先日、ベストセラー『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)の主人公
のモデルである小倉寛太郎さんのロングインタヴューの文章を
読みました。
氏は当時の日本航空の懲罰人事(?)の為、東アフリカに長期間転勤となり、
その後、プロの自然写真家・作家として活躍。また、東アフリカの野生生物
についての第一人者としても名高いとの事でした。
人間は「地球の主人公」ではない。という結論に至る人間の進化(新化)の
話なのですが、途中抜粋します。(長文でスミマセン。全文はこの数倍あります。)
(前文略)人類は地球の主人公のつもりでいます。しかし、そうではない。
地球上にいる全生物と地球を共有しているんです。
そんなことが、このごろようやく言われるようになりました。
自然保護が大切だと言われているのは、たいへんけっこうなことなんですが、
ここにもまやかしがあるんです。
自然保護? 「保護」というのは、力の優位にある者が劣位の者に対して行うこと
です。幼稚園児が保母さんを保護しますか? しないですよね。
死にそうな重病人が看護婦さんを保護しません。自然は人類による
保護の対象なんかではあり得ないんです。
人類ができることはせいぜい「保全」です。
傷つけずに、汚さずに、とっておくこと。
麗々しく自然保護運動、自然保護協会。私はこういう人たちの神経がわかりません。
もう一つわからないのが、このごろキャッチフレーズとしてやたらと使われている
「地球にやさしい」「環境にやさしい」。これもわからないんですね。
“やさしい”も、力の優位にある者が劣位の者に対して示す感情、および行動です。
被告人や被疑者に対してやさしい警察官はいますけれども、警察官にやさしい被告人
って聞いたことないですね。これも、思い上がりの言葉だと思います。
本当は、「自然に従順なわが社の製品」「環境に従順なわが社の製品」でなくてはい
けないんだと思います。
一昔前に、「宇宙船地球号」の“乗組員”という言い方が流行ったことがあります。
おかしく思ったことはありませんか。
乗組員というのは、何か仕事をしなければ乗組員ではないんですね。
人類は地球の乗組員として何の仕事をしているんでしょう。
何も役に立たないで乗っているのを「便乗者」というんですね。
もしくは「居候」。でも、居候は「3杯目にちょっと出す」くらいの害しかないけれど
も、人類は大きな害を及ぼしているんです。
使いもしないダムを作ったりして、地球やほかの生物は大迷惑をしています。
ですから、居候でも便乗者でもないんですよ。「害虫」「寄生虫」なんです。
本当に自然の保全が大切だというなら、解決策は一つだけあります。
何かといったら、人類の総自殺ですね。そうすると、地球は万々歳ですよ。
しかし、われわれもせっかく生きているのです。ですから「総自殺だけはかんべんし
てください。これからはおとなしくしますから」というのが、人類の地球と環境に対す
る基本的な態度でないといけないと思います。(後略)
地球温暖化やそれに伴う異常気象を肌で感じるようになって来た昨今、
このような考え方が本当に必要になっている(もしかしたら手遅れ?)
ように思いました。
自然に謙虚に生きなければと思った豊中店 安田でした。