈夫でしょうか…?
南大阪も結構な積雪で、やばい路面状態でしたが
幸い当社のお客様から「事故」の連絡は入ってません@
自分はと言うと、早朝から積雪に、はしゃぐ子供達に起こされ
窓から雪景色・テレビから通行止めのニュースを見ながら
「どうやって会社に行こう…」とチョットブルーに。
バイクで行くには危ないので早めに出て、「車で行こう」
と用意をしていたのですが、「大渋滞」が頭をよぎり
「危なくてもバイクやないと、辿り着けない?」と、予定変更。
緊張気味に「サクサク」雪をかき分け出発!
近所の道路に車がない…!?
「すいてるやん?」と走っていくと、大通りの手前から大渋滞!って言うか交通麻痺?全然動いて無い!
車の間を縫って、通りに出るといきなり転倒!
車のタイヤで踏み固められた雪が、氷に!!!
長靴も氷の路面にグリップせず、足をついても意味無し!
両足を氷の路面に押しあてながら、歩くような速度で
渋滞の脇を進んでいくと、自動車が歩道や中央分離帯に、
突っ込んでいる!「見通しの良い直線道路やのに…」
やっとの事で、大渋滞の先頭へ。それは大和川の橋でした。
「ジュルジュル」とホイルスピンをさせて動かない車の軍団。
自分のバイクもブレーキで止まれるくせに、進もうとすると
後輪が空転して、横に向くばかり。
手足を駆使して何とか登り切り、滑らないように慎重に
橋を降りると、急に道路がガラガラ!しかも何故か
路面には氷どころか濡れた跡も無し!?
工場の廻りも雪なんか降って無いかのような道路状況。
その日は帰りも家の近所は氷の路面。
翌朝の廻りの屋根もまだ雪景色。
夜になっても家の前には、今だひつこく雪だるまが。
火曜日メッセージの木村さんの遅刻にも納得。m(__)mメンゴ
たった10km程の距離でも、気象状況の大きな違いが
良く理解できました!=百聞は一見にしかず=
不慣れな雪に要注意!
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2005/02/02 氏田 裕吉
心のこもった熱いメッセージをお伝えします。
先週の木曜日、前回のメッセージを見た後輩から
すぐにメールがありました。
「ゆうきちさん、またやっちゃいましたね。今までで
一番短かったんじゃないですか?」
厳しいご意見ありがとうございます。 まあ、忙しく
仕事をがんばっている証拠と考えてもらえればと思って
います。
さて、当社の工場にも2月から新人のメカニックが入社
してきました。
工場では毎週水曜日が掃除の日となっており、普段より
30分早く出勤して、作業場の掃除を行っております。
また、その後朝礼を行うのも恒例となっています。
今日の加藤工場長からの朝礼の言葉の中で、新人社員の
方へのメッセージがありました。
「ここは会社なので、一から十まで教えることはできない。
先輩のしていること、技を真似して努力しなさい」との
ことでした。
まさに、その通りだと改めて思いました。
自分も社会人の駆け出しのころは先輩の真似ばかりしていま
した。
特に、社会人2年目のときには、社内でも評判の仕事ができる
先輩と同じ部署で仕事をする機会に恵まれました。
仕事のやり方や、稼ぎ方、心構え、社内・社外のネットワーク
作りなどなど。 一から三ぐらいまでは教わりましたが、それ
以降は、先輩のやり方を自分なりに分析して、取り入れていま
した。
簡単に言えば、「必死に真似をしていました。」
社会人の2年目の終わりから3年目にかけては、自分が社会人と
して一番の成長していたような気がしてなりません。
まだまだ私も20代の若手社員ですので、
「仕事ができる先輩をベンチマークする」ことを心に留めながら、
「後輩からベンチマークされる先輩」を目指していこうと思います。
気合があれば何でもできる。 明日もがんばって行きましょう。
氏田 裕吉
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