銀行窓口 1日 200 円×38 年= 300万円

2009/10/12 植田 茂夫



みなさん、おはようございます。

土曜日の朝日新聞の夕刊に心に残る記事が、、、

 

全文転写

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銀行が開いている日は欠かさず窓口に通い、
200円ずつ貯金を続ける“酔狂”な人がいる。


1971年10月に始めてから丸38年。


ついに今月6日、その残高が300万円を突破し、
行員らから祝福を受けた。


その人、大阪府寝屋川市の吉満屋功さん(79)は、
映画会社・日活の元宣伝マン。


映画の黄金時代には、劇場キャンペーンに回る
石原裕次郎について全国を飛び回ったものだ。


「当時はみんな、おごり高ぶってましてね。
同僚たちは夜な夜な北新地で豪遊してました」

しかし、会社は放漫経営で急速に傾いた。
直営劇場をすべて売却し、ロマンポルノの制作に転じたのが71年。


「これじゃ退職金も出ないし」と、
冗談半分で何となく200円の貯金を始めたという。


会社を去る仲間も多かったが、吉満屋さんは残った。
仕事の中身はどんどん変わり最後はポルノ映画館主を務めたが、
その間も貯金は継続。


週末や年末年始の分は休み前にまとめて入金し、
一日も欠かさなかった。


「お金は怖い。だからこそ、チリも積もれば……を実践したくてね」


当初の預け先だった地銀は、金融再編のあおりで大阪から撤退。
2000年からは、愛媛県出身であることから
伊予銀行の大阪支店に口座を移した。

 

無職の年金生活となった今も、往復600円の電車賃をかけて
寝屋川の自宅から大阪市中央区南本町に通う。


健康のためもあるが、
「毎日、女子行員さんと顔を合わせるのも楽しみ」。
窓口でもおなじみだ。


中には吉満屋さんの紹介で結婚した女子行員もいて、
顧客と銀行員という関係を超えた交友が続く。


250万円、300万円と残高が節目を迎えた時には
親しい行員を招いて盛大な宴会を開いた。
歴代支店長はもちろん、九州から子連れで駆けつけた元行員も。


この費用、数十万円は貯金に手をつけずまかなう。
「お金は使うのも好きなの」と笑う。


残高300万円では大口とは言えないが、
「大事なのは金額ではない」と大阪支店長時代から親しい
伊予銀行の十河嘉彦専務は言う。


「ATM(現金自動出入機)やネットバンキングの時代になっても
窓口は原点。数字ばかりが幅を利かせる世の中で、
顔を合わせたコミュニケーションの大切さを実感します」


吉満屋さんの次の目標は、富士山の標高と同じ数字が並ぶ
「377万6千円」を超えること。


「日本一を目指しますよ」


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ローカルな決して大きな話題ではありませんが、
しかしその実、38年という時間が生む縁は、
なかなかできるものではないと感じた記事でした。


『10年偉大なり 20年畏るべし 30年歴史なり』


きっと伊予銀行大阪支店では歴史に残る
顧客となるのでしょう。


それではまた来週、植田茂夫でした。

 

 


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