お見舞いをかねて、栄養を?
2009/10/14 氏田 耕吉
今回は
幼稚園以来の友人の 検査入院のお見舞いをかね、、、?との言い訳で、
歴史の街、堺まで、昼食に行ってきました。
私は最近は、『名古屋の鰻』 づいていましたが、
生粋の関西風地焼きの、鰻の 『う玄武』
http://www.ugenbu.com/ugenbu.html
堺は宿院で、『 うどんすき 美々卯 本店 』 のすぐ南に有ります。
お昼時のお得価格で、おいしい鰻で精を付けてきました。
さてこの地まで来ると、その後はお決まりの、、、、、、、
「堺の かん袋 くるみ餅」 (写真を写し忘れて、食べさしです)
かん袋は、
鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に
和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まり。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。
文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。
その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
と言うことで、お見舞いの言い訳グルメを楽しく頂いた氏田耕吉でした。
9月に開いた、小学校時代からの友人の「夫婦会」 で煎茶を嗜んだ面々です。